密閉した途端に製品になる
みっぺいしたとたんにせいひんになる
大和田俊の炭酸水の作品について。
番組より
料理を提供するための許可証は個人に付与されるんだけど、製品を作ってそれを人に配るための許可は工場に付与されるんだよね。人間じゃなくて場所に付与される。
この項目について
料理を提供するための許可は個人に付与されるが、製品を作って人に配るための許可は工場に——人間ではなく場所に付与される。炭酸水は瓶詰めしないと炭酸が抜けてしまうけれど、密閉した途端に料理ではなく製品と見なされる。だから大和田は、レジデンスのキッチンを行政的にペーパーワークして工場として認可させるところまでを制作プロセスに入れた。デュシャンの便器のような分かりやすい制度批判ではなく、めちゃくちゃ具体的に遵法精神で「これを作品とするにはこれとこれとこれが必要」を積んでいく——手続き批判ではなく、この手続きを取ること自体に面白さを生み出す。現代アートの面白さはそこにある、と福尾。
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関連項目
- 疎だと思えば疎、密だと思えば密疎密は物そのものの性質ではない。
- だから疎という概念を作った受け取る側が密だと思ったら、もうそれは密なのだ——先週のレディオヘッド性の話と同じで、そこは動かせない。
- 疎密と疎密の対比これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
- 意味自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使いはじめている。
- 日記的か自伝的か疎密とは別に、もう一つ立てている軸。
- 世の中が密だと疎なものも密になるだから、ただ疎なことをやっていればいいということでもない。
- スパーシティ「疎」は英語にも輸入されてほしい、という話から。
- 疎という言葉自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使い始めている——誰も隅々まで正確に理解しているわけではない(福尾も含めて)のに多発的に応答されて、言葉ってこうやって命が吹き込まれていくんだ、と荘子it。