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2025年12月22日

すべての質問に答える2(前編)

質問回の前半。質問によって話が思わぬ大テーマにたどり着くこと、16分類の性格診断への違和感、癖の作り方、そして「修行してから世に出ようとするな」まで。

放送日
2025年12月22日
長さ
1:32:10

話の流れ

  1. 0:00たくさんの質問をいただいている
    片っ端から答えていくか、導入から入るか。
  2. 3:20質問で最後に大きく転ぶ
    仕込みかと思うくらい、質問によって大テーマにたどり着くことが結構ある。
  3. 6:44そこからその結論が出てくるのか
    論理的に間違っているわけではないのに、次にその話になるのかと驚くことがある。
  4. 10:044×4で16の分類
    アルファベット4文字のパターン。
  5. 13:28そのフィルターに自分を通してみる操作
    通念や常識を一度そのフィルターに通してどちらになるか見る。だがそれはとても変な操作な気もする。「別に僕そんな内向的でもないけどな」。
  6. 1:20:19一番好きになった声優
    名前は忘れてしまったが、『CLANNAD』の。
  7. 1:23:39癖の作り方はメソッド化しにくい
    癖の発案者としてどうか、と聞かれて。
  8. 1:27:01修行してから世に出ようとするな
    エッセイ講座でも言っている。修行しているところも見せるくらいの感じでやらないと。
  9. 1:30:25反復がネガを振り切りポジに転じる
    日本語ラップ論の第2部第5章と『置き配的』が、問題意識や手法は全く違うのに似たテーマを抱えているようで面白かった、というリスナーからの質問。

この回で出てきた言葉

この回からの引用

今この時点まで言ってたことは分かるけど、その次その話になるのとか、そこからそういう結論出てくるのみたいなのが結構びっくりすることがある。

そこからその結論が出てくるのか

でも難しいことは難しいじゃんっていう。でもその難しさって、割と単純に論理的に複雑かどうかっていうより、本当その人それぞれの生き方とか体のあり方とか、そういうところと完全にくっついちゃってるところがどうしてもある。

そこからその結論が出てくるのか

俺、今ADHDの身体をプレイしている、プレイしている俺はいるだろうみたいな。やっぱり身体がそうだから、この人生においてある種のADHDなのかもしれないけど、それを意識している自分は別にADHDではない。

ADHDの身体をプレイしている

それを一回そのフィルターで一回自分を通してみて、どっちになるかみたいな。でもそれってめっちゃ変な操作な気がするっていうか。

通念のフィルターに自分を通す変な操作

それって他人の自認を勝手に当て込んで言ってるわけじゃん。それってめっちゃ、言うまでもないけどめっちゃ失礼なことだし。

自認は自分にしか分からないはず

自認って文字通り自認だったら自分しか分かんないでしょみたいな。そのカテゴリーエラー的な雰囲気をMBTIにも感じる。

自認は自分にしか分からないはず

最近はADHD的なるものとかMBTIの何々型的なるものが、物語とかキャラクターの類型として使える。そうすると構造がスッキリ作れる。

ADHDの身体をプレイしている

嫉妬って私的言語って言いつつ、でもそれを他人に貼り付ける言葉として使ってるっていう、そこが嫉妬っていう言葉の面白いところなのかな。

嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語

他人が誰に嫉妬してるかより、自分が誰に嫉妬してるかをちゃんと向き合った方がいいみたいなことだと僕思ってて。

嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語

それ全部ダメって言ったら何もできなくなっちゃうから、そこら辺のめっちゃ現実的な線引きの問題だと思うんだよね。

文化の盗用はゼロにできない

文化の盗用性っていうのはゼロにできないというふうに思うしかないと思うんだよね。

文化の盗用はゼロにできない

ドゥルーズの本って通電するっていうか、ジャックインするみたいなところあるからさ、そこでもう電気が通ったらOKみたいな。理解するとかどうとか、バイブスリーディング的なことをやるっていうのもありっちゃあり。

