テクニックの民主化がエリーティズムに反転する
てくにっくのみんしゅかがえりーてぃずむにはんてんする
漫才のコンテスト審査や考察について福尾が言うこと。
番組より
テクニックの民主化が結局エリーティズムに反転してるっていう状態なんだと僕は勝手に思ってるんだけど。
知的な楽屋落ちっていうかさ、内容は知的なんだけど、結局それってそっち側のロジックじゃん。その演者の側のロジックを、なんで客側が内面化しないといけないのって普通に思っちゃう。
この項目について
「こうやったら受けるようになりますよ」という漫才の方程式を フォーマリスティックに開示する——それはテクニックの民主化。 だが、それを理解できるのは一部の人間である、というギャップがあって、 結局エリーティズムに反転してしまう。 知的な楽屋落ちというか、内容は知的なんだけれど、 結局それは演者の側のロジックであって、 それをなぜ客側が内面化しないといけないのか、と普通に思ってしまう。 エンタメであるということを、どこまで守ることができているのか。
この項目が出てくる回
関連項目
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- ADHDの身体をプレイしている2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。