一覧
概念
あ
- アートウォッシュされた街福尾が住む黄金町は、その典型だと言う。
- アイロニーと人生劇場は違うはずフィクションは必要だ、そんなものを誰も信じていないのは分かっているが、 それがないと維持できないものもある—— 東浩紀のそういう冷めた感じで幻想を肯定する語り方に、 リアリスティックな態度だとは分かりつつ違和感がある、と福尾は言う。
- アウトプットまで連れていく非常勤の授業は200人規模で、単位のためだけに受けている人が多い。
- アウトリーチという言葉が嫌い大学でよく使われる「専門知を社会に還元しましょう」という言葉。
- あえて性を脱色する90年代の美学で言えば、それは 「透かし」「外し」 として言われていたもの。
- 憧れ消費とパーツ買いブランドのルック写真で完璧な世界観を見せられると、 福尾は 「そのうちの1個のズボンしか買わないんだから、それできないってことですか」 と逆に圧を感じる。
- 浅くやっているなら逆に許せる福尾が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を中学高校の頃に見て 「こんなすごい嫌な商売をしているな」と思ったこと—— 悲しさや人間の醜さを使って人の感情をかき乱しているが、それは何のためなのか。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- 新しい競技を作っている喋りが面白いと言われるのは、それがすごく音楽的だからだと東は言う。
- 当て馬を敗者と呼ぶこと荘子itが昔から好きではない価値観—— 振られたほうが劣位に置かれるという前提。
- アドマチックドパガキの対義語はセロトニンおじさんではなくアドマチであってほしい、と福尾が言い出す。
- 改めて世界を肯定し直す世界観が違うとは言っても、自分が音楽で伝えられることは 究極そこなのだ、と荘子itは言う。
- あらゆる音に乗れるbilly woodsがインタビューで「ヒップホップで一番好きなところは、何にでも乗っかれるところ、ラップは何の上でしてもいいところ、どういう音楽にでもなり得る可能性があるところ」と答えていた。
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- あらゆるものはフェティッシュである画質の悪い映像やレコードのノイズに反応してしまうのは、メディア経験の刷り込みなのか、原理的なことなのか。
- アングルが良くない喧嘩をしないのは生ぬるいかもしれないと思いつつ、「サロン商売がどう」というアングルでは別に喧嘩したくない。
- 暗号みたいな言語が文化を守っている**日本語を書くのは、それ自体がブルシットジョブのようにめんどくさい。
- アンチとして生まれた片割れは続かない音楽のライブが宗教的・カルト的な集会になるのは嫌だから、 街のお祭りのように誰でも入ってくるものにしたい—— その二項対立はめちゃくちゃよくあるものだ、と荘子itは自分で言う。
- いいやつだと思われたら終わりケアという言葉を使いたがらない理由として福尾が挙げる、自分のポリシー。
- いい奴と思われたら終わりいい奴のほうがいいし、いい奴である側面も必要なのだが、 誰も加害ということから無縁ではいられない。
- いいんだろうなと思って見ない**みんながいいと言っているから、いいんだろうな—— そう思ってしまうと、その時点でもう興味がなくなってしまう。
- 言うべきこと製造機インターネットも、ポッドキャストも、カルチャーも、アカデミズムも、「言うべきこと」を無数に生み出し続けている。
- 家ではなく街に住んでいる家が一回なくなっても外側に街があるのは素晴らしいことだ、という荘子itの実感に、福尾が書きかけのエッセイを重ねる。
- 言える券を配ってしまう自分の意見が広まって使ってもらえるのは嬉しいが、それが半分「何かを言うための口実」になってしまうと嫌だ。
- 意外だと思われなくなったら終わり最近いろんなことについて発言すると 「荘子itがそういうの、意外だな」とめっちゃ言われる—— それを荘子itはありがたいと思っている。
- 生きざま2.01年ほど前に福尾が言った概念が、この回で繋がる。
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- 異形の顔ジャケ荘子itが本当に大好物だと言うもの。
- イキリじゃなくイキイキ映画を見て 「生きろ」ではなく「生きる」を感じた、 それもひらがなで、と荘子itは言う。
- 行くまでの道中も含めて鈴木忠志の演劇を利賀村まで見に行くことについて。
- 痛がゆいコミュニケーション言っちゃいけないことを言ってしまう、というタイプのコミュニケーション。
- 痛みの強度データの扱いがおかしい/解釈が多様だ、という応酬をいくらやってもしょうがない。
- 1億分の1であること福尾が生まれて初めて投票に行った回。
- 一行一行で揺れる自己開示という言い方はあまり好きではない、と荘子itは言う。
- いちごパンツの本能寺荘子itが物を考えるということの原点として挙げる年号の語呂合わせ。
- 1対1の関係を超えるつもりがあるか結婚をどう考えるか、年の離れたパートナーをどう考えるか—— その二つに共通するのは、今の1対1の関係を超えるつもりがあるかどうかだ、 と福尾は整理する。
- 一度英語を通過した語彙村上春樹の面白さの源として福尾が挙げるもの。
- 1日の終わりのジュースのために作るその陶芸作家は、作品ができて展示されても何も嬉しくないし、人に見てもらいたいともそんなに思っていないらしい。
- 一切の数字を見せないでくださいTaiTanがプロデュースに関わっている番組で、 出演者が最初の打ち合わせで一言だけ強く言ったこと—— **僕に一切の数字を見せないようにしてください。
- 一周目おじさんDos Monos内で一時期流行ったミーム。
- 一生覚えていられるものTHEATER Dのようなライブに時間を使いたい、こういうことだけで本当はいいはずなんだ、と福尾は言う。
- 一緒に面白くなっていこう岩崎の周りには「同世代みんなで上がっていこう」「一緒に面白くなっていこう」という感じがある、と荘子itは言う。
- いつもここから性人間には「いつもここから」と戻ってこられる場所が必要だ、という話。
- 意図せず視点を行き来しているリリックの中で語りの視点が移っていることについて、 そこまで意識していないと荘子itは言う。
- イベントレスネス日記が試されるのは、何もなかった日だ、と福尾は言う。
- 今か今じゃないか『ADHD2.0』にある時間意識の説明。
- 意味自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使いはじめている。
- 意味より強度、の使われ方宮台真司ですらドゥルーズを参照して「意味より強度」と言うが、それは物語なんか信じないで情動と溢れんばかりのものにまみれようぜという、ある種ドパガキ的で30代的な物語でもある、と荘子it。
- 嫌なものに名前をつけるのは得意自分が嫌なものに名前をつけるのはすごく得意だ、と福尾は言う。
- 色がつかないようにする千葉雅也が『置き配的』を、出てから半年ほど置いてから読み始めた。
- 引用リツイート1回で終わらせる保育園で、うちの子のおもちゃを取られた子が「使っちゃダメだよ」と言って帰っていった、という話から。
- 上の世代のステルス転向東浩紀が世代論として語っていたこと、として荘子itが紹介する。
- うずまきと貨幣伊藤潤二『うずまき』の単行本巻末に、佐藤優が書いた解説。
- 内と外の区別がぼやける低気圧の話を受けて福尾が言う—— **内的な自分の内側の状態と、外側の状態の区別がぼやっとしているんじゃないか。
- 宇宙人と恐竜2002年生まれの人たちがやっている『宿り木』という同人誌のインタビューを受けた話から。
- 裏返しになったドゥルーズ=ガタリ疎の街の放送後記を、二人が毎週交代で書いている。
- 売れなくても稼げる「自分たちの世代で売れるということは可能なのか」という 23歳の大学生からの問いに答えて。
- エアヘッデッドネスとレディオヘッド千葉雅也のギャル男論では、 ギャル男のふわふわツンツンした髪が エアヘッデッドネス(頭空っぽさ) という概念で名指される。
- エアリプは受信した側が成立させる本人にエアリプをしようというつもりが全くなくても、 エアを察知する人間が一人でもいれば、もうそれはエアリプなんだ—— 福尾がそう言い、荘子itが乗る。
- 映画音楽は一切サンプリングしていない映画音楽っぽい、映画っぽいと言ってくる人が多い。
- 映画に一番似ているのは映画館を出た後の雨ドゥルーズ『シネマ』の議論。
- AIに敬語で聞いてしまうChatGPTやGeminiに、なぜタメ口で聞けないのか。
- AIに自分が強化学習される福尾が言う——**AIに自分が強化学習されてしまう。
- AIは密で、人間の脳は疎AIは人間の脳とは全然違うモデルなのだ、と福尾は言う。
- ADHD的な展開荘子itはプログレッシブ・ロックが好きだから「ヒップホップのくせに展開がコロコロする」つもりでやっていたのに、海外のレビューで「ADHDっぽい展開」と書かれた。
- ADHDの身体をプレイしている2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
- AとCの関係はAとCだけで変わらない離婚の報告のあとで福尾が言う。
- エクスペリメンタルライフいわゆるヒップホップの「リアル」に最初から入門していない自分は、 現実との結びつき方を別のやり方で作るしかない——という流れで出てくる。
- エゴドキュメントのナショナリズム利用遊就館の最後には戦没者の手紙や写真が集められた部屋が続く。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- SNSの人格が固定していくXでの口調がころころ変わるのはなぜか、という話。
- エネルギーとエネルゲイア三人で話していると元気が生じて、実際に元気になる—— そこから荘子itが言うこと。
- エネルギーは発見するもの**エネルギーは、体の中に眠っていても気づけない。
- エビデンスなきファクト**エビデンスがしっかりある情報など、もともとほぼない。
- 演じている自分と野晒しの自分**ラップするときの声と、喋っているときの声は全然違う—— やっていることは声優と同じなのではないか。
- オーディエンスに向けた戦いSNSのレスバトルは、本当の論争をしているのではなく、それを見ているオーディエンスに向けている——という話から荘子itが引き出すこと。
- 公に出すからこそ偏った主張ができる創造的な非対称性を荘子itが受ける。
- お金がなくなっても別の権力の形が残る成田悠輔が『令和の虎』に出て 「**希望金額はマイナス1億円です。
- 置きに行ってるぞ、と気づく文章を書く覚悟について訊かれて福尾が答えること。
- 置き配写真館の構造的な問題自分の家に届く置き配写真は、毎日歩いている玄関先を無造作にピンボケで撮った写真が急に送りつけられてくるという、めちゃくちゃ不気味で変な体験だ。
- 置き配的コミュニケーション福尾がこの回で与えた、本のいちばん短い定義。
- お気持ちと実感ニック・ランドはリベラルを皮肉って「声の政治をやっている人たち」と呼ぶ。
- 奥行きは作りたいが、広がりではないこの番組にも奥行きは作りたい。
- お互いの劇場の領域が被っている自分の物語の登場人物にしてしまう、というのはあまりしたくない。
- オタクが生み出した巨像としての暴れん坊ドラム缶を叩いていたドラムのカズについて。
- オタク的価値観僕と君は地球の裏側で、同じ空も見ていないけれど同じ電子音だけで繋がっている——東京はそういう価値観を作ったのだと東は言う。
- 音数が少ないのは意図であって意味ではないカニエの音数をめぐる論争について荘子itが言うこと—— **単に音数が少ないというのは意図の話であって、 それ自体が意味だということではない。
- 男同士の本当の気持ちは言葉にされない『見晴らし世代』で、父と息子の和解——和解ですらないもの——は完全に非言語的に行われる、と荘子itは言う。
- 同じことをやり続けるくまだまさしがプリティ・ウーマンを2000回観るように、利賀村の鈴木忠志が毎年同じ演目をやるように、マームとジプシーがセリフレベルで同じものを繰り返すように、晩年のゴダールが何を見ても同じ感触であるように、一個の作品として取り出すことが不可
- お悩みリフォームの匠福尾が前々からやりたい企画。
- オフにオンするもの眼鏡は、顔を出すアイドルやタレントにとってオフのときに付け加えるもの、オンのときに外すものである。
- オフの側を感じさせるから魅力になる眼鏡の話から。
- 覚書は告白の逆フーコー晩年の仕事として福尾が説明する。
