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概念
あ
- アウトリーチという言葉が嫌い大学でよく使われる「専門知を社会に還元しましょう」という言葉。
- あらゆる音に乗れるbilly woodsがインタビューで「ヒップホップで一番好きなところは、 何にでも乗っかれるところ、ラップは何の上でしてもいいところ、 どういう音楽にでもなり得る可能性があるところ」と答えていた。
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- あらゆるものはフェティッシュである画質の悪い映像やレコードのノイズに反応してしまうのは、メディア経験の刷り込みなのか、 原理的なことなのか。
- アングルが良くない喧嘩をしないのは生ぬるいかもしれないと思いつつ、 「サロン商売がどう」というアングルでは別に喧嘩したくない。
- 言うべきこと製造機インターネットも、ポッドキャストも、カルチャーも、アカデミズムも、 「言うべきこと」を無数に生み出し続けている。
- 言える券を配ってしまう自分の意見が広まって使ってもらえるのは嬉しいが、それが半分「何かを言うための口実」に なってしまうと嫌だ。
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- 痛がゆいコミュニケーション言っちゃいけないことを言ってしまう、というタイプのコミュニケーション。
- 痛みの強度データの扱いがおかしい/解釈が多様だ、という応酬をいくらやってもしょうがない。
- 一周目おじさんDos Monos内で一時期流行ったミーム。
- 一生覚えていられるものTHEATER Dのようなライブに時間を使いたい、こういうことだけで本当はいいはずなんだ、 と福尾は言う。
- 一緒に面白くなっていこう岩崎の周りには「同世代みんなで上がっていこう」「一緒に面白くなっていこう」 という感じがある、と荘子itは言う。
- いつもここから性人間には「いつもここから」と戻ってこられる場所が必要だ、という話。
- 今か今じゃないか『ADHD2.0』にある時間意識の説明。
- 映画に一番似ているのは映画館を出た後の雨ドゥルーズ『シネマ』の議論。
- AIに敬語で聞いてしまうChatGPTやGeminiに、なぜタメ口で聞けないのか。
- ADHD的な展開荘子itはプログレッシブ・ロックが好きだから「ヒップホップのくせに 展開がコロコロする」つもりでやっていたのに、海外のレビューで 「ADHDっぽい展開」と書かれた。
- エゴドキュメントのナショナリズム利用遊就館の最後には戦没者の手紙や写真が集められた部屋が続く。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- エビデンスなきファクト福尾の概念。
- 置き配写真館の構造的な問題自分の家に届く置き配写真は、毎日歩いている玄関先を無造作にピンボケで撮った 写真が急に送りつけられてくるという、めちゃくちゃ不気味で変な体験だ。
- 置き配的コミュニケーション福尾がこの回で与えた、本のいちばん短い定義。
- お気持ちと実感ニック・ランドはリベラルを皮肉って「声の政治をやっている人たち」と呼ぶ。
- 男同士の本当の気持ちは言葉にされない『見晴らし世代』で、父と息子の和解——和解ですらないもの——は 完全に非言語的に行われる、と荘子itは言う。
- 同じことをやり続けるくまだまさしがプリティ・ウーマンを2000回観るように、利賀村の鈴木忠志が毎年同じ演目をやるように、 マームとジプシーがセリフレベルで同じものを繰り返すように、晩年のゴダールが何を見ても同じ感触であるように、 一個の作品として取り出すことが
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- オルタナティブとインディペンデントは別物福尾がある美術展のぐだぐだなトークイベントで主催者を批判しながら言ったこと。
- 音源と何も変えていないBy StormやParker Coreyはトラックにエフェクトをかけたり引き伸ばしたりして ライブなりの盛り上げ方をするが、billy woodsは違う。
か
- カードゲームみたいな批評つまらない批評は「ここでこの名前を出す」というカードゲームになってしまう。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から 「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、 解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」という ツイートがあった。
- 書いている間は金が発生しない受注仕事以外の作曲や執筆は、何ヶ月作り込んでいてもその間は収入がない。
- 解放される対象であることを拒否する荘子itは「ヒロインと恋愛関係にならずに、彼女を負のループから解放する」 タイプの話がすごく好きだ。
- 確認しておかないとシーンにならない少し活動していたのに認知されないまま消えていく人がいっぱいいる。
- 風通しと埃海や川はずっと流れ、波打っていて、何かがそこに滞留し続けることは基本的にない。
- ガチャガチャ感こそがリアルリアルなものは透明でシンプルなフォーマットに収まると思われがちだが、 むしろバラバラでまとまりがないことのほうがリアルだという逆説。
- 括弧つきの男の子っぽさ『8番出口』を絶賛したが、あれもいくらでも批判の余地がある、と荘子itは言う。
- 画面の中で本当に起きていると信じられるか映画になったとき、画面内で起きていることとメタ視点が分離している状態だと 面白くない、と荘子itは言う。
