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- 生きざま2.01年ほど前に福尾が言った概念が、この回で繋がる。
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- 行くまでの道中も含めて鈴木忠志の演劇を利賀村まで見に行くことについて。
- 一行一行で揺れる自己開示という言い方はあまり好きではない、と荘子itは言う。
- 1日の終わりのジュースのために作るその陶芸作家は、作品ができて展示されても何も嬉しくないし、人に見てもらいたいともそんなに思っていないらしい。
- 一緒に面白くなっていこう岩崎の周りには「同世代みんなで上がっていこう」「一緒に面白くなっていこう」という感じがある、と荘子itは言う。
- いつもここから性人間には「いつもここから」と戻ってこられる場所が必要だ、という話。
- 意図せず視点を行き来しているリリックの中で語りの視点が移っていることについて、 そこまで意識していないと荘子itは言う。
- 意味より強度、の使われ方宮台真司ですらドゥルーズを参照して「意味より強度」と言うが、それは物語なんか信じないで情動と溢れんばかりのものにまみれようぜという、ある種ドパガキ的で30代的な物語でもある、と荘子it。
- 梅原大吾45歳くらいになっても現役。
- 映画音楽は一切サンプリングしていない映画音楽っぽい、映画っぽいと言ってくる人が多い。
- エゴドキュメントのナショナリズム利用遊就館の最後には戦没者の手紙や写真が集められた部屋が続く。
- 演じている自分と野晒しの自分**ラップするときの声と、喋っているときの声は全然違う—— やっていることは声優と同じなのではないか。
- 公に出すからこそ偏った主張ができる創造的な非対称性を荘子itが受ける。
- 置きに行ってるぞ、と気づく文章を書く覚悟について訊かれて福尾が答えること。
- 置き配写真館の構造的な問題自分の家に届く置き配写真は、毎日歩いている玄関先を無造作にピンボケで撮った写真が急に送りつけられてくるという、めちゃくちゃ不気味で変な体験だ。
- お互いの劇場の領域が被っている自分の物語の登場人物にしてしまう、というのはあまりしたくない。
- 愚かさを肯定するところまで行くべきではないか作品の外側に口実が逃げているの裏返しとして福尾が言うこと。
- 音楽に啓蒙はいらないそもそも音楽が好きじゃない人に「音楽って素晴らしいんですよ」と言ってもしょうがない、と福尾。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 描いていないことで本当らしさを出すブラックボックス展以降のホラー作品について。
- 書いている間は金が発生しない受注仕事以外の作曲や執筆は、何ヶ月作り込んでいてもその間は収入がない。
- 顔が見える福尾が Dos Monos について前々から思っていたこと。
- 限りなく書きながら録る沖縄のホテルに缶詰で、明後日のライブ用の歌詞を書いている。
- 過保護になることでタフネスが抜け落ちる福尾が書いた『カホ』の書評について。
- 画面の中で本当に起きていると信じられるか映画になったとき、画面内で起きていることとメタ視点が分離している状態だと面白くない、と荘子itは言う。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが左手のない猿を評した言葉。
- 機械を通じて人間性を感じさせる没のリリックに出てくるセオ・パリッシュとトラックスマン。
- 企画という口実「寝た方がいいよ」と正面から言っても救えない。
- 記述する力という第三の力三宅香帆が言っていたこと——芸人やアーティストはエピソードトークが面白く、批評家は絶対に敵わないから、起きたことではなく解釈の話をすべきだ。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 行間が勝手に補完されるガンダムのように、裏に共有されたデータベースがあれば、穴だらけの描写でも強烈な快楽が出る。
- 教養が人徳を高めるのは統治者の論理文化系と新自由主義系のあいだの溝はどうすれば埋まるのか、という話。
- 曲を作るのはもう癖を作る段階荘子itが「ほとんどミュージシャンが嫌い」と言うときの中身。
- 綺麗なパンツを履いている「これが自分だ」と見せながら、実は綺麗なパンツを履いている状態。
- クイックな効果とズシーンと来るもの話題作を見てよかったと思った人の行動がどう変わるかを考えると、 **「確かに中途半端にやっていたかも、明日から真面目に頑張ろう」—— 本当に自己啓発的な効果を生む可能性が高い。
- 癖と曲荘子itが「ずっと一番大事だと思っていること」として語った話。