- お前がそっちをやってくれているから俺はこっち『ホーリーランド』の作者と『ベルセルク』の作者は中高の同級生で、 かっこつきの現実志向(路上での喧嘩のエピソードを漫画に投入し、 社会学的なアプローチもする)と、 かっこつきの創作の深みにハマっていくスタイル(ずっと漫画を描いていて、 漫画
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- 面白かった/つまらなかったと別の次元家族で話題の映画を見に行って、つまらないと思ってしまったときのこと。
- 親が増える結婚して一番びっくりしたことを福尾が語る。
- 降りることにすら名前がついている**降りるのも、降りることにすらデジタルデトックスという名前がついてしまっている。
- オルタナティブとインディペンデントは別物福尾がある美術展のぐだぐだなトークイベントで主催者を批判しながら言ったこと。
- 愚かさを肯定するところまで行くべきではないか作品の外側に口実が逃げているの裏返しとして福尾が言うこと。
- 音楽に啓蒙はいらないそもそも音楽が好きじゃない人に「音楽って素晴らしいんですよ」と言ってもしょうがない、と福尾。
- 音楽は密でも嫌じゃない**言語的なものだと、密だとイコール「ちょっといいです」になってしまう。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 音源と何も変えていないBy StormやParker Coreyはトラックにエフェクトをかけたり引き伸ばしたりしてライブなりの盛り上げ方をするが、billy woodsは違う。
か
- カードゲームみたいな批評つまらない批評は「ここでこの名前を出す」というカードゲームになってしまう。
- 解釈が必要な人毎朝5時に起きて20キロ走る元ゴールドマン・サックスの人には、なんだか一個抜けているオーラがある。
- 会場に着いてからセトリを考え直すつくばロックフェスの話から。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」というツイートがあった。
- 描いていないことで本当らしさを出すブラックボックス展以降のホラー作品について。
- 書いている間は金が発生しない受注仕事以外の作曲や執筆は、何ヶ月作り込んでいてもその間は収入がない。
- 快適なプロフェッショナリズムミノミュージック的な世界観で言えば、YouTubeで毎回ちゃんと企画を立てて数字を取っていくのがプロフェッショナルなあり方で、ポッドキャストは大して儲かりもしないのに友達同士で集まって喋っているだけ、ということになる。
- 「回」という言葉を取り返す継続性——週一性のようなものが、YouTubeによって破棄され、無効化された。
- 解放される対象であることを拒否する荘子itは「ヒロインと恋愛関係にならずに、彼女を負のループから解放する」タイプの話がすごく好きだ。
- 顔が見える福尾が Dos Monos について前々から思っていたこと。
- 限りなく書きながら録る沖縄のホテルに缶詰で、明後日のライブ用の歌詞を書いている。
- 学術書の謝辞問題英語圏の学術書には100人規模の謝辞がつくことがある。
- 格調高さと変さが共存しているオリヴェイラ『カニバイシュ』について荘子itが言うこと。
- 家具とは動かせるものドゥルーズが二項対立を「家具みたいなもの」と喩えていることについて。
- 確認しておかないとシーンにならない少し活動していたのに認知されないまま消えていく人がいっぱいいる。
- 家具の音楽フランス語で家具は meuble、英語の mobile に対応する「動かせるもの」である。
- 過去に戻るのを許す福尾は2〜3年に一度、村上春樹の小説をまとめて読み返す季節がやってくる。
- 風通しと埃海や川はずっと流れ、波打っていて、何かがそこに滞留し続けることは基本的にない。
- ガチャガチャ感こそがリアルリアルなものは透明でシンプルなフォーマットに収まると思われがちだが、むしろバラバラでまとまりがないことのほうがリアルだという逆説。
- 括弧つきの男の子っぽさ『8番出口』を絶賛したが、あれもいくらでも批判の余地がある、と荘子itは言う。
- 過保護と放課後村上春樹をめぐる言説を見ても、売り方としてパッケージングされた通りの消費のされ方しかしていない感じがして、それは寂しい——という福尾の話に、「過保護だと」「じゃあ密の次は過保護」と名前が付く。
- 過保護になることでタフネスが抜け落ちる福尾が書いた『カホ』の書評について。
- 噛ませ犬の噛みが道になるいま『バキ』でジャック・ハンマーに光が当たっていて、その最大の武器が噛みつきになっている、と福尾。
- 我慢比べの世界で虚弱の価値を語るホストの世界は超パワー、というよりタフネス、つまり我慢比べの世界である。
- 画面の中で本当に起きていると信じられるか映画になったとき、画面内で起きていることとメタ視点が分離している状態だと面白くない、と荘子itは言う。
- カモノハシ的な存在『博覧狂気の怪物誌』で重要なモチーフになっている、分類不可能な全てを兼ね備えた存在の象徴。
- カルチャーオラつき系出版の現場でやばいのは品行方正系ではなくオラオラ系だ、と福尾。
- カルトを減らして神を増やそう加藤さんの『福音派』をめぐる対談の結論として出てきた標語。
- 環境と社会は違う『非美学』で書いた話として福尾が持ち出す。
- 関係が物になるダッドシューズ、ボーイフレンドデニム—— **服では、関係がそのまま物になっている。
- 漢詩のほうが成り上がり大岡信『日本の詩歌』は、万葉集や古今和歌集からではなく 漢詩の話から始まり、最初に取り上げられるのが菅原道真だった。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- 感想ツイートに懸賞金公式のトークイベントや帯コメントの推薦よりも、ポッと出たかのような感想ツイートがみんなの問題意識に接続して一気に跳ねる。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが左手のない猿を評した言葉。
- 管理されることへの無抵抗利便性と国家による管理を天秤にかけたら、というリスナーの問いに、 二人ともあっさり管理される側に傾く。
- 機械を通じて人間性を感じさせる没のリリックに出てくるセオ・パリッシュとトラックスマン。
- 企画という口実「寝た方がいいよ」と正面から言っても救えない。
- 記号が現象に還元され直すアルフレド・ジャー『広島広島』の終わりについて。
- 記号的なところから入って生きて見えてくる福尾はヒューマンスケールの漫画があまり読めない—— 人外どうしが戦っている漫画でないと読めない。
- 記号の波が通り過ぎただけゲスト回で、荘子itが一瞬だけわけの分からない記号の羅列を早口で言った。
- 記述する力という第三の力三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
- 記述には変なレバレッジが効いている有名な場所のことなら、細かく記述しなくても分かるかもしれない。
- 擬人化する余地がなくなっていくチャットGPTの人間っぽさより、荘子itが好きなもの—— **戦艦を美少女化する、競馬の馬をキャラ化する。
- きついと思うかどうかはお前次第村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』に出てくる格言——Pain is inevitable but suffering is optional。
- 記と紀古事記の「記」は言偏で、日記の記でもあり、国内向けの物語として書かれた。
- 気にしてもいいが気にしていると思われてはいけないアフターパーティーのイベントに「全身黒で行ったら怒られますか」と聞いてしまうリスナーの話から。
- 気分のランダムネスを手放さない料理も、ファッションも、音楽も、家具のように自分の生活の周りにあって、今日はこれを聴こう、これを作って食べよう、これを着て出かけよう、と気分に合わせて素直にできること。
- 鬼滅の刃とシャーマンキングの違い『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
- キモさを通過していないやつが面白くなれるのかリチャード・リンクレイターがゴダールの若き日を描いた『ヌーヴェルヴァーグ』の話から。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 逆言質「ちょっと困ってて」と下から相談の形で来ているのに、その実「これお前に言っといたからな」という言質をこちらに取らせて判定勝ちに持ち込もうとするコミュニケーション。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- キャッシュクリア広島の打ち上げの会計で福尾が財布をなくしたことに気づいた。
- 休符も音符と同じくらい意味を持つ音楽家二人のポッドキャストで「音楽は密だ」と言われて、 荘子itがいい指摘だと受けたこと。
- 行間が勝手に補完されるガンダムのように、裏に共有されたデータベースがあれば、穴だらけの描写でも強烈な快楽が出る。
- 教養が人徳を高めるのは統治者の論理文化系と新自由主義系のあいだの溝はどうすれば埋まるのか、という話。
- 許可された途端に疎がなくなる**「ここに彫刻を置けるぞ」という発見と、 あとから来た我々がその彫刻を発見すること—— その連鎖のあり方が疎。
- 曲を作るのはもう癖を作る段階荘子itが「ほとんどミュージシャンが嫌い」と言うときの中身。
- 虚構に上書きされた風景が原風景佐々木友輔の風景論の連載を荘子itが読んで。
- 虚構を現実化したい派と現実を虚構化したい派荘子itによる、めちゃくちゃ雑な分け方。
- 虚弱エッセイと体力お化け自己啓発「体力お化け」という言葉がよく使われ、ビジネスの文脈では「体力があるやつが最後に勝つ」と言われる。
- 記録に残らないものを記録する没のリリックに「早すぎて記録に残らない映像」という一行がある。
- 近所福尾がいま書いている本の主題。
- 近所は住人の数だけある最寄りのコンビニ、最寄りのスーパー、最寄りの駅—— その集合によって自分の近所は構成されていて、 それは確実に自分しか持っていないものなのに、 **誰ともバッティングしない状態で共存し得る。
- 緊張ステーキと駐車場ワンカップそれなりにキャリアを仕事人として積み、社会的な位置を得て、偉い人と緊張しながら美味しいステーキを食うのが幸せなのか。
- 均等に舐めたいベケット『モロイ』の話。
- 金曜ロードショー的小島秀夫の作品は「映画的」とよく言われるが、「金曜ロードショー的」と言ったほうが正確だ、というのが福尾の見立て。
- クイックな効果とズシーンと来るもの話題作を見てよかったと思った人の行動がどう変わるかを考えると、 **「確かに中途半端にやっていたかも、明日から真面目に頑張ろう」—— 本当に自己啓発的な効果を生む可能性が高い。
- 空間の中にプラットフォームがある置き配というシステムそのものより、それによって「空間というものがないことになってしまう」ことが一番の問題だ、と福尾は言う。
- 空間の話をしない空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 空気作りに貢献して何かいいことがあるのか東浩紀がXでリベラル勢力に向けて出した挑発をめぐって。
- くぐった後の感覚の変容が保証されている沖縄のアブチラガマに入った話。
- 草**「w」に笑いという意味が託され、 そこから「草が生える」を経て「草」と言えば笑ったことになる。
- 癖と曲荘子itが「ずっと一番大事だと思っていること」として語った話。
- 癖はメソッド化しにくい「癖の作り方」を訊かれた癖の発案者としての答え。
- クソを愛で続ける人たちの系譜『博覧狂気の怪物誌』刊行イベントのテーマだった肛門期固着について。
- 口が先に動くTaiTanに番組を褒められたとき、 **お礼ではなく「福尾がポストポストアポカリプスと言っていたのを 微妙だと思って『しっぽ』にした」という説明を早口でしてしまい、 「手柄を全部横取りしようとしている」ように見えてしまった。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- 暗いけど鬱じゃない福尾にとって**暗いことと鬱なことは全然違う。
- クリシェを部分的に自分に許すなぜそんなに書けるのかと訊かれた小説家が答えたこと—— **ここはクリシェでいい、というポイントをどれくらい配分するかで加速させていく。
- グルーミングのなさグルーミングは今でこそセクハラ・パワハラの温床である「飼いならし」のイメージが一般化しているが、もともとは毛づくろいの意味で、大事なものとして使われていた。
- 芸術の使われ方は三つしかなかったアラン・バディウによれば、芸術はだいたい三つの使われ方をされてきた。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを取らされてしまう。
