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#批評
150件
- アーギュメンツ2017年ごろ、20代中盤の書き手が集まって作った批評誌。
- アウトリーチという言葉が嫌い大学でよく使われる「専門知を社会に還元しましょう」という言葉。
- 東浩紀荘子itが10代で読んだ先行世代。
- アフロディズニー荘子itが二人の共著で一番好きな本。
- アングルが良くない喧嘩をしないのは生ぬるいかもしれないと思いつつ、 「サロン商売がどう」というアングルでは別に喧嘩したくない。
- 言える券を配ってしまう自分の意見が広まって使ってもらえるのは嬉しいが、それが半分「何かを言うための口実」に なってしまうと嫌だ。
- 痛みの強度データの扱いがおかしい/解釈が多様だ、という応酬をいくらやってもしょうがない。
- 一番かっこいい陰キャ展示の打ち上げで20代のアーティストに絡まれたときに言われた言葉。
- 一周目おじさんDos Monos内で一時期流行ったミーム。
- 一生一ミリも貢献しない福尾がお金をもらって書いた最初の文章は、建築批評のウェブメディア 「10+1」でのヴェネツィア・ビエンナーレ日本館カタログの書評だった。
- 一生覚えていられるものTHEATER Dのようなライブに時間を使いたい、こういうことだけで本当はいいはずなんだ、 と福尾は言う。
- 伊藤亜紗帯文を書いた人として言及される。
- 映画の勉強会副題は演出について。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- 江藤淳『成熟と喪失』。
- 大谷能生「大二病」という言葉を考えた人として紹介される。
- 置き配的2025年11月刊。
- 置き配的コミュニケーション福尾がこの回で与えた、本のいちばん短い定義。
- お気持ちと実感ニック・ランドはリベラルを皮肉って「声の政治をやっている人たち」と呼ぶ。
- 落合陽一デジタルネイチャーを、デジタルに埋め尽くされたものも自然として捉え返す東洋的な統合として紹介するが、 福尾は「むしろ逆で、自然というものを深刻化しすぎている」と応じる。
- 同じことをやり続けるくまだまさしがプリティ・ウーマンを2000回観るように、利賀村の鈴木忠志が毎年同じ演目をやるように、 マームとジプシーがセリフレベルで同じものを繰り返すように、晩年のゴダールが何を見ても同じ感触であるように、 一個の作品として取り出すことが
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- オルタナティブとインディペンデントは別物福尾がある美術展のぐだぐだなトークイベントで主催者を批判しながら言ったこと。
- カードゲームみたいな批評つまらない批評は「ここでこの名前を出す」というカードゲームになってしまう。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から 「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、 解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」という ツイートがあった。
- 学術書の謝辞問題英語圏の学術書には100人規模の謝辞がつくことがある。
- 鑑賞料金FXシステム勧める者と勧められた者の関係、そして映画をいつ観るかという時差の問題。
- 感想ツイートに懸賞金公式のトークイベントや帯コメントの推薦よりも、ポッと出たかのような感想ツイートが みんなの問題意識に接続して一気に跳ねる。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが[[左手のない猿]]を評した言葉。
- 菊地成孔Dos Monosの1stアルバムの際に、荘子itの名前にひもづけて「コーシット」と逆襲名した。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- 虚構に上書きされた風景が原風景佐々木友輔の風景論の連載を荘子itが読んで。
- 空間の中にプラットフォームがある置き配というシステムそのものより、それによって 「空間というものがないことになってしまう」ことが一番の問題だ、と福尾は言う。
- 空間の話をしない空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評の すごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、 愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- 黒嵜想『アーギュメンツ』の編集。
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 建蔽率福尾の比喩。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 考察したがる若者たちなぜ考察が流行ったのか。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 5センチ浮いてしまう最初から高みにあるものを地上から仰ぎ見るのではなく、 同じ目線で読み進め聴き進めていたら、いつのまにか5センチほど宙に浮いてしまっている。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感が ダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 固有名とトーンしか聞かれていないポッドキャストもYouTubeも、結局「ここで誰の名前が出た」ということと、 「優しそう」「聞きやすい」という人柄の話しか受け取られていない側面が けっこうある、と福尾は言う。
- コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして 突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に 価値を見出した。