- 癖はメソッド化しにくい「癖の作り方」を訊かれた癖の発案者としての答え。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- 区民ホールの子供向けの舞台王様の耳はロバの耳、星の王子さま。
- クリシェを部分的に自分に許すなぜそんなに書けるのかと訊かれた小説家が答えたこと—— **ここはクリシェでいい、というポイントをどれくらい配分するかで加速させていく。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを取らされてしまう。
- ゲームの不自由さゲームは万能感に浸れるものかと思いきや、むしろ一定の不自由さを楽しむもの。
- 言語化しようとしていない頭が悪いのか何なのか分からないけれど、 自分の人生をそんなに言語化しようとしていない、と没は言う。
- 現代美術はハイカルチャーだから扱うのではない「もっと社会学的なことやサブカル的なものを使わないのか」と言われることについて。
- 交換様式F柄谷行人の交換様式Dから始まる話。
- 高級なポイントの取り方福尾は文章をポイント制で考えている。
- 構造を追い切れないことが気持ちいいヒップホップのビートは、音楽理論で譜面に起こそうとするとかなり変なことをしている。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感がダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、という順序が前提になる。
- これが奇跡ですよと指ささない『急に具合が悪くなる』はギヨーム・ブラックが撮影監督で、スタンダードとワイドの中間くらいの画面サイズで、さり気ないのにビシッと来る。
- 最後にカメラを引いて終わる日記のエンディングの型。
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 作品そのものが批評として立ち上がるリスナーからの問い——単に状況を映すだけでなく、その状況そのものをえぐり出してしまう力を作品が持つのではないか。
- 作品の外側に口実が逃げている福尾が『広島広島』に感じた引っかかり。
- さらっとできたやつの方がDos Monosの新曲で、1年がかりで根詰めて作ったものより、最後にさらっとできた方がメンバーの反応もよく、ライブでも盛り上がる曲になりがち。
- サンプリングでジャケを作るジャケットの猿が着ている黒いパーカーは、もともと存在しないものだった。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 実空間を記述するからこそフィクションになる疎な記述をしようとすると、小説でいう視点人物のような架空の人格が勝手に立ち上がる、と福尾。
- 実際にあったことのパントマイム師になれドゥルーズ『意味の論理学』の言葉。
- 知っている人間がこんなふうに見える大学1年生のとき、TaiTanたちが劇団の1年生公演をやったのを見て、涙が止まらなかったという話。
- 自分が作ったものが自分を別のところに連れていく物を作って出したときに一番面白いのは、自分が作ったものが自分を別のところに連れていってくれるという感覚だ、と福尾は言う。
- 自分が何に引っかかるか「表現を仕事にするなかで、政治について知らねばならない・語れるようにならなければならないという焦りや義務感を感じるタイミングはありますか」というリスナーの質問への答え。
- 自分の創作を暴力とリンクさせてしまうコッポラについて荘子itが言うこと。
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 10先という形式形式を発明したのも梅原大吾なのだ、と福尾は言う。
- 10先という形式を発明したのも梅原格闘ゲームは何千回でもやれてしまう。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- 状況へのリアクションを求められる新しいアイデアについて喋っている、という状況そのものを受け取ってもらえる場所がどんどん少なくなっている。
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 小説は報告から始めるべきでは上野の国際子ども図書館で手に取った石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』は、一文目からノンちゃんを紹介している。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 処方箋を出さないと精神論に翻訳される三宅香帆の本が「半身で働こう」という処方箋を提示するのに対して、『置き配的』が明確な処方箋を提示しないのは、ある種の誠実さとしてやっているつもりだ、と福尾。