- ゲームの不自由さゲームは万能感に浸れるものかと思いきや、むしろ一定の不自由さを楽しむもの。
- ゲームのレイヤーを変えられるワールドカップの日本対ブラジル。
- 劇場をやると人生の滑りも良くなる『人生劇場』というタイトルはポッドキャスト的なものに影響を受けている、 と荘子itは言う。
- 結果的にケアになっているもの荘子itも、ケアという文脈で語りたくないと思っていた—— **ケアという形ではなく、結果的にケアになっているもののほうが好き。
- ゲラチェックをしたくない日記本にゲラチェックを入れたくない、と福尾は言う。
- 権威づけのあり方が決まっている映画研究から出発した福尾が、 スクリーンに背を向けているいちばん大きな理由。
- 嫌悪感しかない立場の圧倒的な力大学時代、荘子itが一番よくコミュニケーションを取っていたのは 保守系の非常勤講師だった。
- 元気はその都度生じる元気とは、元々あったものを金のようにやりくりするのではなく、 その都度生じるものだ、と荘子itは言う。
- 言語化しようとしていない頭が悪いのか何なのか分からないけれど、 自分の人生をそんなに言語化しようとしていない、と没は言う。
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない(「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 現在は多層的な時間『平和と愚かさ』の書評に福尾が書いたこと。
- 検索ワードを見つけるために旅に出る東浩紀『弱いつながり』の、荘子itが簡潔でめちゃくちゃいいと言う定義。
- 現実のほうが強いことが暴かれる『シグルイ』の終わり方について。
- 現象学が嫌いケア的な文脈のコンテンツに心理的な負荷を感じる、という話を荘子itが「人によるよね」で回収しようとしたら、福尾から「現象学が嫌いなんだよな」という「マジでこいつしか言わないタイプの理由」が返ってきた場面。
- 現代美術はハイカルチャーだから扱うのではない「もっと社会学的なことやサブカル的なものを使わないのか」と言われることについて。
- 建蔽率福尾の比喩。
- 交換様式F柄谷行人の交換様式Dから始まる話。
- 高級なポイントの取り方福尾は文章をポイント制で考えている。
- 高校生バンドみたいなノリで始まってほしいポッドキャストが流行ってきているので、 **クラスの面白いやつと「実は俺も面白いんだよ」と、 昔で言えば「芸人一緒にやらへん?」というノリで、 「ポッドキャスト一緒にやろうぜ」というのが起きているとしたら、 それはめちゃくちゃバンドで、そう
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、尊敬しているように見える。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 構造は後からついてくるコード理論やポリリズムの構造から曲を作るのではなく、まだ分析の言葉がついていない現象から食らった体験をそのまま作品にする。
- 構造を追い切れないことが気持ちいいヒップホップのビートは、音楽理論で譜面に起こそうとするとかなり変なことをしている。
- 声を愛するには聞きすぎてはいけない黒嵜想の声優論の出発点として福尾が紹介する。
- コーチングは告白的である寝っ転がってスマホばかり見て、なんなんだお前は、と言うのがコーチングだが、それはやはり告白的だ、と福尾は言う。
- コカ性伊良コーラを飲む荘子itと、コカ・コーラを飲む福尾。
- 心の交流と性のあいだのジャンプ『青野くんに触りたいから死にたい』が良かったのは、最初がただの一目惚れ、ただ触りたい・セックスしたいという(しかも女性側からの)性欲でしかないところから始まり、お互いの人格形成に関わる家族の問題がすごい深度で描かれたあとで、「深い人間的交流
- 55歳は昔は定年65まで現役です、70でもまだ大丈夫、と言っている連中は、要は既得権益を守って実際には育てていないのだ、と東は言う。
- 5センチ浮いてしまう最初から高みにあるものを地上から仰ぎ見るのではなく、同じ目線で読み進め聴き進めていたら、いつのまにか5センチほど宙に浮いてしまっている。
- こだわりが重なると対立が鋭くなるSNSの投稿の句点ひとつにも没は本気で切れて取り下げ、再投稿する。
- ゴテゴテしているが馴染んでいる家具の音楽と言っても、全てがIKEAのように馴染んでいるという話ではない。
- ゴドーが来ると分かっている状態でゴドーを待つ深夜1時の横浜スタジアムの敷地内で、キャンプ用の椅子に座り、電子タバコを片手に、ドリンクホルダーにビールを入れてスマホを見ている朝まで何かを待つおじさんについて。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感がダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、という順序が前提になる。
- 言葉の株価が上がる『置き配的』が出て半年経ってから、また話題が上がってきていることについて。
- 言葉は交わされないまま戦う『呪術廻戦』は喋りながら戦う—— 術式を開示すると術が強くなる、という設定で正当化されている。
- 言葉は自動機械を生み出す言葉が先走ることへの葛藤はあったか、と訊かれて荘子itが答える。
- 言葉は全ての可能性に開かれている没のリリック「一人だけじゃかからない麻疹」について、 荘子itが 「橋か」=橋が架かる、と読めるのではないかと言う。
- 子供という矯正ギプス団地の話をした回で出た言い方を福尾が持ち出す——子供に矯正ギプスをつけるのではなく、自分が「子供」という矯正ギプスをつけてやっているんだ。
- 子供に未来を託すエンド自分に子供ができてから、子供に未来を託す系の終わり方に爽快感を覚えづらくなった、と荘子itは言う。
- 子供の抽象性抽象画というと大人っぽく高尚なものに聞こえるが、子供がアンパンマンやミッフィーを見てすぐ分かるような絵本的な抽象性と、芸術的な抽象性をダイレクトに繋ごうとしているのが岡崎乾二郎だ、と福尾は言う。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- 5秒の夢への恩返し毎日30分しか寝ないと言う人が出てきたとき、みんな半信半疑ながらどこかで期待してしまった——完全にガンダムのニュータイプと一緒で、ひょっとしたら本当なのかもしれない、これでいけるとしたらとんでもないぞ、と。
- 5分間だけ神になるポップスターのライブは、ファンダムが思い描くスターがステージに立っているという意味で宗教でしかない。
- 固有名とトーンしか聞かれていないポッドキャストもYouTubeも、結局「ここで誰の名前が出た」ということと、「優しそう」「聞きやすい」という人柄の話しか受け取られていない側面がけっこうある、と福尾は言う。
- コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に価値を見出した。
- これが奇跡ですよと指ささない『急に具合が悪くなる』はギヨーム・ブラックが撮影監督で、スタンダードとワイドの中間くらいの画面サイズで、さり気ないのにビシッと来る。
- これでしかないフォーメーションシンメトリーでも黄金比でもなく、すごくバラバラなのに「これでしかない」というバランスが舞台上に成立する瞬間。
- コンスタティヴとパフォーマティヴ「あいつの言ってることはパフォーマンスで」というときのパフォーマンスと、言語行為論のパフォーマティヴは違う、という話。
- こんなはずじゃなかった『Dos Monos』は月のアルバムとして、 伊藤潤二のジャケットのイメージ——幽玄でほの暗く妖艶な感じ——を 先に固めてからビートを作った。
さ
- 最後にカメラを引いて終わる日記のエンディングの型。
- 最後の平和ボケ2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
- 最初から一速でなければいけないバイクや車のギアの比喩。
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 遡って見つけたものを起源として祀らない日本的なものを求めて考え抜いた末に、素朴に右派的な結論に行ってしまう——中島岳志の縄文の本も、國分功一郎の『原子力の哲学』も、その解毒作用の本として読める、と荘子it。
- 作品そのものが批評として立ち上がるリスナーからの問い——単に状況を映すだけでなく、その状況そのものをえぐり出してしまう力を作品が持つのではないか。
- 作品の外側に口実が逃げている福尾が『広島広島』に感じた引っかかり。
- 作品を人質に取らなきゃいけない状態作品の取り下げという抗議のかたちについて。
- サッカーはサッカーだよねワールドカップ決勝。
- 雑誌の特集になりそうなものを飛び移る**福尾はA24の映画をまだ一本も見たことがない。
- 寂しさの消失2015年ごろまで人はもっと寂しそうだった、という福尾の現状認識。
- さらっとできたやつの方がDos Monosの新曲で、1年がかりで根詰めて作ったものより、最後にさらっとできた方がメンバーの反応もよく、ライブでも盛り上がる曲になりがち。
- 残虐行為の創作性ゼロ報じられた事件の内容について荘子itが言うこと。
- 35度超えの正解はまだ提案されていない半袖Tシャツと半ズボンをちゃんとおしゃれに着るのはめっちゃ難しい。
- 三すくみのヴァンパイア映画『罪人たち』の話から。
- 3対3対1000ワンマンライブの配置。
- 暫定的道徳デカルトが『方法序説』で、本当の真理の探求のために引きこもるにあたって必要だと言ったもの。
- サンプリングでジャケを作るジャケットの猿が着ている黒いパーカーは、もともと存在しないものだった。
- 3割打者と2割5分打者福尾が最近落ち着くのは、自分に全然関係ない世界のことを解説しているYouTubeだという。
- 視覚的なものはシャットダウンしづらい『チェンソーマン レゼ篇』の主題歌を、 荘子itは公開から数か月経っても聴いていない。
- 時間の量を増やしてもしょうがない片やショートスリーパー、片や村上春樹の「眠り」。
- 子宮という言葉で置く収録前に入ったベローチェで、隣の席の女性二人が 「子宮の力」の話をしていた—— 子宮を大事にすると女性としての美しさが磨かれ、人生も充実する、と。
- ジグジグとは、大工が物を作るときに、完成品には必要ないけれど、それを作るために差し当たり必要な支えや噛ませのこと。
- 自己開示すればするほど偉い空間福尾が大学時代、臨床哲学のワークショップ的な授業を何回か受けて 本当に嫌な空間だと毎回思っていた理由。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 時差があるとそう見えてしまうアルフレド・ジャーの初期作『This is America』は、 アメリカとは北米の一部ではなく、 アラスカから南米のチリまで含めた西半球全体のことだという、 70年代のUSA中心主義へのカウンターだった。
- 事実上の貴族院政権運営能力と選挙に受かる能力は全く別のもの。
- 自然言語の外側で返す物語を語ることも、折り紙を作ることも、自然言語の外側で日常の会話やコミュニケーションを返しているのではないか、という話。
- 下心が追いつかなくなる公開する日記はセルフブランディングでもある。
- 実家的なリアリティ丸山眞男『日本の思想』と鶴見俊輔の戦時期精神史を読んでいた福尾が見つけた線。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- 実際にあったことのパントマイム師になれドゥルーズ『意味の論理学』の言葉。
- 知っている人間がこんなふうに見える大学1年生のとき、TaiTanたちが劇団の1年生公演をやったのを見て、涙が止まらなかったという話。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 自伝と日記自伝は老境に差しかかった半分死んでいる立ち位置から自分の人生を全体化して書く。
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- 自罰的自己愛荘子itがしんどいときに読んで役に立った、斎藤環の本の論理。
- 自分が作ったものが自分を別のところに連れていく物を作って出したときに一番面白いのは、自分が作ったものが自分を別のところに連れていってくれるという感覚だ、と福尾は言う。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるようにならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」というリスナーの質問への答え。
