コラージュとカットアップ
こらーじゅとかっとあっぷ
椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に価値を見出した。
だが一周回っていま、あくまで本人の箱庭的な美的判断であるコラージュのほうが新しいシーンを作っている。ヒップホップは批評戦士のようにカットアップをやっているわけではなく、Dos Monosも外様で知的に見えて、実作の場では荘子itの趣味嗜好がどっぷり吸い込まれているだけ。
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関連項目
- 批評という言葉の三つのレイヤー日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている文化圏。
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- 批評家になるな、ポジションを取れ落合陽一の標語。
- 学術書の謝辞問題英語圏の学術書には100人規模の謝辞がつくことがある。
- 落合陽一デジタルネイチャーを、デジタルに埋め尽くされたものも自然として捉え返す東洋的な統合として紹介するが、福尾は「むしろ逆で、自然というものを深刻化しすぎている」と応じる。
- 安野貴博荘子itとはプライベートでも面識がある。
- 椹木野衣『シミュレーショニズム』でコラージュとカットアップを対比した。