Kanye Westラッパー・プロデューサー
かにえうぇすと
韓国で荘子itが初めてライブを観た。
砂の山の頂上に一人立つ演出。 問題発言をするでもなく、みんなを楽しませるライブをしていた。 サンプリングでありながらソングライティングっぽく聞こえ、ポップ感覚と実験性が融合しているのが特色。 ただし荘子itにとっては「普通に好きだったミュージシャン」になりつつある。
2025年11月24日の回
父と離婚した母に「お前は天才だ」と言われて育ち、家のことは何もさせられなかった。 大人になってから、あるいはアーティストになったから言い出したのではなく、 そういう価値観がベースにあって表現者になっている。母の死以降のことも地続きだ、 と荘子itは言う。個別の発言の是非とは別に、右も左も分断し倫理が崩壊した社会で アーティストが自由な表現をすることの限界を、誰よりも体現している。 ただし荘子itは、最近の活動には「共通の基盤がなさすぎて乗れない」とも言い続けている。
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関連項目
- リアリティのゲージが上がる韓国でKanye Westのライブも観たが、写真家の展示やDMZのツアーを通して 韓国と北朝鮮の分断について「自分のなかのリアリティがぐっと増す」感覚のほうが充実していた。
- 象徴化の過程で失われるもの大きな事件が起こると、犯人をモンスター化し「その背景には日本社会のこういう歪みがあって」と 容易に意味づけできてしまう。
- 二重の閉じ込め相模原の事件では被害者が匿名報道された。
- 自分のことも書かなければならない自分に触発を与える他者について書く、寄り添うというのは、実は自分を投げ出しているようで 投げ出していない。
- 言える券を配ってしまう自分の意見が広まって使ってもらえるのは嬉しいが、それが半分「何かを言うための口実」に なってしまうと嫌だ。
- 年を取ると自動的に分かる33になって、リアルポリティクスについて自分なりの意見を持てるようになってきた感覚がある。
- 事実上の貴族院政権運営能力と選挙に受かる能力は全く別のもの。
- 佐々木健兄の公さんが自閉症で、相模原の事件が起こったとき、施設名がまだ報道されておらず 兄が巻き込まれたのではないかという恐怖を味わった。
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、 という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」 と思った。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。