- 自分で生み出すベーシックインカム福尾が完全フリーランス2年で 「普通に大学の先生になってもらえるくらいのお金は一人でも稼げる」 という感触を持った、という話から。
- 自分で提案するベーシックインカム離婚して逆に生活が整っている、という話から。
- 自分では確かめられないこと生乾き臭は自分では絶対に分からない。
- 自分のことも書かなければならない自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで投げ出していない。
- 自分の創作を暴力とリンクさせてしまうコッポラについて荘子itが言うこと。
- 自分を律するのはほぼ無理**自分を律するというのは、ほぼ無理だと思ったほうがいい。
- ジメジメしたところで育つアニメーターに聞いた話として荘子itが出す—— **池袋や渋谷は昔は沼地や水辺で、 風水的に悪い気があるからこそ繁華街として栄える。
- 示すのが批評だ前回の「三宅香帆は批評になっていない」というマジギレの話から。
- 地元の最高の先輩濱口竜介について荘子itが言うこと。
- 社会人2年目の病大二病の反対側にある病。
- 喋るのは一緒だが作るのはバラバラドゥルーズ語りの逆、と福尾は言う—— 二人で一緒に書くのではなく、喋るのは一緒だが、作るのはそれぞれバラバラ。
- 週1回スナップされる服番組が3か月前からビデオありになって、 **週1回、私服を見せるという形式になった。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 主体的に疎にしていく一緒に行こうと言われてすっぽかされ、一人で美術館に行くほうがいい。
- 10先という形式形式を発明したのも梅原大吾なのだ、と福尾は言う。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- 純粋なインプットがない気が向くままに本を読んでいるだけ、ということが全然ない。
- 正気になるのは実利でもある「正気になりましょう」「スケールを追い求めてもしょうがない」—— それは実は、経済的に今そちらのほうがいいんじゃないか、 ということでもある、と福尾は言う。
- 状況がとんでもなくなるほど冷静になる福尾が自分について言うこと。
- 状況がまず嘘みたいなところから本当のことが立ち上がる日本人としてラップをやっているのは相当変な状況で、 それで本当のことを言えるわけがない——という没の言葉を受けて、荘子itが返す。
- 状況へのリアクションを求められる新しいアイデアについて喋っている、という状況そのものを受け取ってもらえる場所がどんどん少なくなっている。
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 正直ベースから全ての嘘が始まる「正直ベース」「相談ベース」「質問ベース」——話しかける前にメタカテゴリーを宣言する枕は、大体同じことを言っている。
- 小説は報告から始めるべきでは上野の国際子ども図書館で手に取った石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』は、一文目からノンちゃんを紹介している。
- 小説を書いていても小説は良くならない「嫌いなものは」と訊かれて福尾が挙げたのが小説家だった。
- 象徴化の過程で失われるもの大きな事件が起こると、犯人をモンスター化し「その背景には日本社会のこういう歪みがあって」と容易に意味づけできてしまう。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 消費のされ方でコンテンツを分けるドパガキ的な分け方は、消費のされ方でコンテンツを分けている——それは結構不思議なことで、実はあまり今までなかったのではないか、と福尾は言う。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 職業としての嘘哲学者もアーティストも「ほぼ嘘つき」に近い職業である。
- 初等教育的な世界観ネタバレや考察が取り沙汰されるのは、 みんなが同じタイミングで同じものを見ているという前提があるから。
- 書評を依頼された時点で読者になれない作家二人の読書会で出ていた指摘として荘子itが紹介する。
- 序文というパレルゴン序文は順番としては一番最初に来るのに、たいていは本文を書き終わったあとに書く。
- 処方箋を出さないと精神論に翻訳される三宅香帆の本が「半身で働こう」という処方箋を提示するのに対して、『置き配的』が明確な処方箋を提示しないのは、ある種の誠実さとしてやっているつもりだ、と福尾。
- 知らないことがいいことでも悪いことでもない状態靖国の話をしたり日本の話をしたりしていて、「大事だと思って喋っているんだけど、本当かな」とふと思ってしまう、と福尾。
- 自律神経という救い呪いを解くのはめちゃくちゃ難しい、という話から福尾が出す例。
- 知ることは動詞21世紀に書かれる『新・人間知性論』とは何なんだろう、という福尾の問いから。
- 神格化をやめるためにまめに連絡する「好きになった人に忘れられたくない」という相談への処方箋。
- 人工的なリアルとリアルな人工性映画は自然主義的なものがかっこいいとされがちで、古くはアンドレ・バザンのモンタージュ批判から、今ならホン・サンスまで。
- 人生劇場の裏に暫定的道徳ありアルバム人生劇場と暫定的道徳の関係について荘子itが言うこと。
- 身体の問題と思わされてることが問題メディア環境や社会に誘導された振る舞いによって体に歪みが蓄積する。
- 信用できない語り手雨が止んだ瞬間に体が軽くなった—— でも気圧はそんな一瞬では変わらないはずだから、 多分俺の中の閾値を超えたんだ、と荘子itは言う。
- 信用と信頼自分がやろうとしている方向性は、いわゆる宗教的な「信じる」ではなく信頼という言葉のほうだ、と荘子itは言う。
- 信頼は信用と違う信頼は「信じて用いる」ではなく「信じて頼る」だ、と荘子itは言う。
- 隙があるからこそ規律を内面化するパノプティコンはほとんどミームになっていて、 一部の隙もない監視の網の目という意味で使われがちだが、 フーコーのテキストを読んで面白いのは逆だ、と福尾は言う。
- 好きだったものに向き合えなくなる単純なキャンセルカルチャー(嫌いだったやつが問題を起こしたから消していい)とは別の現象。
- 好きなものは一緒なのに表出が違うその辺にいる人たちはみんな聞いているものが結構同じなのに、表出が微妙に違うから「違う人なのかな」と思ってしまう——しかもみんな忙しいのでちゃんと聞かない。
- すごそうなオーラだけをまとうことに成功しているすごそうなオーラを出している——それは確かにそうで、 そのオーラだけをまとうことに成功している映画だから、 それがすごいのかもしれない、と荘子itは言う。
- ずっと歪んだ真珠でいるバロックの語源は「歪んだ真珠」。
- スパーシティ「疎」は英語にも輸入されてほしい、という話から。
- 座りの悪さこそが健康福尾が書いた「自律神経を批評する」という文章の内容。
- 政治的な発言とされる幅が狭すぎるそれぞれがしっくりくる形で言葉を言えるかどうかが大事で、自分は自分なりのやり方でそれをするしかない——という話のあとで、福尾が言うこと。
- 制度的にはそうなりました荘子itがこの回で離婚を報告する。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- セカイ系イコール日本セカイ系イコール日本みたいな話は決して嘘ではない、と東は言う。
- 世界のほうがそうなっているのではないか現実のほうが強いことが暴かれる作品のほうが上だ、 という話で終わらせずに荘子itが続けること。
- 世界は病院である鈴木忠志の演出の特徴は車椅子演劇で、役者がみんな車椅子で移動する。
- 世界への信頼は結局、神なのか世界への信頼を取り戻すという話を重ねてきたところで、 荘子itがふと言うこと——**やっぱり世界への信頼って、 結局は神なのかな。
- 世界への信頼を取り戻すいま、この世界を信じる・肯定するというのは難しいことだと思うけれど、それをやっている感じがあるし、自分もそれをやりたい——福尾がそう言うのを受けて、荘子itが最近よく言っていることとして出す。
- 切断性が大事負のループに入ってしまうと、その感情の動きの連鎖のなかに身を置いたまま、ずっと鬱状態から出られない。
- 善意は必ず罰せられるドゥルーズの言葉として福尾が挙げる。
- 全員が同じ画面を見ている梅原大吾が言っていて福尾が面白いと思ったこと——格闘ゲームが他のゲームと違うのは、対戦相手同士も、見ている観客も、全員が全く同じ画面を見ていること。
- 前衛的なのに子供の遊びっぽいECD とイリシット・ツボイのライブについて。
- 1984年は日記の本当のヤバさに届いていないオーウェル『1984年』では**日記を書くことが禁止されている。
- 選挙はレイヤーが違う「入れたいところがない」「白票なら行かない」と言う福尾に対して、荘子itが返した話。
- 先生と呼ばない保育園いま通っている保育園では先生を先生と呼ばず、みんな名前で呼ぶ。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 全体がバケツリレーに見える性加害があり、SNSに謝罪文が出て、そのなかでいろいろ言われていて、今は加害者プログラムを受けていて云々——その全体が半分バケツリレーに見えてしまう、と福尾は言う。
- 選択的にすると格差が生まれる夫婦別姓について、福尾は別姓より「選択的」の方に留保があると言う——選択にすると、別姓の方が「分かってる感」があって、そこで変な格差が生まれてしまう。
- 全パネルの色が違うルービックキューブ『千のプラトー』の読み方について、福尾が講座の概要文で使った喩え。
- 全部がテロリズムになる日本の公共空間では、ハプニング的なパフォーマンスがギリギリ共存する感覚がなく、みんながスマホを見てじっとしているか、地下鉄サリン事件のようなものが起きるかの両極になる。
- 千本ノックで言葉を鍛えられた今ならほぼパワハラと言われてもおかしくないような、超厳しいやり合い。
- 専門家ほど求められていないことをやる美容師がめちゃくちゃいい人で、めちゃくちゃこだわってやってくれているのに、 そんなに似合っていない——そういうときに何が起きているのか。
- そいつ自身は何を信じているのかいま、カルトや宗教的なものは知的にバカにされる雰囲気にあるので、 状況論としてそのポジティブな面を見ていきましょうという論調が出てきている。
- 総かり立て体制ハイデガーの Ge-stell の訳語。
- 総駆り立て体制ではない昼寝インドでは警備員が木陰で寝ている。
- 創作は破壊、批評はサルベージ**批評は虚飾を剥がして、それでも大事なところを見つける——サルベージ。
- そうしておくと楽だからポスターを貼る荘子itがカート・コバーンの言葉でいちばん共感したもの。
- 装飾と犯罪アドルフ・ロースの文章を福尾が初めて読んで、 想像の10倍くらい偏狭な人だったと驚く—— **人間の歴史は装飾を切り捨てていく歴史なのだ、 その原初的な形態が入れ墨で、そこから進歩して モダニズム建築という「ただの直角」にたどり着いたのだ、
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 相談という手を取った置き配相談の形をとってはいるが、実は「その人にそのことを言っとく」というメタデータの方が本体になっているコミュニケーションのこと。
- 躁でも鬱でもなく平熱「人の欲望に手を突っ込むな」という福尾の言葉がツイートとして伸びたことについて、荘子itは「対立せずにこの微妙な塩梅で考えよう、ということを言っているんだと思う」と読む。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- そこになかったらないですねEverything In Its Right Place の反対語は 「そこになかったらないですね」—— 誰かがXで言っていたのが面白かった、と荘子itが紹介する。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- 疎だと思えば疎、密だと思えば密疎密は物そのものの性質ではない。
- そっちにも心はあった黒沢清の時代劇について。
- 疎という一文字流行語大賞の話から、「ソとミツ」が流行語だったらかっこいい国だ、という流れになる。
- 疎という言葉自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使い始めている——誰も隅々まで正確に理解しているわけではない(福尾も含めて)のに多発的に応答されて、言葉ってこうやって命が吹き込まれていくんだ、と荘子it。
- 疎なデータから立ち上がるもの自分自身の経験と、日記に残っていくデータとのあいだには情報量のギャップがある。
