ミゼリコルディア映画
みぜりこるでぃあ
起きていることの俗っぽさや馬鹿らしさに比してメッセージが高邁すぎる神父のシーンがあり、 カニ道楽の店主のコメントと同じ構造だと二人は言う。
「コントみたいだよね」。
2025年10月27日の回
パン屋の主人の葬儀で未亡人のもとに泊まり込む男の話。パラサイトもので、 福尾は「犬が出てこない黒沢清の『クリーピー』」と要約する。 ヘテロ的な想像力では未亡人を慕っていると誤解されるが、実は死んだ主人のことが 好きだった。同性愛の話だと最後まで直接は分からないように書かれているのに、 言われてみれば最初からあった。人と人がずっと触れ合っていて、 それが性欲なのか攻撃なのか親しみなのか宙吊りのまま進む。 アート系だが脚本が普通の意味で非常によくできていて、ずっと面白い。 荘子itは「今年はミゼリコルディアの年だった」と言う。
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関連項目
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- 自伝と日記自伝は老境に差しかかった半分死んでいる立ち位置から自分の人生を全体化して書く。
- 3対3対1000ワンマンライブの配置。
- これでしかないフォーメーションシンメトリーでも黄金比でもなく、すごくバラバラなのに「これでしかない」というバランスが 舞台上に成立する瞬間。
- 練習という概念がないゴダールは、映画監督には音楽家やスポーツ選手のような練習の概念がないのが問題だと言った。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- 全部がテロリズムになる日本の公共空間では、ハプニング的なパフォーマンスがギリギリ共存する感覚がなく、 みんながスマホを見てじっとしているか、地下鉄サリン事件のようなものが起きるかの両極になる。
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。