批評という言葉の三つのレイヤー
ひひょうということばのみっつのれいやー
日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている文化圏。
番組より
三つぐらいの意味合いがそれぞれみんな別のレイヤーで使ってて、同じ言葉を使ってるんだけどみんなすれ違い続けてるっていうのがずっと繰り返されてるって感じ。
そこをこう一回一回分け知りに「批評っていうのはそんなんじゃないんだ」みたいなことを言うこと自体が、彼らが言う批評家ポジションにもう一回収まっちゃうって話になっちゃうから。
この項目について
三つの意味合いをそれぞれ別のレイヤーで使いながら、同じ言葉なのですれ違い続けている。落合陽一の「批評家になるな、ポジションを取れ」で言われる「批評家」も、職業的な批評家のことではなく「何もやっていないのに偉そうなことを言う人」の便宜的な呼び名にすぎない。それに対して実際に批評をやっている人が「批評はそんなんじゃない」と怒っても仕方がない、というのが福尾の立場。怒ること自体が、彼らの言う批評家ポジションにもう一度収まってしまう。
この項目が出てくる回
関連項目
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に価値を見出した。
- 批評家になるな、ポジションを取れ落合陽一の標語。
- 学術書の謝辞問題英語圏の学術書には100人規模の謝辞がつくことがある。
- 落合陽一デジタルネイチャーを、デジタルに埋め尽くされたものも自然として捉え返す東洋的な統合として紹介するが、福尾は「むしろ逆で、自然というものを深刻化しすぎている」と応じる。
- 安野貴博荘子itとはプライベートでも面識がある。
- 椹木野衣『シミュレーショニズム』でコラージュとカットアップを対比した。