- その通りに書きたいと1ミリも思わない『非美学』が読みにくい、という書評について福尾が言うこと。
- その時の自分を迎えに行く絶対に知っている名前(マルコ・ベロッキオ)が出てこないとき、どうやって思い出すかについて。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- その人の生活が現れている服関係が物になるの記号のほうでも、 オリジナルこそ偉いという進行のほうでもない、第三の側面として福尾が挙げる。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- そのものの対象として見る福尾の卒業論文は、ブニュエル『欲望のあいまいな対象』の分析だった。
- 疎密言うべきことで満たされた空間と、言うべきことがまばらな状態とを、単なる程度の差ではなく概念として分けるための対で、詰まっているほうが密、まばらなほうが疎。
- 疎密と疎密の対比これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
- 疎密は物の性質ではなく視点疎密はミニマリズムとマキシマリズムに対応するわけではない。
- それぞれ勝手にやっているからやりとりが発生する葉山莉子がTinderでマッチした相手に日記を送っていた——一番多いときは同時に100人へ——という話から福尾が引き出した形。
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- それぞれの痩我慢の説オールブラックソリッド野郎の話への疎の街のコメントで、「僕はこれからオールホワイトソリッド野郎で行こうと思います」と書いた人がいた。
- それを引き受けて全うしている一人の人間**アニメや漫画のバトルシーンは、 現実の戦争を描くことでは全くない。
- それを見ているのは誰なんだお互いの劇場の領域が被っているの先で出てくる問い。
- 存在からたまに通知が来る支払いの催促の話から。
- 存在していることを表明しなくていいすでに認められているブランドと何かをやるとか、 大きなポップアップをやって売上を作るとか—— そうやって外的な評価軸を作って、 そもそも存在しているということを表明しなければいけなかった。
- 存在しないものを相手にしている福尾が反出生主義を好きではない理由。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
た
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、という福尾のツイートから。
- ダイナモポッドキャストエキスポから一度帰ってもう一度行き、夜中に長文を書く。
- 大二病大谷能生の言葉とされる。
- 対バンではなく対話対バンの前夜、ドラムのカズが同期トラックを共有するとき 「明日もぶち殺そうぜ」と言った。
- ダイモンを感じるかどうか何かが確保されているわけではないのだから、神というより悪魔のイメージのほうがしっくりくるかもしれない、という話から。
- 体力ゲージとしての食事Dos Monosのドラマーのカズが言っていたこととして。
- 対話が続いていることが成功リチャード・ローティの議論として福尾が挙げる—— **対話が成功しているということの基準は、 対話が続いているということでしかない。
- 互いに相手のものだと思っている空間『都市と都市』の途中で出てくる、二つの都市の間に何があるのかの仮説。
- だから疎という概念を作った受け取る側が密だと思ったら、もうそれは密なのだ——先週のレディオヘッド性の話と同じで、そこは動かせない。
- 託してしまうことの暴力性大谷翔平や羽生結弦のようなスポーツ選手は、何かを託される人である。
- 他者が関わるルーティン朝、家を出るまでの15分20分の騒乱をどうすればなくせるか、 という話の解。
- 他者の魂を信じるための装置自分以外にも他者がいるということを信じる感覚は、アドマチックで生成される、と荘子itは言う。
- 立ち上げ恐怖症福尾が自分の症状として言い出す。
- 立場を分けるのはナンセンス「実存的か、社会的か」という分け方をめぐって。
- 他人の日記福尾が構想している日記本のタイトル。
- タバコの切れ目が1日の終わり生活時間もぐちゃぐちゃで、毎日決まったところに出勤しているわけでもない。
- タバコを吸わなくて済むようにタバコを吸っている鍼灸師に勧められて読んだ『禁煙セラピー』について。
- タフネスがパワーとして機能する前回のパワーとタフネスの話に、疎の街のコメント欄で読者が続きをくれた——マジック・ザ・ギャザリングにはパワーの値とタフネスの値が入れ替わる呪文がある。
- タフネスの二段階スラムダンクを全く知らない福尾に、荘子itが『THE FIRST SLAM DUNK』を説明しながら。
- 食べた方がいいと、何かしなきゃいけないのあいだ朝起きてから15分か20分、食べた方がいいということと、まだこれができていないということのあいだで、永遠にどちらにもたどり着かずに行ったり来たりする。
- 黙っていることが過剰な意味を持ち始めるSNSで発信しているタイプの人が、 **そういうつもりでなくても、今回黙っているということが 過剰な意味を持ち始める。
- 誰もが近所を持っているが、誰も近所を私有していない福尾が最近書いた近所についての文章の核心。
- 誰も薬の話をしないケアや精神分析の2020年代的な消費のされ方を見ていて不思議なのは、誰も薬の話をしないことだ、と福尾。
- 男子校的コミュニケーションの感覚の歪み荘子itが東浩紀の髪について「ハゲ散らかした」と言ったことを、福尾が休憩中に「言葉としてそういう表現をするのはいかがなものか」と指摘し、荘子itが放送に戻ってから訂正する場面。
- 男性声優が今一番かっこいい男声優のポッドキャストがめっぽう良い、というところから福尾が言い出す。
- 淡々と人が喋っているのを聞いていたいコテンラジオやゆる言語学ラジオのような教養コンテンツが来ているのは、教養の復権という話ではなく、ある程度長い、変な高低のないコミュニケーションをずっと聞いていられるということでしかない気がする、と福尾。
- ちいかわのレギュレーション改めて読むと言葉の配置のレギュレーションがめちゃくちゃ厳密だ、と福尾は言う。
- 違う意見の仲間を持つその通りに書きたいと1ミリも思わないを受けて荘子itが言う。
- 違うからこそ一緒になり得る福尾は満腹になりたいという欲望がなく、荘子itは大盛りにできるときに大盛りにしなかったことが人生で一度もない。
- 地下帝国自分の本がこんなにポッドキャストで取り上げられるとは1年前には考えもしなかった、 という話から。
- チャチさを乗り越えた先の熱狂日本語で喋る白人の少年、ありえないほど目の大きい美少女キャラ、カチカチとボタンを押してテキストを進めるエロゲー。
- 中尺思考青井スメインのポッドキャスト番組の名前。
- 抽象的なものを作るという具体的な操作抽象的なものを作るのは変なことだ、と福尾は言う。
- 中心にある音楽がかっこいいDos Monos はこの番組も含めて周辺のいろんなことが盛り上がっている—— ジェロニモや岩崎のような文化圏がすでに出来上がっている。
- 中毒にさせたいことは適度に禁止する子供がゲームばかりで心配、という話への返し。
- 超越性ゼロの会話定食屋の厨房で、おばあちゃんと中年の女性が二人で切り盛りしながら ずっと世間話をしている。
- ちょうど間にいるあり方をその都度発明する逆張りをするのでもなく、何気にそこにいるということでもなく、ちょうど間にいるようなあり方が、その都度発明されるべきだ、と荘子itは言う。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 著者を喜ばせるための引用ではない「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
- ちょっと泳がせてみる渋谷でたまたま入った無料の陶芸の展示で、一番好きだと思った作家が知的障害のある人の施設のアトリエで作っていた人だった。
- ちょっとつついたら泣いちゃいそうな自分**寂しさというものに向き合う時間が、今どんどんなくなっている。
- チルよりダル確固たるものではなく、バイブスや空気感を伝える単語ひとつでもいい——この番組でたまに言っている「チルよりダル」のようなものは必要だ、と荘子itは言う。
- 沈黙が悪じゃない状態界隈なり領域なりを作った上でそこを閉じると、その中に言うべきことがぎっしり詰まっている状態になる。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 使っちゃダメだよ保育園で、粘土を切る道具を他の子に取られて泣いていた荘子itの子供が、帰り際にその子の顔を覗き込んで「使っちゃダメだよ」と言って帰った。
- 次の時代のガコッガチャガチャした音楽が好きだが、 **ガチャガチャ系にもクールネスの型があって、そこにハマってしまう。
- 作り続けている姿のほうを受け取るうずまきと貨幣の分析は面白かったが、 それは出来上がった作品に対する分析でしかないと荘子itは言う。
- 作るための場も作っているアルバムの制作とこの番組は、原因と結果ではなく 同時期にやっていたことという平行関係でもある。
- 罪の意識と恥の意識をセットで考える罪の意識と恥の意識によって、自分の立ち方が異なる——その視点がすごく面白い、と荘子itは言う。
- 強い解釈を持っている人の話が面白い批評好きのあいだには「テクストをちゃんと読もう」「解釈や一般的なイメージに逃げず、細部を見れば解釈を超えるものが出てくる」というセオリーがある。
- 強さを諦める口実としての弱さ弱さを認めることも、弱さをちゃんとさらけ出せるようになることも大事だけれど、強くならないとダメだよね、と福尾。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- DJが大事「DJが大事ってあんまり思ったことなかったな」と福尾が言うと、没は「混ざり合わないように見えているところの見方を見せているものだから」と答える。
- 程度の差を本性の差として捉え返す言うべきことが密な空間と疎な空間を程度の差ではなく概念として分ける、という話の背景にあるもの。
- 程度問題という言葉が持つ無害化の力「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」と思った。
- テクスチャの内部浸透福尾が2019〜2020年頃に書いた概念。
- 出口そのものを作る批評が対象作品を価値づけるための回路が、めっちゃ少ない——すでに共有されている道徳的な良さに回収するしかできない、と福尾。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- テクニックの民主化がエリーティズムに反転する漫才のコンテスト審査や考察について福尾が言うこと。
- 哲学で全部に触るドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』について福尾が言うこと。
- 哲学の側に何かがもたらされるなら嬉しい蓮實重彥にあるのはある種の負けの美学だ、と福尾。
- 哲学の無教養主義はありえるか東の放送に、数年ひとりで哲学をやっていると言う若い参加者が来て、三島由紀夫も太宰治も知らず、東のことはひろゆき経由で知ったと言った。
- デフォルトモードネットワークで仕事している『ADHD 2.0』によれば、脳には「デフォルトモードネットワーク」(ぼーっとしている、特に何をしているわけでもない状態)と「タスクポジティブネットワーク」(いまこれをしているとはっきりしている状態)があり、普通はそれを切り替えながら生活し
- 店員と全く交わらずに楽しいモバイルオーダー問題、タッチパネル問題として嘆かれることについて、福尾は機械化自体は全然嫌ではないと言う。
- 天空と空中と地上荘子itによる音楽の三分法。
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 点はてな「?」の前に読点を1つ打つ用法。
- 東京コンプレックス東京という単語を使った曲を出そうと思っている、と荘子it。
- 東京の養分にならず貿易関係を持つ黒嵜想に「これだけいろいろやってるのに福尾くんはまだ全然東京色がついてないのがすごい」と言われたことがある、と福尾。
- 等身大のまま深いことを考える『非美学』を繰り返し読み込んでいる高校生からのコメントを受けて、 荘子itが福尾の中高生に親近感を感じられるポイントを分析する。
- 道徳的に滅菌された状態で消費されているダナ・ハラウェイの受け取られ方について福尾が言うこと。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として動物が機能する。
- 豆腐は疎な食材ストレス解消の話が麻婆豆腐に着地したところで。
