ぼんやりした不調
ぼんやりしたふちょう
滋賀の総合診療の病院——「なんかしんどいんで来ました」で「オッケー」となる、ぼやっとした病院を実験的にやっているところ——が出している雑誌『アンキュワード』に寄稿したエッセイのタイトル。
番組より
芥川龍之介がぼんやりした不安って言って死んだのが1927年で、来年で100周年だから。今やっぱ問題なのは不安より不調だよな。
この項目について
芥川龍之介が「ぼんやりした不安」と言って死んだのが1927年で、来年で100年。今やっぱり問題なのは不安より不調だ、と福尾。低気圧で頭が痛くなるような、ミニマルでぼんやりした不調がめっちゃ商売になっている——それに対してどうするか。でもしんどいのも事実で、抵抗しながら健康になるにはどうしたらいいのか。
この項目が出てくる回
関連項目
- 疎だと思えば疎、密だと思えば密疎密は物そのものの性質ではない。
- だから疎という概念を作った受け取る側が密だと思ったら、もうそれは密なのだ——先週のレディオヘッド性の話と同じで、そこは動かせない。
- 疎密と疎密の対比これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
- 意味自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使いはじめている。
- 日記的か自伝的か疎密とは別に、もう一つ立てている軸。
- 世の中が密だと疎なものも密になるだから、ただ疎なことをやっていればいいということでもない。
- スパーシティ「疎」は英語にも輸入されてほしい、という話から。
- 疎という言葉自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使い始めている——誰も隅々まで正確に理解しているわけではない(福尾も含めて)のに多発的に応答されて、言葉ってこうやって命が吹き込まれていくんだ、と荘子it。