疎密と疎密の対比
そみつとそみつのたいひ
これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
番組より
疎密の対比が本当は問題なんじゃなくて、疎密と疎密の対比が問題だっていう風に僕は実は思ってるんだけど。
入門書ブームと専門書の権威主義って共犯関係にあると思うんだけど、それとは全く別の軸として、細かい粗いじゃなくて、まばらなものと密なものの世界があるみたいな、こっち側を擁護したい。
この項目について
疎密の対比が問題なのではなく、疎密と疎密の対比が問題なのだ。同音の二軸がある。ひとつは粗密——粗いと書いて「そ」と読む、粗さと細かさの軸。もうひとつが疎密——まばらと密の軸。粗さ細かさの軸で言えば、いまの人文書まわりは「粗いものがいいよね」、つまり分かりやすく噛み砕いて提供するのがいい、という方へ振れている。するとその真逆に「専門書の方が偉いんだ」という価値観が立ち上がる。だが入門書ブームと専門書の権威主義は共依存的な共犯関係にあって、対立に見えて同じ軸の上にいる。福尾が擁護したいのはそれとは全く別の軸、まばらなものと密なものの世界のほうだ。ただし二軸あると言うと図式化したくなる——「四象限みたいにしたくないからさ」「四象限、僕一番嫌いなぐらい嫌いだから」。
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関連項目
- 疎だと思えば疎、密だと思えば密疎密は物そのものの性質ではない。
- だから疎という概念を作った受け取る側が密だと思ったら、もうそれは密なのだ——先週のレディオヘッド性の話と同じで、そこは動かせない。
- 意味自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使いはじめている。
- 日記的か自伝的か疎密とは別に、もう一つ立てている軸。
- 世の中が密だと疎なものも密になるだから、ただ疎なことをやっていればいいということでもない。
- スパーシティ「疎」は英語にも輸入されてほしい、という話から。
- 疎という言葉自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使い始めている——誰も隅々まで正確に理解しているわけではない(福尾も含めて)のに多発的に応答されて、言葉ってこうやって命が吹き込まれていくんだ、と荘子it。
- 疎密は物の性質ではなく視点疎密はミニマリズムとマキシマリズムに対応するわけではない。