- どうやって人は呪いを解くのか過去に人に言ったことが継承されて、呪いを背負ってしまう。
- トーンポリシングは大事「とはいえ」を言うかどうかの手前で、荘子itが問題にすること。
- 読者が調教される本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
- どこに錨を下ろすか子宮という言葉で置くの続き。
- 年を取ると自動的に分かる33になって、リアルポリティクスについて自分なりの意見を持てるようになってきた感覚がある。
- どちらの態度をとっても作品がないがしろにされる福尾があいちトリエンナーレのボイコットを思い出して言うこと。
- どっちの陣営にも読まれる『置き配的』が、対極にいるように見える人たちの双方から引用される。
- どのレイヤーにも本当の話はない誕生日にミルクレープを食べているだけなのに、 なぜこんなにエクスキューズをしなければいけないのか—— という流れで荘子itが自分について言うこと。
- とはいえボタン話が一周して落ち着きかけたところで、どちらかが「とはいえ」と言い出してしまう。
- ドパガキ「ドーパミン中毒のガキのための音楽」の略。
- ドブ板選挙トークイベントで数十人を相手に話し、サイン会で一人ひとりと2、3分雑談する。
- ドラムのないラップbilly woodsをはじめとする最近のアングラのラップの特徴として、ドラムのないビートがある。
- 努力に対して報酬があると理解させる福尾のエッセイ講座のレジュメにあった原則。
- どれも取れないジェンガ不調をどうにかしようとするとき、 何かをするのではなく、やめられるものを片っ端からやめるだけで本当はいいはずだ、 と福尾は言う。
な
- 内実が分からないとモンスター化する『ブラックボックス・ダイアリーズ』の捜査官A——伊藤詩織にきわめて協力的だった人物が、最終的に彼女をひどく傷つける。
- 内面なきプライバシーひとごとで使った言葉。
- 内容が全くない形式に従う気楽さジャーナリングの本は **「1日1行でいい」「1日5分でいい」と、 短時間ですぐ終わることをめちゃくちゃ推している。
- 内容ではなく説得力生成AIについての質問に答えるなかで出てくる。
- 名乗りを卒業する「Dos Monosの荘子itです/福尾匠です」という名乗りは第6回から荘子itが勝手に始めたもの。
- 悩んではいるが願いにはなっていないこの番組をこれからどうするか、とTaiTanに相談してみたものの、 福尾は途中で我に返る—— **相談したほうがいいかなと思って相談しているだけかもしれない。
- 成り金城荘子itは結婚時に、沖縄にルーツのある妻の「金城」という姓に変えた。
- 二回目の質問をしなければいけない「トラックスマンだよね」と言えば自分たちには通じるが、 そう言われても二回目の質問をしなければいけない人のほうが多い、 と荘子itは言う。
- 二次的ではあるけどメタではない福尾には「メタ」という意識があまりない。
- 21世紀とフェイスオフ没のリリックの一行。
- 二重底構造組織の外側に対して「そんなのは昔の話だ」と言うのと同じように、もともとの支持基盤だったはずの、その主張を今も大事に思っている人たちのことも、中心にいる人は冷めた目で見ている。
- 20年前の東浩紀として振る舞わされる対談後のツイートの「20年後の君に期待している」について。
- 二重の閉じ込め相模原の事件では被害者が匿名報道された。
- 2ターン以上の会話福尾は子供の頃、2ターン以上の会話をした記憶がほぼないと言う。
- 日記的か自伝的か疎密とは別に、もう一つ立てている軸。
- 日記のリアリティライン日記はプライベート、エッセイや評論はパブリック、と大雑把に分けられそうだが、日記にも公共性と私秘性の両方がある。
- 日記は誰も読んでいないのでは日記ブームと少し距離を取って眺めている、と福尾。
- 日記本が短くて薄い日記ブームに対して福尾が気になっていること—— **世に流通している日記本は、なんか短いし薄い。
- 2手3手先に置くべきものをいきなり置く接続詞なんていらないのではないか、という自分の昔の文章の話から。
- 入門書のジレンマ福尾が書き始める初の新書のモチベーション。
- 庭師TaiTanが自分の立ち位置をこう呼ぶ。
- 人間原理の復活を求むワールドカップのVAR判定について。
- 人間の話と社会の話ばかりしていると社会がダメになる出口のない話が続いたところで福尾が言う——今はみんな人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まるに決まっているし出口がなくなるに決まっている。
- 人間の本当の仕事は感動することトラックメーカー講座をやろうという話が出たときに荘子itが思ったこと。
- 認知のギャップが対話に現れる目の前に作品があると記述しなくて済むの代案として福尾が出すもの。
- ネガティブ・ケイパビリティが嫌いネガティブ・ケイパビリティとは、決断や判断をして何かをやるポジティブな能力に対して、ままならなさやどっちつかずの状態、矛盾を抱えたまま生きられることも一つの能力だ、という考え方。
- 脳の水分量は1日では戻らないボクシングの危険をめぐる具体的な議論のひとつ。
- 脳の容量の取り合い同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
- ノートに取った内容しか残らない本を読むときメモを取るか、という質問への答え。
- ノスタルジーというには具体蒲田のタイヤ公園と、夕方5時のチャイム。
- 乗っかりしろのある依頼TaiTanの仕事の振り方について。
は
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話になっているんだ」とキレた
- 拝金主義のほうが対応がまとも出版社をめぐる問題と、ホリエモンの動画を並べて話すなかで出てくる。
- 拝見してくださいという構え遊就館は「見てください」ではなく「拝見してください」という、拝んで見る対象としてリプレゼンテーションされている。
- ハイデガーとフランクルが同じ構造になってしまうカフェのトイレに貼ってあったポエムの写真をXに上げたらバズった。
- バイブスリーディング哲学書を初めて読む人へのアドバイス。
- 場踊りポッドキャストエキスポの後記に、なぜ踊りの話を入れたのか、と荘子itが自分で説明する。
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。
- バカし合い込みのリアル頂き女子りりちゃんや国際ロマンス詐欺と並べて考えると面白い、という文脈で。
- 白昼夢感『旅と日々』『海辺へ行く道』『ミゼリコルディア』のような、フィクションでもドキュメンタリーでもない淡いのものを、つい「夢みたい」と言ってしまう。
- 恥とかっこよさのバランスリアルな傷や人に言えなかったことを出せているから偉い、という話ではない。
- 初めてライブを見るときの感じリスニングパーティーの感想から。
- 恥をかかせないための作法黒沢清の時代劇の、いつでも白黒フィルムに繋げられるような厳格な様式について。
- 恥をかけばかくほど修行してから世に出ようとするなに続けて荘子itが出すキーワード。
- 恥ずかしいことと恥ずべきことは違う昨日の配信で聞いた、と福尾が紹介するアフォリズム。
- 恥ずかしさを超えていくタイトルだけでこんな恥ずかしい言葉を考えられるのはすごい才能だ、というところから。
- バックヤードを裏庭と訳すベネズエラ関連の報道で、トランプの「中南米はアメリカのバックヤードだ」がどこでも「裏庭」と訳されている。
- 発見であって作為ではない『8番出口』が面白いのは、ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』という遠いと思われているものの相似形を「発見」して、それをそのまま愚直にやっているから。
- 発酵というメタファーが嫌い自分の考えが育っていくことを「発酵」で語る言い方——頭のなかに放り込んでおけば2、3年経って勝手にいいアイデアになる——が少し前に流行った。
- 葉っぱの影が白いシャツの上を流れたWilliam Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
- 話が収斂に向かってしまう複数人で喋ると、絶対に誰かがちょっと違和感を持ったり引っかかったりする。
- 花火が繋いでしまう利賀村の演劇は、日本で断絶したものを毎年やり続けているという意味で「取っつきにくさの最高峰」なのに、花火があることでお祭りとして機能している。
- 花火と爆弾音楽でぶち上がること、花火を見てぶち上がること、爆弾の爆発を見てぶち上がることは本当は繋がっているのに切り分けられている。
- パラグラフパッド福尾が書くときに一番困るのは、あるところまで書けてそのセンテンスをどう終わらせるか、一度終わってしまったセンテンスを次にどう始めるかという、すごく細かいところで手が止まってしまうこと。
- ハラスメントは引用されているジュディス・バトラー『触発する言葉』を福尾が紹介する。
- バラッと集まって全体を成すドゥルーズが英米文学に透かし見ているのは、バラッと集まって、なんとなく全体を成しているという全体性のイメージなのではないか、と福尾は言う。
- パルクール感没のソロ作品の、ワンループのサンプリングの上でわさわさラップするだけの曲について。
- バロックの見せ方で呼び込んでマニエリスムの毒で刺す「実際どう戦っていくのか」に対して後藤護が提案する最良の選択。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- 番組の主役はどっちなのか二人で喋る番組で、主役はどっちなのかをTaiTanはずっと考えている。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。
- 反戦だがそればかりの世の中とも距離があるこうの史代の変わったバランス。
- ハンドスピナーが中動態荘子itの中高時代の話。
- バンドT問題めっちゃそれが好きな人からすると、好きじゃない奴らが着ている—— メタルのバンドTをめぐって常に取り沙汰される問題。
- PTAからの卒業中学2、3年で『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て「これ来た、超かっけえ」となり、以来ずっとPaul Thomas Andersonが好きだという自意識で来た荘子itが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』にハマれず「俺、そんなにPTA好
- 光の当たり方が変わる荘子itのソロアルバムを先に聴いた福尾の印象。
- 光を当てなければ生み出されなかった局所性Dos Monosは「奇怪なサンプリングのミクスチャー音楽」と言えば言えてしまい、AIにプロンプトを入れればそれっぽいものが出てきそうなタイプでもある。
- 引き受けた上で上乗せするのが批評ある人の活動のなかで批評的にもすごく突出しているところを、ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない、と荘子itは言う。
- 引き裂かれている状態から出発する哲学はヨーロッパのもの、ヒップホップはアメリカのもの、というのは前提にしていい。
- 非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まって出口がなくなるに決まっている。
- 非対称性の保存現に存在する暴力を、芸術はある意味で別の形に保存する。
- 非対称性を肯定する世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
- 美談としてパッケージングしてしまう村社会ボクシングの死亡事故は、今回の2件の前にも起きていた——減量がきつすぎて試合に穴をあけてしまうことに絶望して自ら命を絶った選手もいた。
- びっくりさせながら読んでもらう10万字20万字の文章を読んでもらうというのは、それだけのコストを払ってもらうことだから、何らかの報酬系が刺激されないと読んでもらえない。
- ヒットアンドアウェイ方式日常のすべての面を切り売りしても、友人と接する時間に当てることはできない。
- ヒップホップは家具の音楽Madlib のレコードを部屋で流すと、めちゃくちゃ溶け込む。
- 必要なものが明確に分かる10年ぶりにギターを引っ張り出したら意外と弾けた、という話から。
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- ビデオポッドキャストのビデオポッドキャストは限りなくフレームしかない、と荘子it。
- 非同期の音楽坂本龍一の『async』について、荘子itが最近になって響いてきたこと。