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は 粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 齋藤恵汰渋谷のシブハウス(20人ほどの若者が住む3階建ての家そのものが作品)の主宰であり、 批評誌『アーギュメンツ』の発行人。
- 佐々木敦「批評家、引退しません」というようなことをやっている人として名前が挙がる。
- 椹木野衣『シミュレーショニズム』でコラージュとカットアップを対比した。
- 自称・歌王三宅香帆の自己紹介。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるように ならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」 というリスナーの質問への答え。
- 自分のことも書かなければならない自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで 投げ出していない。
- シミュレーショニズムコラージュ(個人の箱庭)とカットアップ(非意味的な切断)を対比し、後者に価値を見出した。
- 社会人2年目の病大二病の反対側にある病。
- 状況へのリアクションを求められる新しいアイデアについて喋っている、という状況そのものを受け取ってもらえる場所が どんどん少なくなっている。
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、 福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 象徴化の過程で失われるもの大きな事件が起こると、犯人をモンスター化し「その背景には日本社会のこういう歪みがあって」と 容易に意味づけできてしまう。
- 人事『非美学』と同じデザイナーに依頼し、姉妹編としてデザインされたエッセイ集。
- 好きだったものに向き合えなくなる単純なキャンセルカルチャー(嫌いだったやつが問題を起こしたから消していい) とは別の現象。
- 成熟と喪失戦後民主主義の中で生きる男が、近代化によって前近代的な肉感的な母子関係を失い、 さてどうするのか——を論じた文芸評論。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 荘子it=ラッセン問題この回のサブタイトルにある。
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 存在論的、郵便的福尾が「墓掘り人」のように引っ張り出してきて、マジックリアリズムに接続する方向へ進めようとした本。
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、 という福尾のツイートから。
- 大二病大谷能生の言葉とされる。
- 田中宗一郎荘子itを本名で「潤平くん」と呼んでくる人。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 著者を喜ばせるための引用ではない「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
- 強い解釈を持っている人の話が面白い批評好きのあいだには「テクストをちゃんと読もう」「解釈や一般的なイメージに逃げず、 細部を見れば解釈を超えるものが出てくる」というセオリーがある。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」 と思った。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の 講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 動物化するポストモダン新書でありながら超平面性やラカン理論の謎の変形までやっていて、しかも10万部いった。
- 動物という通路黒沢清の映画では、人間の世界と「やばいもの」の世界のあいだの通路として 動物が機能する。
- 読者が調教される本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
- ドブ板選挙トークイベントで数十人を相手に話し、サイン会で一人ひとりと2、3分雑談する。
- 努力に対して報酬があると理解させる福尾のエッセイ講座のレジュメにあった原則。
- 内実が分からないとモンスター化する『ブラックボックス・ダイアリーズ』の捜査官A——伊藤詩織にきわめて協力的だった人物が、 最終的に彼女をひどく傷つける。
- なぜ働いていると本が読めなくなるのか新書大賞を受賞した大ヒット作。
- 二重底構造組織の外側に対して「そんなのは昔の話だ」と言うのと同じように、 もともとの支持基盤だったはずの、その主張を今も大事に思っている人たちのことも、 中心にいる人は冷めた目で見ている。
- 入門書のジレンマ福尾が書き始める初の新書のモチベーション。
- 人間の本当の仕事は感動することトラックメーカー講座をやろうという話が出たときに荘子itが思ったこと。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で 何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が 「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話に なっているんだ」と
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。
- バカし合い込みのリアル頂き女子りりちゃんや国際ロマンス詐欺と並べて考えると面白い、という文脈で。
- 恥とかっこよさのバランスリアルな傷や人に言えなかったことを出せているから偉い、という話ではない。
- 蓮實重彦福尾が怒られている相手として登場する。
- 発見であって作為ではない『8番出口』が面白いのは、ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』という 遠いと思われているものの相似形を「発見」して、それをそのまま愚直にやっているから。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
