2025年7月21日
批評家になるな、批評家になれ
水泳の話から始まり、参政党の続き、そして「物を作っていない批評家」問題へ。 落合陽一の「批評家になるな、ポジションを取れ」という標語をめぐって、 批評という言葉が三つのレイヤーですれ違い続けていることを確認する。 福尾にとって批評とは『アーギュメンツ』という装置との出会いだった。
話の流れ
- 0:26プールはいい熱海の保養施設で泳いだ。水に入ること自体が気持ちいいので、やる気を出すワンクッションが要らない。中高は海軍系の学校で年に一度20キロの遠泳があった。
- 3:20スイミングスクールという場所福尾は3歳から小3まで通ったが、よそ者としていじめられ、階段から突き落とされ、女性の先生からセクハラも受けた。それがセクハラだったと気づいたのは10年以上あと。当時は「当たり前」だった。
- 8:50学校のプールが廃止されていく老朽化が主な理由だが、歓迎する声も多い。水着で老若男女が混ざるのは、日本ではほとんど水泳の場面にしかないカオティックな状況でもある。
- 12:00オードリー・タンとチーム未来リスナーからの質問。オードリー・タンとのコラボは編集者からの依頼で成り行き。一緒にやったことと100%応援することはイコールではない。
- 22:10神谷自身が「僕は耳学問なんで」前回の見立てが本人の言葉で裏づけられた。ただし福尾は「本人の自意識の中にあることを当てたのは批評としては二流だな」と自省する。
- 25:00党員さんの方を向いている他の政治家が公の場で言わない「党員さん」を必ず一度は口にする。国民でもなく自分でもなく党員を主役にして選挙をやる。推し文化的なファンダムとの近さ。
- 27:00学術書の謝辞問題英語圏の学術書は100人に謝辞を書くことがある。「お世話になった皆さんありがとう」と「でもこれは僕の仕事です」の塩梅。
- 30:00物を作っていない批評家問題あるアーティストの発言が炎上した件。荘子itは発言自体には何も思わないが、「中でちゃんと作っている人が偉い」が強くなりすぎるのは嫌だと言う。
- 32:10批評という言葉の三つのレイヤー小林秀雄以来の文芸批評、西洋のクリティック(価値づけ)、ゼロ年代以降の若者の批評誌。同じ言葉を別のレイヤーで使ってすれ違い続けている。調停は無理。
- 38:00エシカーニバル横浜駅ルミネの謎のフェア。エシカル+カーニバルだが、カーニバルの語源は食人であり、壊死とも読める。言葉だけが横滑りしていく現象。
- 41:40批評エアプ創作エアプもいるが、批評エアプも結構いる。読んだこともそんなにないのではないか。それぞれ得意分野があるのだから分けて考えるだけの話。
- 42:20面白い批評に出会うということ定義や価値をいくら説かれても分からない。何かの拍子に出会ってしまえば急に面白くなる。福尾自身、批評は書くようになってから好きになった。
- 43:40アーギュメンツという装置著者に直接会わないと買えない批評誌。パッケージと流通と内容が貫通し、書き手同士のコミュニティを中心に広がっていく。福尾はそこで「自分も一人の書き手だ」と思えた。
- 51:00コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代はコラージュを個人の箱庭として突き放し、非意味的切断であるカットアップに価値を見出した。一周回っていま、箱庭的な美的判断のコラージュこそがシーンを作っている。
この回で出てきた言葉
- アーギュメンツ2017年ごろ、20代中盤の書き手が集まって作った批評誌。
- 安野貴博荘子itとはプライベートでも面識がある。
- エシカーニバル横浜駅ルミネの柱に貼ってあった謎のフェアの名前。
- 面白い批評に出会うこと批評に良いイメージが持たれないのは、面白い批評を読んだことがないからでしかない。
- 学術書の謝辞問題英語圏の学術書には100人規模の謝辞がつくことがある。
- コラージュとカットアップ椹木野衣『シミュレーショニズム』の時代は、コラージュを個人の趣味嗜好による箱庭作りとして 突き放し、もっとドライに植物的に切り裂くカットアップ(千葉雅也の言う非意味的切断に近い)に 価値を見出した。
- 佐々木敦「批評家、引退しません」というようなことをやっている人として名前が挙がる。
- 椹木野衣『シミュレーショニズム』でコラージュとカットアップを対比した。
- シミュレーショニズムコラージュ(個人の箱庭)とカットアップ(非意味的な切断)を対比し、後者に価値を見出した。
- 批評家になるな、ポジションを取れ落合陽一の標語。
- 批評という言葉の三つのレイヤー日本の小林秀雄以来「文芸批評」と呼ばれてきたもの、西洋で始まった「クリティック」という 作品の価値づけを指す抽象的な定義、そしてゼロ年代・一〇年代以降に若者が批評誌を作っている 文化圏。
この回で触れられた項目
この回からの引用
三つぐらいの意味合いがそれぞれみんな別のレイヤーで使ってて、同じ言葉を使ってるんだけどみんなすれ違い続けてるっていうのがずっと繰り返されてるって感じ。
そこをこう一回一回分け知りに「批評っていうのはそんなんじゃないんだ」みたいなことを言うこと自体が、彼らが言う批評家ポジションにもう一回収まっちゃうって話になっちゃうから。
そういう装置として批評っていうものと出会ったし、それで初めて自分も一人の書き手なんだって思えるようになったし。
→ アーギュメンツ