バイブスリーディング

例えば脱構築、破壊じゃなくて脱構築だとかさ。反戦じゃなくて非戦だとかさ。それは坂本龍一だけどさ。反美学じゃなくて非美学もそういう話だ。

反か脱か非か、その次に異

だからなんか現代人って、反じゃなくて脱か非みたいなのが多いなみたいなのがあって。それのネクストないかなと思って、異なんじゃないかみたいな。

反か脱か非か、その次に異

テクニックの民主化が結局エリーティズムに反転してるっていう状態なんだと僕は勝手に思ってるんだけど。

テクニックの民主化がエリーティズムに反転する

知的な楽屋落ちっていうかさ、内容は知的なんだけど、結局それってそっち側のロジックじゃん。その演者の側のロジックを、なんで客側が内面化しないといけないのって普通に思っちゃう。

テクニックの民主化がエリーティズムに反転する

あらゆる空間が互助会的なんだよね。自己開示すればするほど偉いみたいな。自分の辛い体験とかを語って、みんながそれを拍手してよく言ったみたいな。

自己開示すればするほど偉い空間

それこそ素じゃないっていうかさ、密な空間で沈黙が意味を持っちゃう空間で、嘘もつくこともできないし。

自己開示すればするほど偉い空間

ケアっていう形じゃなくて、結果的にケアになってるみたいなものの方が好きだなみたいな。

結果的にケアになっているもの

実際俺も、病院に行ったりするよりも本を読んだり作品を見たりすると、いつの間にか元気になったりするパターンもあるしな。

結果的にケアになっているもの

人文学ってさむずいのが、いいやつだと思われるっぽい武器が多すぎるんだよ。ケアもそうだしネガティブケイパビリティとかもそうだし。これ言ったらいいやつっぽく見えるでしょみたいな。

いいやつだと思われたら終わり

ドゥルーズも、善意は必ず罰せられる。

善意は必ず罰せられる

赤ちゃんにとってはお母さんに近づくってことと、お母さんを破壊するってことが同じこととして起こるんだよね。だから善意は必ず罰せられるっていうことになる。

善意は必ず罰せられる

欲望アウトソーシングしちゃうんだよね、いい人って。でもやっぱ一番大事なのは自分がしたいかどうか。

いいやつだと思われたら終わり

豆腐って素な食材だからさ、なんかそこら辺のムラが気持ちいいっていうか。あれがなんか肉味噌ご飯とかとはやっぱ全然違う。

豆腐は疎な食材

肉味噌、麻婆味噌、肉でさ、良さすぎなもんだけど、それとご飯でさ、そこに中間的な、まさに余白そのものみたいな豆腐がいることによって、めちゃめちゃいいんじゃない。

豆腐は疎な食材

なんかメソッド化するの難しい。でも本当に、欲望と興味の赴くままにトライアンドエラーする場を、そこだけはメタ的な意識を伴って持つしかないよね。

癖はメソッド化しにくい

むしろその時間を明け渡しても、たまには大きな曲がり角を迎えるっていう、その構えも癖になっていく上で必要なのだみたいな。

癖はメソッド化しにくい

修行してから世に出ようとするな、しない方がいいって言ってて。修行してるところも見せるっていうぐらいの感じでやらないと、いつまで経っても多分、世に問うってことができないまま終わっちゃうから。

修行してから世に出ようとするな

俺もう一つのキーワードとして、恥をかくっていうことだね。半分そうだったとしても、もう半分本当に恥かくわけだから、やっぱ恥はかいた方がいいと。

修行してから世に出ようとするな

もう半分本当に恥かくわけだから、やっぱ恥はかいた方がいいと。やっぱ日本は恥の文化ですから。

恥をかけばかくほど

日本版だったら、恥をかけばかくほど立派な人に近いのでは。

恥をかけばかくほど