- 浜崎洋介荘子itの大学時代の恩師にあたる保守論壇の人。
- 非社会的なものがないと社会はダメになるいま誰もが人間の話と社会の話しかしていないから、煮詰まって出口がなくなるに決まっている。
- 左手のない猿都内に出没した左手を失った猿のニュースをきっかけに書いたエッセイ。
- 一人で完結するプロジェクトは意味がない樋口恭介の選書で、カーネギー『人を動かす』が『構造と力』や『アンチ・オイディプス』と 並べられていた。
- 人を動かす自己啓発本の保守本流、アメリカの自己成長物語を作った本。
- 非美学の星1レビュー『非美学』のAmazonレビューは星1だらけで、 「こんなに星1がついてる本、他にあんまりないぞ」というくらい。
- 批評家になるな、ポジションを取れ落合陽一の標語。
- 批評という言葉の三つのレイヤー日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という 作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている 文化圏。
- 批評にもっと期待していい黒嵜想と話して出てきたこと。
- 批評はステルス化する批評能力は、もっともらしい批評文を書くという形では達成されなくなっていくのかもしれない。
- 批評は人間関係の話しかしていない考察より思想のほうが面白い・偉いと、批評をやっている自分もやはり思う。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 評価エンタメ評価すること自体がコンテンツになっている状態。
- 平倉圭サラウンドのスピーカーを教室に立てて一本ずつ鳴らし、ゴジラの鳴き声にどれだけの音が 畳み込まれているかを聴かせるレクチャーをした。
- 福嶋亮大福尾との対談で「台湾有事が来たら、君らがやってることは何の意味もなくなりますよ、 何も残らないですよ」と言った。
- 不合理なものの保存ボクシングは二人でお互いの頭部を殴り合うという、客観的に見れば完全に不合理な競技で、 その危険さ自体が競技の価値にもなってきた。
- 不用意に前提されるつらさみんな疲れているしみんな辛い、という前提の上に人文系のコンテンツが積み上がっている状況への違和感。
- 閉鎖性への憎悪『ソーシャルメディア・プリズム』を読んだ福尾の結論。
- ベタがないとメタもないSOUL'd OUTのDiggy-MO'は今でこそ半笑いの対象にされがちだが、 中学生の荘子itはマジでかっこいいと思って聴いていた。
- 勉強するとキモくなる千葉雅也『勉強の哲学』(2017年)の核心。
- ポストポストアポカリプス番組名の候補として挙がった福尾の言葉。
- 本好きの壁福尾が勝手にそう呼んでいる現象。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ 距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 真逆の方向から作者を殺す考察は「著者の意図」というフィクションにすがりつくことによって、 かえって著者の意図を裏切っている——そこが面白い、と福尾は言う。
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 町山智浩再評価『ハート・ロッカー』論争で町山は、作品だけを見れば「どちらとも取れる」ところを、 エンディングテーマにミニストリーを選んでいるという選曲の意図まで読み込んで 「その解釈はありえないんだ」と潰していった。
- 見晴らしのいい島宇宙町山智浩が東浩紀のスクリーンショットを延々と投稿し続けている、という話から。
- 耳学問の強さ福尾が参政党の神谷について言ったこと。
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。
- 無惨でもなさ福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- メタとベタの秘密結社リアリティショーのベタな出演者と、それにメタなツッコミを入れるスタジオのタレント。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- 物語だけがドライブしていない状態物語が大事なのではない、と言い切って本当に物語を退けると、それはそれで面白くない。
- 森脇透青[[非美学]]について「難しいのはなぜなのか」という書評を書いた。
- 藪の中問題とトレパク問題2025年に相次いだ「パクり」をめぐる騒動の整理。
- 山口一郎サカナクション。
- 欲望の縮小再生産B2C的な、自分と読者という一対他の関係だけでやっていると、 カルチャーにおもねらないという態度表明であると同時に、 悪く言えばオンラインサロン的になっていく。
- 読まない理由に乗っかってしまう江藤淳『成熟と喪失』を荘子itは大学時代に読んだが、 師の系譜には「良くないんだけど一応押さえておきましょう」という前提があり、 SNSでもそう言われているので、ベタに読み込む気が起きなかった。
- 読み上げないコメントコメントは全部読んでいるが、番組では読み上げない。
- ラッセン本の無断参照問題ラッセンをテーマにしたフィクションの小説が、明らかに『ラッセンとは何だったのか?』 (千葉雅也らが寄稿した評論本)を種本にしているのに、参考文献に挙げていないとして 問題になった。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- 理論を作って渡す人文的なものを「僕らがやっていることを皆さんもできるようになります」 という能力の形でプレゼンすることも必要だとは思うが、 福尾はそっちにはあまり興味がない、と言う。
- 令和人文主義は誰も自称しない令和人文主義という言葉は不思議なことに誰も自称せず、 「自分以外みんなそう」という形でしか使われない。
- わけのわからなさ複雑さや高度さのことではない。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。