2025年10月27日
PTAからの卒業
前回の「疑問文が言えない」への反響から、10代が使う「点はてな」の話へ。 荘子itが虎ノ門広告祭で福尾の「リテラリティ」を紹介したら空気が変わった。 そして半年越しに福尾が観た『ミゼリコルディア』と、荘子itの 『ワン・バトル・アフター・アナザー』体験——PTA(Paul Thomas Anderson)からの卒業。
話の流れ
- 1:00真なる現実へマノエル・ド・オリヴェイラの映画祭のコピー。「全てはリアルに」。一周目のリアルではない、という話ばかりをしている番組。
- 2:00点はてな金原ひとみの息子は「?」の前に読点を1つ打つ。いきなり「?」だと圧が強いから。20代は「‥?」、10代は「、?」でパックリ分かれる。
- 5:00リテラリティが刺さる虎ノ門広告祭で「What to say / How to say」の話になったとき、福尾の概念「リテラリティ」を紹介したら場の視線が変わった。哲学者の提出するワードの強度。
- 7:00解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』はリテラリティを掲げている以上、自分もリテラルに読むしかない。ドゥルーズがベルクソンにやったことをドゥルーズにやっているから、解説に見えてしまう。
- 9:40ミゼリコルディアをついに観た半年勧められ続けてやっと観た。「犬が出てこない黒沢清の『クリーピー』」。
- 14:20動物という通路がない黒沢清では人間の世界とやばいものの世界の通路として動物が機能する。『ミゼリコルディア』にはそれがなく、森と人間しかいないまま染み込んでくる。
- 17:00やばいやつが複数化されている崩壊させる側とさせられる側が入れ替わる。それぞれのそっけない日記的なリアリティが、互いの現実を侵食し合う。
- 19:00好きの中吊りフランス語には like と love の区別がない。接触が性欲なのか攻撃なのか親しみなのか分からないまま宙吊りが続き、ネタ消費にもならない。
- 23:20鑑賞料金FXシステム見ないことによって「見た」という言説の価値が上がる。ミゼリコルディアは1万5千円、ワン・バトル・アフター・アナザーは300円にすべき。
- 23:00PTAからの卒業中学生で『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て以来ずっと好きだったはずなのに、「そんなに好きじゃなかったのか」というアイデンティティ・クライシスに陥って眠れなくなった。
- 34:46ごちゃごちゃ感で何かがスキップされるポストモダン的なパラノイアックなサンプリング感によって解像度が上がるならいいが、それによって何かがごまかされ、スキップされている感覚もある。
- 36:28葉っぱの影が白いシャツの上を流れたフォークナー『八月の光』の描写。「クリスマスが歩いた」ではなくそう書くことで、始まりも終わりもない欲望のあり方が凝縮されている。
- 41:30チャンドス卿の手紙ホフマンスタール。詩人が「もう詩が書けなくなった」と書き送る小説。人の話す言葉が聞くに堪えず、朽ちた木の杭のほうに心を鷲掴みにされる。
- 43:38戦前の人の志のデカさ自分の仕事で世界が変わると本当に思っている人たちがいろいろやっていた時代。みんなマジだった。
- 57:51脳の容量の取り合い同棲を始めたころ、いろいろ聞かれること自体が負担だった。一人でいても頭がアップアップしているから。だが報告しないと相手の考えることが増える。どちらが正しいという話ではない。
- 1:00:19宮台真司はADHD擁護論者ルーティンから外れる者が集団に数パーセントいないと異変に気づけない、という主張。プラクティカルな改善論にも社会的必要論にも、どちらにも寄りかかれない。
- 1:02:55二人で一個の脳を使っている二人だけで過ごす時間が長いので、そういう状態にどんどんなっていく。最初は違和感があったが、いまは「ちょっと今やめて」と言えるようになった。
- 1:03:34家庭内別居生活時間に時差があるので、家の中で別居しているような状態になっている。それが楽でもある。
この回で出てきた言葉
- Alain Guiraudie『ミゼリコルディア』の監督。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から 「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、 解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」という ツイートがあった。
- 金原ひとみ『蛇にピアス』『ハジケ』『藪の中』。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- クリーピー 偽りの隣人人当たりのいい隣家に自分の家族が吸収され奴隷にされていくホラー。
- 黒沢清『CURE』『カリスマ』『クリーピー』。
- チャンドス卿の手紙詩人が「もう詩が書けなくなった」と書き送る体で書かれた短い小説。
- 点はてな「?」の前に読点を1つ打つ用法。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として 動物が機能する。
- 脳の容量の取り合い同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
- 葉っぱの影が白いシャツの上を流れたWilliam Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
- PTAからの卒業中学2、3年で『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て「これ来た、超かっけえ」となり、 以来ずっとPaul Thomas Andersonが好きだという自意識で来た荘子itが、 『ワン・バトル・アフター・アナザー』にハマれず「俺、そんなにPT
- 二人で一個の脳を使っている福尾夫婦は二人とも家にいる時間が長く、二人だけで過ごす時間がめちゃくちゃ長い。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
この回で触れられた項目
この回からの引用
いきなりはてなだとちょっと圧が強いから、点を一個挟むみたいな。そんな日本語の文法に存在しないのに、今それが一般的に10代の若者とかであるらしくて。
→ 点はてな
本当に文字通り、見たまんま読むと、作者が言いたかったことからもずれていく。でもそれは最初からちゃんと読まないで、自分の主観的な解釈だけで無茶なことを言うっていうのとも全然違う。
→ リテラリティ
俺そんなにポール・トーマス・アンダーソン好きじゃないのか、急に。アイデンティティ・クライシスなの。
→ PTAからの卒業
クリスマスが歩いたっていうんじゃなくて、葉っぱの影が白いシャツの上を流れたっていうことによって、欲望の始まりも終わりもない欲望のあり方みたいなものが、その描写に凝縮されてる感じがして。
僕は一人でいても頭がアップアップしてるんだよね。ずっともうこぼれそうな感じで生活してるから、ちょっと聞かれるとか、数時間後の何かが確定されるとか、それについて今決定を下さないといけないっていうことだけで、結構負担に感じちゃってた。
報告してくれないとこっちがめっちゃ考えることが増えるっていう。それはある意味もう取り合いになるっていうか、お互いの脳の容量の。どっちが正しいってわけじゃないな。