- 環境と社会は違う『非美学』で書いた話として福尾が持ち出す。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- 感想ツイートに懸賞金公式のトークイベントや帯コメントの推薦よりも、ポッと出たかのような感想ツイートが みんなの問題意識に接続して一気に跳ねる。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが[[左手のない猿]]を評した言葉。
- 記と紀古事記の「記」は言偏で、日記の記でもあり、国内向けの物語として書かれた。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- 行間が勝手に補完されるガンダムのように、裏に共有されたデータベースがあれば、穴だらけの描写でも強烈な快楽が出る。
- 虚構に上書きされた風景が原風景佐々木友輔の風景論の連載を荘子itが読んで。
- 近所福尾がいま書いている本の主題。
- 金曜ロードショー的小島秀夫の作品は「映画的」とよく言われるが、「金曜ロードショー的」と言ったほうが正確だ、 というのが福尾の見立て。
- 空間の中にプラットフォームがある置き配というシステムそのものより、それによって 「空間というものがないことになってしまう」ことが一番の問題だ、と福尾は言う。
- 空間の話をしない空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評の すごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 癖と曲荘子itが「ずっと一番大事だと思っていること」として語った話。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、 愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- グルーミングのなさグルーミングは今でこそセクハラ・パワハラの温床である「飼いならし」のイメージが 一般化しているが、もともとは毛づくろいの意味で、大事なものとして使われていた。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か 「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを 取らされてしまう。
- ゲームの不自由さゲームは万能感に浸れるものかと思いきや、むしろ一定の不自由さを楽しむもの。
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 建蔽率福尾の比喩。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 構造は後からついてくるコード理論やポリリズムの構造から曲を作るのではなく、 まだ分析の言葉がついていない現象から食らった体験をそのまま作品にする。
- 構造を追い切れないことが気持ちいいヒップホップのビートは、音楽理論で譜面に起こそうとするとかなり変なことをしている。
- 心の交流と性のあいだのジャンプ『青野くんに触りたいから死にたい』が良かったのは、 最初がただの一目惚れ、ただ触りたい・セックスしたいという (しかも女性側からの)性欲でしかないところから始まり、 お互いの人格形成に関わる家族の問題がすごい深度で描かれたあとで、 「深い人
- 5センチ浮いてしまう最初から高みにあるものを地上から仰ぎ見るのではなく、 同じ目線で読み進め聴き進めていたら、いつのまにか5センチほど宙に浮いてしまっている。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感が ダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、 という順序が前提になる。
- 子供に未来を託すエンド自分に子供ができてから、子供に未来を託す系の終わり方に 爽快感を覚えづらくなった、と荘子itは言う。
- 子供の抽象性抽象画というと大人っぽく高尚なものに聞こえるが、子供がアンパンマンやミッフィーを見て すぐ分かるような絵本的な抽象性と、芸術的な抽象性をダイレクトに繋ごうとしているのが 岡崎乾二郎だ、と福尾は言う。
- 5分間だけ神になるポップスターのライブは、ファンダムが思い描くスターがステージに立っているという意味で 宗教でしかない。
- 固有名とトーンしか聞かれていないポッドキャストもYouTubeも、結局「ここで誰の名前が出た」ということと、 「優しそう」「聞きやすい」という人柄の話しか受け取られていない側面が けっこうある、と福尾は言う。
- コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして 突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に 価値を見出した。
- これでしかないフォーメーションシンメトリーでも黄金比でもなく、すごくバラバラなのに「これでしかない」というバランスが 舞台上に成立する瞬間。
さ
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は 粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 寂しさの消失2015年ごろまで人はもっと寂しそうだった、という福尾の現状認識。