- 人工的なリアルとリアルな人工性映画は自然主義的なものがかっこいいとされがちで、古くはアンドレ・バザンのモンタージュ批判から、今ならホン・サンスまで。
- 全員苔にしてやりたいどこからともなく呼びかけられているというより、単純に自分のなかから出てきているものだと思うけれど——大きく言うと、全員苔にしてやりたいくらいのことは思っている。
- 創作は破壊、批評はサルベージ**批評は虚飾を剥がして、それでも大事なところを見つける——サルベージ。
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- 象を作ると像を作る岡崎乾二郎の展示の最後が象の彫刻だった。
- その通りに書きたいと1ミリも思わない『非美学』が読みにくい、という書評について福尾が言うこと。
- それぞれ勝手にやっているからやりとりが発生する葉山莉子がTinderでマッチした相手に日記を送っていた——一番多いときは同時に100人へ——という話から福尾が引き出した形。
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- それを見ているのは誰なんだお互いの劇場の領域が被っているの先で出てくる問い。
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、という福尾のツイートから。
- ダイナモポッドキャストエキスポから一度帰ってもう一度行き、夜中に長文を書く。
- 他者の魂を信じるための装置自分以外にも他者がいるということを信じる感覚は、アドマチックで生成される、と荘子itは言う。
- 他人の日記福尾が構想している日記本のタイトル。
- タフネスがパワーとして機能する前回のパワーとタフネスの話に、疎の街のコメント欄で読者が続きをくれた——マジック・ザ・ギャザリングにはパワーの値とタフネスの値が入れ替わる呪文がある。
- 男性声優が今一番かっこいい男声優のポッドキャストがめっぽう良い、というところから福尾が言い出す。
- ちいかわ福尾は漫画を全部読んでいる。
- ちいかわのレギュレーション改めて読むと言葉の配置のレギュレーションがめちゃくちゃ厳密だ、と福尾は言う。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 著者を喜ばせるための引用ではない「引用リポストを使っていいのか迷っている」というリスナーの質問への答え。
- ちょっと泳がせてみる渋谷でたまたま入った無料の陶芸の展示で、一番好きだと思った作家が知的障害のある人の施設のアトリエで作っていた人だった。
- 作り続けている姿のほうを受け取るうずまきと貨幣の分析は面白かったが、 それは出来上がった作品に対する分析でしかないと荘子itは言う。
- 作るための場も作っているアルバムの制作とこの番組は、原因と結果ではなく 同時期にやっていたことという平行関係でもある。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」と思った。
- 出口そのものを作る批評が対象作品を価値づけるための回路が、めっちゃ少ない——すでに共有されている道徳的な良さに回収するしかできない、と福尾。
- 哲学の無教養主義はありえるか東の放送に、数年ひとりで哲学をやっていると言う若い参加者が来て、三島由紀夫も太宰治も知らず、東のことはひろゆき経由で知ったと言った。
- デフォルトモードネットワークで仕事している『ADHD 2.0』によれば、脳には「デフォルトモードネットワーク」(ぼーっとしている、特に何をしているわけでもない状態)と「タスクポジティブネットワーク」(いまこれをしているとはっきりしている状態)があり、普通はそれを切り替えながら生活し
- 電信柱の犬のおしっこ展示にあった写真作品。
- 読者が調教される本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
- 努力に対して報酬があると理解させる福尾のエッセイ講座のレジュメにあった原則。
- 内面なきプライバシーひとごとで使った言葉。
- 二次的ではあるけどメタではない福尾には「メタ」という意識があまりない。
- 2手3手先に置くべきものをいきなり置く接続詞なんていらないのではないか、という自分の昔の文章の話から。
- 人間の本当の仕事は感動することトラックメーカー講座をやろうという話が出たときに荘子itが思ったこと。
