ADHDの身体をプレイしている
えーでぃーえいちでぃーのしんたいをぷれいしている
2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
番組より
俺、今ADHDの身体をプレイしている、プレイしている俺はいるだろうみたいな。やっぱり身体がそうだから、この人生においてある種のADHDなのかもしれないけど、それを意識している自分は別にADHDではない。
最近はADHD的なるものとかMBTIの何々型的なるものが、物語とかキャラクターの類型として使える。そうすると構造がスッキリ作れる。
この項目について
嘘もついていない。 それでも「当てはまってはいるんだけど、 当てはまっていない自分も想像できる」という独特な感覚がある、と荘子itは言う。 「今までの自分」というロールで答えるとADHDに当てはまるのだが、 そうではない自分も全然想像できる——それも含めて俺だと思う。 「俺は今ADHDの身体をプレイしている。 身体がそうだから、この人生においてはある種のADHDなのかもしれない。 でもそれを意識している自分は、また別。」 そして、ADHD的なるものやMBTIの何々型的なものは、 フロイトが臨床より脚本に使えるのと同じで、 実在の人物としてはどこにもいないが、 物語やキャラクターの類型としては使えて、構造がスッキリ作れるとも言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。
- 文化の盗用はゼロにできないアプロプリエーションという語自体はネガティブでもポジティブでもなく、 どこかから持ってきて使うということなのに、 日本語の「盗用」には盗むというネガティブな語が入っている—— その含意のすれ違いもある、と福尾は言う。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- いいやつだと思われたら終わりケアという言葉を使いたがらない理由として福尾が挙げる、自分のポリシー。
- 癖はメソッド化しにくい「癖の作り方」を訊かれた癖の発案者としての答え。
- 結果的にケアになっているもの荘子itも、ケアという文脈で語りたくないと思っていた—— **ケアという形ではなく、結果的にケアになっているもののほうが好き。
- 自己開示すればするほど偉い空間福尾が大学時代、臨床哲学のワークショップ的な授業を何回か受けて 本当に嫌な空間だと毎回思っていた理由。
- 善意は必ず罰せられるドゥルーズの言葉として福尾が挙げる。
- テクニックの民主化がエリーティズムに反転する漫才のコンテスト審査や考察について福尾が言うこと。
- 豆腐は疎な食材ストレス解消の話が麻婆豆腐に着地したところで。
- バイブスリーディング哲学書を初めて読む人へのアドバイス。
- 恥をかけばかくほど修行してから世に出ようとするなに続けて荘子itが出すキーワード。