- 3対3対1000ワンマンライブの配置。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 事実上の貴族院政権運営能力と選挙に受かる能力は全く別のもの。
- 実家的なリアリティ丸山眞男『日本の思想』と鶴見俊輔の戦時期精神史を読んでいた福尾が見つけた線。
- 実際にあったことのパントマイム師になれドゥルーズ『意味の論理学』の言葉。
- 自伝と日記自伝は老境に差しかかった半分死んでいる立ち位置から自分の人生を全体化して書く。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるように ならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」 というリスナーの質問への答え。
- 自分のことも書かなければならない自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで 投げ出していない。
- 社会人2年目の病大二病の反対側にある病。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- 状況へのリアクションを求められる新しいアイデアについて喋っている、という状況そのものを受け取ってもらえる場所が どんどん少なくなっている。
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、 福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 小説は報告から始めるべきでは上野の国際子ども図書館で手に取った石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』は、 一文目からノンちゃんを紹介している。
- 象徴化の過程で失われるもの大きな事件が起こると、犯人をモンスター化し「その背景には日本社会のこういう歪みがあって」と 容易に意味づけできてしまう。
- 職業としての嘘哲学者もアーティストも「ほぼ嘘つき」に近い職業である。
- 序文というパレルゴン序文は順番としては一番最初に来るのに、たいていは本文を書き終わったあとに書く。
- 身体の問題と思わされてることが問題メディア環境や社会に誘導された振る舞いによって体に歪みが蓄積する。
- 好きだったものに向き合えなくなる単純なキャンセルカルチャー(嫌いだったやつが問題を起こしたから消していい) とは別の現象。
- 好きなものは一緒なのに表出が違うその辺にいる人たちはみんな聞いているものが結構同じなのに、 表出が微妙に違うから「違う人なのかな」と思ってしまう——しかもみんな忙しいので ちゃんと聞かない。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 選挙はレイヤーが違う「入れたいところがない」「白票なら行かない」と言う福尾に対して、荘子itが返した話。
- 全部がテロリズムになる日本の公共空間では、ハプニング的なパフォーマンスがギリギリ共存する感覚がなく、 みんながスマホを見てじっとしているか、地下鉄サリン事件のようなものが起きるかの両極になる。
- 躁でも鬱でもなく平熱「人の欲望に手を突っ込むな」という福尾の言葉がツイートとして伸びたことについて、 荘子itは「対立せずにこの微妙な塩梅で考えよう、ということを言っているんだと思う」 と読む。
- 疎という一文字流行語大賞の話から、「ソとミツ」が流行語だったらかっこいい国だ、という流れになる。
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- それぞれ勝手にやっているからやりとりが発生する葉山莉子がTinderでマッチした相手に日記を送っていた——一番多いときは 同時に100人へ——という話から福尾が引き出した形。
た
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、 という福尾のツイートから。
- 大二病大谷能生の言葉とされる。
- 立ち上げ恐怖症前の回で話題になった福尾の症状。
- 他人の日記福尾が構想している日記本のタイトル。
- 男子校的コミュニケーションの感覚の歪み荘子itが東浩紀の髪について「ハゲ散らかした」と言ったことを、 福尾が休憩中に「言葉としてそういう表現をするのはいかがなものか」と指摘し、 荘子itが放送に戻ってから訂正する場面。
- チャチさを乗り越えた先の熱狂日本語で喋る白人の少年、ありえないほど目の大きい美少女キャラ、カチカチとボタンを押して テキストを進めるエロゲー。
- 抽象的なものを作るという具体的な操作抽象的なものを作るのは変なことだ、と福尾は言う。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 著者を喜ばせるための引用ではない「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
- 沈黙が悪じゃない状態界隈なり領域なりを作った上でそこを閉じると、 その中に言うべきことがぎっしり詰まっている状態になる。
- 強い解釈を持っている人の話が面白い批評好きのあいだには「テクストをちゃんと読もう」「解釈や一般的なイメージに逃げず、 細部を見れば解釈を超えるものが出てくる」というセオリーがある。