- 人と人が喋るのは面白いソクラテス以来、古今東西のやつがずっとそう言っているのではないか。
- 人に選んでもらうと発見があるHATRA の展示会で、荘子itが「これ好きっすね」と言ったら、 デザイナーの長見に「**それだといつもの荘子itさんと変わらない。
- 一人で完結するプロジェクトは意味がない樋口恭介の選書で、カーネギー『人を動かす』が『構造と力』や『アンチ・オイディプス』と並べられていた。
- 一人の人間が持ってるバイブスなんて所詮それほど幅がない福尾が京都で15年ぶりに高校の同級生と会った話。
- 非の打ち所がない人はまずい隣の席の会話が聞こえてきた話。
- 批評家になるな、ポジションを取れ落合陽一の標語。
- 批評という言葉の三つのレイヤー日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている文化圏。
- 批評にもっと期待していい黒嵜想と話して出てきたこと。
- 批評は最悪のものの肯定「置き引きは置き配の対義語である」という言葉遊びから。
- 批評は社会保障のようなもの東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
- 批評はステルス化する批評能力は、もっともらしい批評文を書くという形では達成されなくなっていくのかもしれない。
- 批評は人間関係の話しかしていない考察より思想のほうが面白い・偉いと、批評をやっている自分もやはり思う。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけという側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 批評を閉じたものと見なして批判する読書猿が唐突に「批評は偉そうでダメだ」という長文の、 明らかにAIで書いたと分かるnote記事を出した。
- 100年後の福尾匠にとっていいのか矢沢永吉が自分のことを「矢沢」と言う気持ちが少し分かってきた、と福尾。
- 評価エンタメ評価すること自体がコンテンツになっている状態。
- 表現と人間が別、をもっと解像度高くGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーの性加害と、SNSに出た謝罪文をめぐって話される。
- 標準語のタメ口で疑問文が言えない福尾が前々からずっと気になっていること。
- 標準語はフィクションの言葉標準語のタメ口の疑問文はどこかキャラクターっぽい、と福尾は言う。
- 表層の表面だけで萌える荘子itが東浩紀『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』で 一番面白かったところ。
- ひらがなの「まち」と「都市」企業が絡む企画では、絶対にひらがなの「まち」にしなければいけない という謎の暗黙のレギュレーションがある、とTaiTanは言う。
- ファクトとフィクションとフェティッシュ三つとも、ラテン語の「作る」という動詞から派生している。
- フィールドの中で言うから面白いカニエ・ウェストは元々、手作業のビートメーカーという職人から出発した人で、真面目な職人が絶対にやらないようなありえない感、ヤバさ、神感をうまく出してくるバランスが凄かった、と荘子it。
- フィールドを決めて競技化するアメリカではギャングっぽい人が意味の分からないビートに乗っていたり、ドラムのない曲をやっていたりする自由さが——インターネットのおかげで——しかも天然で起きている。
- フィルモグラフィーとしての連続性リレー走かハンマー投げかを、荘子itが自分の側に引き寄せる。
- ブームはハイプであるポッドキャストブームと呼ばれるものがあるらしい、というところからポッドキャストサミットというイベントが立ち上がっている。
- 不可視化された状態が温存されている加害者の社会復帰という論点について荘子itが言うこと。
- 服なんて今作る必要はないレシスのデザイナーがどこかのインタビューで言っていたこととして。
- 不合理なものの保存ボクシングは二人でお互いの頭部を殴り合うという、客観的に見れば完全に不合理な競技で、その危険さ自体が競技の価値にもなってきた。
- 不条理体験福尾は高校3年間ずっと居酒屋で働いていて、 時給630円——当時の岡山県の最低賃金も下回っていた。
- 二人で一個の脳を使っている福尾夫婦は二人とも家にいる時間が長く、二人だけで過ごす時間がめちゃくちゃ長い。
- ぶつかりおじさんの集まりだと思われているゲンロンでのイベントを前に、福尾が一つのキーワードとして考えていたこと。
- フットじゃなくてフッテージヒップホップはリアルを大事にするのだが、 リアルとそれを歌っている人間を結びつけるための道具は、 人から借りてきたものにするしかない——そこが裏腹で面白い、と福尾は言う。
- ブドウが実は最強だったフルーツとしてのブドウは甘さという土俵では他に負けるし、ブドウジュースもリンゴやオレンジに比べて大したものではない。
- 普遍を論じることと、いろんなものを論じること哲学は普遍的なものを語る学問だと思われている。
- 不用意に前提されるつらさみんな疲れているしみんな辛い、という前提の上に人文系のコンテンツが積み上がっている状況への違和感。
- プライベートとパブリックは簡単に線引きできない日記はプライベートな文章、エッセイや小説や評論はパブリックな文章、と大雑把には分けられる。
- プライベートのドレスコード好きなブランドはナチス期ドイツ軍のミリタリーをサンプリングしていて、 それは 「迷彩の柄自体に罪はない、政治的文脈から切り離して着ることも可能だ」 という一つの強いメッセージであると同時に、 メッセージ抜きで普通にかっこいい。
- フリースタイルは別のスキル曲を書いてリリックを書いて曲を作るのとは、全く別のスキルなので、 やっている人はそのための練習をちゃんとしている。
- 振付「唇をつけずに北海道と言ってみてください」と言われてやってみると、もともと唇はつかなかったと気づく。
- フロイトは音楽が分からない菊地成孔が以前からずっと着目していること。
- プロビゾワールは即興ではない暫定的道徳の「暫定的」はフランス語でプロビゾワール(provisoire)。
- 文化こそが国防軍事力や核による抑止ではなく、リスペクトと愛着があるから揉めたくない、という形で平和が保たれるのが本当は一番いい。
- 文化の盗用はゼロにできないアプロプリエーションという語自体はネガティブでもポジティブでもなく、 どこかから持ってきて使うということなのに、 日本語の「盗用」には盗むというネガティブな語が入っている—— その含意のすれ違いもある、と福尾は言う。
- 文章が二重で見える文章っぽいと言われることを、荘子itは狙いであり強みだと考えている。
- 平行処理に対応するガジェットが目の前にあるADHDが一つの時代を象徴する病になっていることについて福尾が言うこと。
- 閉鎖性への憎悪『ソーシャルメディア・プリズム』を読んだ福尾の結論。
- ベースからフレーバーを抽出するコーヒーがベースとフレーバーの二元論に呑まれていない理由。
- ベースとフレーバーフォームとコンテンツ(形式と内容)に代わって現代を支配している二元論。
- ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今でこそ半笑いの対象にされがちだが、中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。
- 別の形で与えるんだ自分が BUMP OF CHICKEN から受けたような感動を、 別の形で誰かに与えるんだ—— ライブが始まる前に、勝手にそうなっていくのだという感覚があった。
- 別の文脈で着直す**喋るのと書くのは、単純に時間の流れ方が全然違う。
- 別のやり方で元気になるなんでこんなに元気が出るんだろう、というところから。
- 部屋を飾ることのラディカルさそうしておくと楽だからポスターを貼るのマインドでずっとやってきた、 と言ったあとに荘子itが付け加えること。
- 勉強するとキモくなる千葉雅也『勉強の哲学』(2017年)の核心。
- 編集者は態度を決めたほうがいい福尾がフリーランスとして会社と仕事をしてきて思うこと。
- 変なことが起こりそうな場所を作る福尾が斎藤環とのトークイベントで、文章の書き方として答えたこと—— **変なことが起こりそうな場所を作って、あとは書きながら考える。
- 暴力性の裏で緻密なコントロールライブの途中、会場の2階の両脇から爆音が聞こえて見上げると、 両端で誰かがドラム缶を金属バットでぶっ叩いていた。
- 暴力は被害者が生む濱口竜介の有名な議論として荘子itが持ち出す—— **暴力というのは被害者が生む。
- 報連相をごっちゃにするやつ報告・連絡・相談を一緒くたにしたまま「報連相が足りない」と言ってくる人への逆襲。
- 他の字と区別できればいい書家の展示で福尾が聞いて面白かったこと。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 補助輪を外す係福尾の厳しさを荘子itが言い当てる。
- ポストポストアポカリプス番組名の候補として挙がった福尾の言葉。
- ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっている二項対立は脱構築したほうがいい、自分はあまり脱構築とか言ってこなかったが普通に脱構築しろよ、という流れで福尾が言う「めっちゃぼやっとした雑感」。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- ポッと出たものが一番いいDos Monos の作品では、最後の最後にやっつけでできた曲が いちばんアンセムになるということが続いている—— 前作は「リーマリン」、今回は「リアリーフリー」。
- ポテンシャルを発揮できると確信するまで仕事を振らない概要だけ伝えて「これ面白いと思いませんか」と訊き、 面白そうです、乗ります、となったら そこから先はあまりコントロールしようとしない—— TaiTanの仕事の振り方について福尾が言うこと。
- ホモソのノリに乗らない人がいると密に反転するなぜ自分がある種の人にはめっちゃ密に感じられるのか、と福尾が自己分析する。
- ぼやっとした上手さにハマる必要なものが明確に分かるの裏返しとして福尾が言うこと。
- 本好きの壁福尾が勝手にそう呼んでいる現象。
- 本当に言いたいこと言いたいことの内容で勝負する局面ももちろんあるが、そんなにしょっちゅうはない。
- 本当にいいものを知っている俺が一番つまらない**ちょっと売れている人やメジャーっぽい人への嫉妬はあるし、 「なんであんな軽薄な奴らが」と思ったりもする。
- 本当の願いじゃない言葉反出生主義について、実存の側から荘子itが答えたこと。
- 本当の複雑さと読みやすさは違う『置き配的』について。
- 本当の無駄「無駄がいい」という話は、すぐ大落ちしがちだと荘子itは言う—— **年収数千万の広告系の人が言う「無駄が大事だよね」ではなく、 本当の無駄がやりたい。
- 本人の意思と関係なく上流で待ち構える個々人は別にそんなことをしようと思っていないのに、結果として上流で待ち構えてしまっている構造がある。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが気になる、と福尾は言う。
- ぼんやりした不調滋賀の総合診療の病院——「なんかしんどいんで来ました」で「オッケー」となる、ぼやっとした病院を実験的にやっているところ——が出している雑誌『アンキュワード』に寄稿したエッセイのタイトル。
ま
- 麻婆豆腐ドリブン「ドリブン」をずっと「取り分」の連想で、一人総取り、全ての欲望がそれに収斂していくという意味に脳内変換していたことに最近気づいた、と荘子it。
- マイクチェック1、2で決まるリハーサルでbilly woodsがラップし始めた瞬間、「一瞬ラップやめようと思う」。
- 迷子になれる街福尾がブッククラブ「Woven βooks」のテーマにした言葉。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 真逆の方向から作者を殺す考察は「著者の意図」というフィクションにすがりつくことによって、かえって著者の意図を裏切っている——そこが面白い、と福尾は言う。
- マクロな見取り図がないまま掘る雑誌が強かった時代の人は、もっとマクロな視点から音楽に入っていた。
- マジョリティをどう定義するかのフレームを作る速水健朗との対談から、福尾が引き出した論点。
- まずすげえコンテンツ作れや最後に少しだけ毒を吐く、と言って東が出す話。
- まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくる**本当はまず出会いがあって、そこから現実的で社会的ないろいろが入ってくる。