- DJが大事「DJが大事ってあんまり思ったことなかったな」と福尾が言うと、 没は「混ざり合わないように見えているところの見方を見せているものだから」と答える。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」 と思った。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- デフォルトモードネットワークで仕事している『ADHD 2.0』によれば、脳には「デフォルトモードネットワーク」(ぼーっとしている、 特に何をしているわけでもない状態)と「タスクポジティブネットワーク」 (いまこれをしているとはっきりしている状態)があり、 普通はそれを切り替えながら
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の 講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 点はてな「?」の前に読点を1つ打つ用法。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として 動物が機能する。
- 読者が調教される本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
- 年を取ると自動的に分かる33になって、リアルポリティクスについて自分なりの意見を持てるようになってきた感覚がある。
- ドパガキ「ドーパミン中毒のガキのための音楽」の略。
- ドブ板選挙トークイベントで数十人を相手に話し、サイン会で一人ひとりと2、3分雑談する。
- 努力に対して報酬があると理解させる福尾のエッセイ講座のレジュメにあった原則。
な
- 内実が分からないとモンスター化する『ブラックボックス・ダイアリーズ』の捜査官A——伊藤詩織にきわめて協力的だった人物が、 最終的に彼女をひどく傷つける。
- 内面なきプライバシー『人事』で使った言葉。
- 二重底構造組織の外側に対して「そんなのは昔の話だ」と言うのと同じように、 もともとの支持基盤だったはずの、その主張を今も大事に思っている人たちのことも、 中心にいる人は冷めた目で見ている。
- 二重の閉じ込め相模原の事件では被害者が匿名報道された。
- 日記のリアリティライン日記はプライベート、エッセイや評論はパブリック、と大雑把に分けられそうだが、 日記にも公共性と私秘性の両方がある。
- 入門書のジレンマ福尾が書き始める初の新書のモチベーション。
- 人間の本当の仕事は感動することトラックメーカー講座をやろうという話が出たときに荘子itが思ったこと。
- ネガティブ・ケイパビリティが嫌いネガティブ・ケイパビリティとは、決断や判断をして何かをやるポジティブな能力に対して、 ままならなさやどっちつかずの状態、矛盾を抱えたまま生きられることも 一つの能力だ、という考え方。
- 脳の容量の取り合い同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
は
- 拝見してくださいという構え遊就館は「見てください」ではなく「拝見してください」という、拝んで見る対象として リプレゼンテーションされている。
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。
- バカし合い込みのリアル頂き女子りりちゃんや国際ロマンス詐欺と並べて考えると面白い、という文脈で。
- 白昼夢感『旅と日々』『海辺へ行く道』『ミゼリコルディア』のような、 フィクションでもドキュメンタリーでもない淡いのものを、つい「夢みたい」と言ってしまう。
- 恥とかっこよさのバランスリアルな傷や人に言えなかったことを出せているから偉い、という話ではない。
- バックヤードを裏庭と訳すベネズエラ関連の報道で、トランプの「中南米はアメリカのバックヤードだ」が どこでも「裏庭」と訳されている。
- 発見であって作為ではない『8番出口』が面白いのは、ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』という 遠いと思われているものの相似形を「発見」して、それをそのまま愚直にやっているから。
- 発酵というメタファーが嫌い自分の考えが育っていくことを「発酵」で語る言い方——頭のなかに放り込んでおけば 2、3年経って勝手にいいアイデアになる——が少し前に流行った。
- 葉っぱの影が白いシャツの上を流れたWilliam Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
- 花火が繋いでしまう利賀村の演劇は、日本で断絶したものを毎年やり続けているという意味で 「取っつきにくさの最高峰」なのに、花火があることでお祭りとして機能している。
- 花火と爆弾音楽でぶち上がること、花火を見てぶち上がること、爆弾の爆発を見てぶち上がることは 本当は繋がっているのに切り分けられている。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。
- 反戦だがそればかりの世の中とも距離があるこうの史代の変わったバランス。
- 引き裂かれている状態から出発する哲学はヨーロッパのもの、ヒップホップはアメリカのもの、というのは前提にしていい。
- 非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まって出口がなくなるに決まっている。
- 非対称性の保存現に存在する暴力を、芸術はある意味で別の形に保存する。
- 非対称性を肯定する世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
- ヒットアンドアウェイ方式日常のすべての面を切り売りしても、友人と接する時間に当てることはできない。
- 一人で完結するプロジェクトは意味がない樋口恭介の選書で、カーネギー『人を動かす』が『構造と力』や『アンチ・オイディプス』と 並べられていた。
- 批評という言葉の三つのレイヤー日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という 作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている 文化圏。
- 批評にもっと期待していい黒嵜想と話して出てきたこと。
- 批評はステルス化する批評能力は、もっともらしい批評文を書くという形では達成されなくなっていくのかもしれない。
- 批評は人間関係の話しかしていない考察より思想のほうが面白い・偉いと、批評をやっている自分もやはり思う。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 評価エンタメ評価すること自体がコンテンツになっている状態。
- 標準語のタメ口で疑問文が言えない福尾が前々からずっと気になっていること。
- 標準語はフィクションの言葉標準語のタメ口の疑問文はどこかキャラクターっぽい、と福尾は言う。
- フィールドを決めて競技化するアメリカではギャングっぽい人が意味の分からないビートに乗っていたり、 ドラムのない曲をやっていたりする自由さが——インターネットのおかげで—— しかも天然で起きている。
- 不合理なものの保存ボクシングは二人でお互いの頭部を殴り合うという、客観的に見れば完全に不合理な競技で、 その危険さ自体が競技の価値にもなってきた。
- 二人で一個の脳を使っている福尾夫婦は二人とも家にいる時間が長く、二人だけで過ごす時間がめちゃくちゃ長い。
- ブドウが実は最強だったフルーツとしてのブドウは甘さという土俵では他に負けるし、ブドウジュースも リンゴやオレンジに比べて大したものではない。
- 不用意に前提されるつらさみんな疲れているしみんな辛い、という前提の上に人文系のコンテンツが積み上がっている状況への違和感。
- 振付「唇をつけずに北海道と言ってみてください」と言われてやってみると、 もともと唇はつかなかったと気づく。
- 文化こそが国防軍事力や核による抑止ではなく、リスペクトと愛着があるから揉めたくない、という形で 平和が保たれるのが本当は一番いい。
- 閉鎖性への憎悪『ソーシャルメディア・プリズム』を読んだ福尾の結論。
- ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今でこそ半笑いの対象にされがちだが、 中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。
- 勉強するとキモくなる千葉雅也『勉強の哲学』(2017年)の核心。
- ポストポストアポカリプス番組名の候補として挙がった福尾の言葉。
- 本好きの壁福尾が勝手にそう呼んでいる現象。
- 本当に言いたいこと言いたいことの内容で勝負する局面ももちろんあるが、そんなにしょっちゅうはない。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが 気になる、と福尾は言う。
ま
- マイクチェック1、2で決まるリハーサルでbilly woodsがラップし始めた瞬間、「一瞬ラップやめようと思う」。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ 距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 真逆の方向から作者を殺す考察は「著者の意図」というフィクションにすがりつくことによって、 かえって著者の意図を裏切っている——そこが面白い、と福尾は言う。
- 真ん中から始めるフォークナー『八月の光』を読んだ福尾の見立て。
- 見晴らしのいい島宇宙町山智浩が東浩紀のスクリーンショットを延々と投稿し続けている、という話から。
- 耳学問の強さ福尾が参政党の神谷について言ったこと。
- 無惨でもなさ福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
- 無時間的な間遊就館の最初の部屋を福尾がそう呼んだ。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 目クリクリのZ世代北海道ツアーで対バンしたギザドド/ドゴ。
- メタとベタの秘密結社リアリティショーのベタな出演者と、それにメタなツッコミを入れるスタジオのタレント。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- 物語だけがドライブしていない状態物語が大事なのではない、と言い切って本当に物語を退けると、それはそれで面白くない。
や
ら
- ライフとログ福尾の講座「日記の哲学」全体のテーマ。
- リアリティのゲージが上がる韓国でKanye Westのライブも観たが、写真家の展示やDMZのツアーを通して 韓国と北朝鮮の分断について「自分のなかのリアリティがぐっと増す」感覚のほうが充実していた。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- 理論を作って渡す人文的なものを「僕らがやっていることを皆さんもできるようになります」 という能力の形でプレゼンすることも必要だとは思うが、 福尾はそっちにはあまり興味がない、と言う。
- 令和人文主義は誰も自称しない令和人文主義という言葉は不思議なことに誰も自称せず、 「自分以外みんなそう」という形でしか使われない。
- 練習という概念がないゴダールは、映画監督には音楽家やスポーツ選手のような練習の概念がないのが問題だと言った。