- まずは親密な場で沖縄でのイベントの話から。
- 間違いがなくなることによって悪意が伝わるワールドカップのVARの話から。
- 町山智浩再評価『ハート・ロッカー』論争で町山は、作品だけを見れば「どちらとも取れる」ところを、エンディングテーマにミニストリーを選んでいるという選曲の意図まで読み込んで「その解釈はありえないんだ」と潰していった。
- 真っ当に偉そうにすることを教えてくれる「批評は偉そうだ」への荘子itの返し。
- まとまる前提のないところで言う**「対話」は、最初から合意形成や手を取り合うことが目的化した 使われ方ばかりされている。
- 学べ、そして忘れろマイルス・デイヴィスの名言として荘子itが出す。
- 真ん中から書き始める文章を書くコツを訊かれて福尾が答える、常に意識していること。
- 真ん中から始めるフォークナー『八月の光』を読んだ福尾の見立て。
- まんべんなさがいいことだと思わない「情報量が豊富で唖然となり、ついていけない」というリスナーへの答え。
- 水出しコーヒーの思想前回「水出しコーヒーの思想が嫌い」と言ったことの真意を訊かれて。
- 見せ物小屋の看板だけ外に見せるこの番組をやりたいと思った理由として荘子itが挙げること。
- 密だからこそ余地が生まれる前の週に荘子itが言って、福尾が拾えなかったこととして持ち出される。
- 密担当東が自分をこう呼ぶ。
- 密なのは被害者の側記号の波が通り過ぎただけから、荘子itが対を裏返す。
- 密な人が話しかけてきたら怖い密なやつがやってくる、という怖さ。
- 密な人だと思い込んでいた頭空っぽ性は疎密にもかなり近い対立だが、別の言い方をすると違う話になるかもしれない、という意図も込めている。
- 密閉した途端に製品になる大和田俊の炭酸水の作品について。
- 見晴らしのいい島宇宙町山智浩が東浩紀のスクリーンショットを延々と投稿し続けている、という話から。
- 耳学問の強さ福尾が参政党の神谷について言ったこと。
- 未来にアウトソーシングする交換様式Dも、シンギュラリティ論も、終末論も、救世主待望論も、 未来にアウトソーシングしているという意味では同じだ、と福尾は言う。
- みんな一定の痩せ我慢をしているネガティブ・ケイパビリティという言葉が嫌いだ、と福尾。
- 無意識的な断捨離福尾が日記で書いていたフロイトの話—— **物をなくすのも、ある種の無意識の意味がある行為なのだ。
- 無縁でいることはできない**何の組織にも何の界隈にも属さないことで、 永遠に免責され続けることは可能なのか。
- 無価値な思い上がりに価値があると証明する受注仕事だけをして、それをまとめて作品集として出せばいい—— そういうミュージシャンもいる。
- 無惨でもなさ福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
- 無自覚な暴力性理念として否定している暴力と、自分自身の無自覚な暴力性とが、まさに対応してしまう。
- 無時間的な間遊就館の最初の部屋を福尾がそう呼んだ。
- むしろ自己拘束を求める学校の授業で何をしてもよかったからこそ、 むしろバンドをやりたくなったのではないか、と荘子itは言う。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 無駄で繋がっている喧嘩もいっぱいしたが、もう今更言うこともない——という流れで。
- 無内容に焚きつけない音楽のライブはめちゃくちゃ人を焚きつけるものだから、 究極を言えば宗教と同じ—— だからこそその内実をちゃんと問わなければいけない、と荘子itは言う。
- 無理やり希望がある感じにしないすべてをひっくり返すように福尾が言うこと。
- 目からビームが出てる系**なぜ物が見えるのかについて、古代ギリシャの時から二つの派閥がある。
- めくってしまえば終わり**漫画のいいところは、恥ずかしいところをパッと読み飛ばせること。
- 恵まれていることと欠けていることが同時にある荘子itが自分の生い立ちについての歌詞を書きながら考えていること。
- 目クリクリのZ世代北海道ツアーで対バンしたギザドド/ドゴ。
- メタとベタの秘密結社リアリティショーのベタな出演者と、それにメタなツッコミを入れるスタジオのタレント。
- メタのメタなのに着地はベタロジックを辿っていくとメタのメタなのだが、着地しているところは完全にベタ側。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- メンバーという名札深夜に松のやでカツ丼を受け取ったら、店員の名札に「メンバー」と書いてあったのがめっちゃ嬉しかった、と福尾。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- 目的がはっきりしているときだけ効くコンサータについて。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- 物語がインストールされる福尾は小6くらいまで「物語」というものの存在が分からなかった—— それまではめちゃくちゃフィジカルで断片的な世界をひたすら生きていた。
- 物語だけがドライブしていない状態物語が大事なのではない、と言い切って本当に物語を退けると、それはそれで面白くない。
- 物知りを小バカにしてきた2、30年国学や古事記の話をするYouTuberが80万登録を集め、岡田斗司夫が謎の復権を果たしている。
- モノリンガルラップの豊かさバイリンガルのラップは面白いが、 **バイリンガルが二人いる中に一人モノリンガルがいると、 それはそれで独特な個性に見えてくる。
や
- やってない間の見せ方格闘家は年に2、3試合しかできない。
- やっぱり面白いぜが現れない『シグルイ』が全巻無料公開されたときも、『ハンター×ハンター』が無料公開されたときも、流れてくるのは「来た、シグルイが読めるようになりました」というすでに知っている人のツイートばかりで、それをきっかけに初めて読んで「こんな面白い漫画があると
- 屋根と根遊就館の中ほどに改修工事のときの靖国神社の屋根が置いてある。
- 藪の中問題とトレパク問題2025年に相次いだ「パクり」をめぐる騒動の整理。
- やめようと思ったら一瞬でやめられた荘子itは21歳でタバコを完全にやめた。
- やめるんじゃなくて増やすお酒を自律的に抑制したい、という相談への福尾の答え。
- 有名人じゃない体で最高のパフォーマンスをする荘子itが「やがての最終目標」として挙げること。
- 妖精ギプス福尾が荘子itの生活について言う言葉。
- 余暇でブラブラしていても結果労働になる村上春樹の長編小説の男性主人公は、「眠り」の主人公と同じように余暇をいきなりガバッと与えられる——失職して、もう何もしなくていいですよ、となる。
- 抑圧するまでもないものの返却福尾がなくした財布が戻ってきた。
- 欲望の縮小再生産B2C的な、自分と読者という一対他の関係だけでやっていると、カルチャーにおもねらないという態度表明であると同時に、悪く言えばオンラインサロン的になっていく。
- 装いもプロフェッショナリズムのうち三宅香帆のモノマネ動画をめぐる話から。
- 欲求と欲望動物的な欲求を刺激されている、というだけではない。
- 世の中が密だと疎なものも密になるだから、ただ疎なことをやっていればいいということでもない。
- 余白を指定する長谷川あかりのレシピの末尾に 「ブロッコリーや菜の花を入れても美味しいと思うので、 レシピの余白を楽しんでください」と書いてあった。
- 読まされ感の政党官房長官や総理大臣が原稿を読まされている、あの感じ。
- 読まない理由に乗っかってしまう江藤淳『成熟と喪失』を荘子itは大学時代に読んだが、師の系譜には「良くないんだけど一応押さえておきましょう」という前提があり、SNSでもそう言われているので、ベタに読み込む気が起きなかった。
- 読み上げないコメントコメントは全部読んでいるが、番組では読み上げない。
- 読みづらいのに読ませる三宅香帆が、村上春樹の文章はリズムが気持ちいいと言っていた——5文字5文字5文字7文字6文字、というふうに同じ文字数の単語が並んでいて、言葉の文字数でリズムを作っているからすごく読みやすい。
- 夜だけ家にいない荘子itが2026年から始めた生活。
- 弱っていない部分にフォーカスする斎藤環との対談で福尾が言ったこととして、荘子itが紹介する。
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- ライスワークとライフワーク飯を食うための仕事と、人生のための仕事・生きがい—— その二分法が全然好きじゃない、と福尾は言う。
- ライフとログ福尾の講座「日記の哲学」全体のテーマ。
- ラッセン本の無断参照問題ラッセンをテーマにしたフィクションの小説が、明らかに『ラッセンとは何だったのか?』(千葉雅也らが寄稿した評論本)を種本にしているのに、参考文献に挙げていないとして問題になった。
- ラップは確認であるコンスタティブとパフォーマティブの話から。
- リアリティのゲージが上がる韓国でKanye Westのライブも観たが、写真家の展示やDMZのツアーを通して韓国と北朝鮮の分断について「自分のなかのリアリティがぐっと増す」感覚のほうが充実していた。
- リアルな街づくり今回の企画のモチベーションはどこにあるか、と訊かれてTaiTanが答えること。
- リソースが有限だから生まれるまばらさ金もスタイリストもほぼ無限にあれば、最後までこだわりきって世界観を作れる。
- リソースは一個でいい『群像』の新連載でも書いていること。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- リトマス試験紙としてのメンバーDos Monos の他のメンバーがあらゆる意味で重要な理由。
- 理念っぽいものをバンと投げない**脱成長は理念として分かりやすいし、正当性も理解できる。
- 料理は可逆的である長谷川あかりのレシピは調理前の材料を鍋に突っ込んだだけの写真を上げて「あかり信じてるぞ」と言うミームが生まれるくらい、「これいけるの?」という手順で美味しくなる。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- リレー走かハンマー投げか連載を一冊の本にするとき、 普通は「第何回」を「第何章」に置き換える。
- 理論と実生活を分けないと哲学はできない大学で月給をもらい、結婚して子供もいるのに「n個の性」や「器官なき身体」と言っている哲学者の矛盾について。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。
- 理論を作って渡す人文的なものを「僕らがやっていることを皆さんもできるようになります」という能力の形でプレゼンすることも必要だとは思うが、福尾はそっちにはあまり興味がない、と言う。
- リングの外で喋る安心して殴り合えるボクシングのような映画があるとしたら、自分たちがやっているのはそのリングの外で喋る感じだ、と荘子itは言う。
- ルッキズムの天皇野菜スティックばかり食べるK-POPアイドルの食生活について、福尾が「めっちゃ嫌な言い方であることを断った上で」言った言葉。
- レイバーとワークの切り離せなさアーレントのレイバー(労働)/ワーク(制作)/アクション(活動)の三区分から。
- 令和人文主義は誰も自称しない令和人文主義という言葉は不思議なことに誰も自称せず、「自分以外みんなそう」という形でしか使われない。
- レディオヘッドとエアヘッドエアヘッデッドネスとレディオヘッドの続きとして、 荘子itが二週間かけて考えてきたこと。
- 練習という概念がないゴダールは、映画監督には音楽家やスポーツ選手のような練習の概念がないのが問題だと言った。
- ロールモデルがいなかった10代・20代の頃、ロールモデルになる人がいなかった、と荘子itは言う。
わ
- 猥雑さへのダイブを経てから型を見つけるみんな猥雑さが好きだから身につけていて、その猥雑さの中からちょっと本当のものを見出している、と荘子it。
- 分かってる勢になりたくない仕上がったリスナー、常連客のようになってしまう危険性がある——ということを早めに言っておくぞ、という話から。
- わけのわからなさ複雑さや高度さのことではない。
- わざと空気を読まない福尾が半分意識的にやっていること。
- 私性の形式化エッセイブームと並行して、「私性」というものの形式そのものが偏り、固まっていっている——丁寧な暮らし的な何か、ケア的な何か、あるいは逆にケア的な何かへの違和感、といった方向に。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
- 私でなくもない者たちの親密権『置き配的』第10回。
- ワナビーワナビーあるカルチャーがブームになるのは、ワナビーワナビー——ワナビーであり続けたい人たちがいっぱい来ているからだ、と福尾。