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- 恥とかっこよさのバランスリアルな傷や人に言えなかったことを出せているから偉い、という話ではない。
- 初めてライブを見るときの感じリスニングパーティーの感想から。
- 恥をかかせないための作法黒沢清の時代劇の、いつでも白黒フィルムに繋げられるような厳格な様式について。
- 恥ずかしいことと恥ずべきことは違う昨日の配信で聞いた、と福尾が紹介するアフォリズム。
- 恥ずかしさを超えていくタイトルだけでこんな恥ずかしい言葉を考えられるのはすごい才能だ、というところから。
- 発見であって作為ではない『8番出口』が面白いのは、ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』という遠いと思われているものの相似形を「発見」して、それをそのまま愚直にやっているから。
- 発酵というメタファーが嫌い自分の考えが育っていくことを「発酵」で語る言い方——頭のなかに放り込んでおけば2、3年経って勝手にいいアイデアになる——が少し前に流行った。
- 葉っぱの影が白いシャツの上を流れたWilliam Faulkner『八月の光』でいちばん印象に残っている描写、と福尾は言う。
- 花火が繋いでしまう利賀村の演劇は、日本で断絶したものを毎年やり続けているという意味で「取っつきにくさの最高峰」なのに、花火があることでお祭りとして機能している。
- パラグラフパッド福尾が書くときに一番困るのは、あるところまで書けてそのセンテンスをどう終わらせるか、一度終わってしまったセンテンスを次にどう始めるかという、すごく細かいところで手が止まってしまうこと。
- バロックの見せ方で呼び込んでマニエリスムの毒で刺す「実際どう戦っていくのか」に対して後藤護が提案する最良の選択。
- 光の当たり方が変わる荘子itのソロアルバムを先に聴いた福尾の印象。
- 光を当てなければ生み出されなかった局所性Dos Monosは「奇怪なサンプリングのミクスチャー音楽」と言えば言えてしまい、AIにプロンプトを入れればそれっぽいものが出てきそうなタイプでもある。
- びっくりさせながら読んでもらう10万字20万字の文章を読んでもらうというのは、それだけのコストを払ってもらうことだから、何らかの報酬系が刺激されないと読んでもらえない。
- ヒットアンドアウェイ方式日常のすべての面を切り売りしても、友人と接する時間に当てることはできない。
- 必要なものが明確に分かる10年ぶりにギターを引っ張り出したら意外と弾けた、という話から。
- ビデオポッドキャストのビデオポッドキャストは限りなくフレームしかない、と荘子it。
- 人に選んでもらうと発見があるHATRA の展示会で、荘子itが「これ好きっすね」と言ったら、 デザイナーの長見に「**それだといつもの荘子itさんと変わらない。
- 批評にもっと期待していい黒嵜想と話して出てきたこと。
- 批評はステルス化する批評能力は、もっともらしい批評文を書くという形では達成されなくなっていくのかもしれない。
- フィルモグラフィーとしての連続性リレー走かハンマー投げかを、荘子itが自分の側に引き寄せる。
- 服なんて今作る必要はないレシスのデザイナーがどこかのインタビューで言っていたこととして。
- 文章が二重で見える文章っぽいと言われることを、荘子itは狙いであり強みだと考えている。
- 別の形で与えるんだ自分が BUMP OF CHICKEN から受けたような感動を、 別の形で誰かに与えるんだ—— ライブが始まる前に、勝手にそうなっていくのだという感覚があった。
- 変なことが起こりそうな場所を作る福尾が斎藤環とのトークイベントで、文章の書き方として答えたこと—— **変なことが起こりそうな場所を作って、あとは書きながら考える。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- ポッと出たものが一番いいDos Monos の作品では、最後の最後にやっつけでできた曲が いちばんアンセムになるということが続いている—— 前作は「リーマリン」、今回は「リアリーフリー」。
- ぼやっとした上手さにハマる必要なものが明確に分かるの裏返しとして福尾が言うこと。
- 本当にいいものを知っている俺が一番つまらない**ちょっと売れている人やメジャーっぽい人への嫉妬はあるし、 「なんであんな軽薄な奴らが」と思ったりもする。
- マイナーだから記述せざるを得ない庭師でもあり研究者でもある山内朋樹とのトークから。
- まずすげえコンテンツ作れや最後に少しだけ毒を吐く、と言って東が出す話。
- 真ん中から書き始める文章を書くコツを訊かれて福尾が答える、常に意識していること。
- 真ん中から始めるフォークナー『八月の光』を読んだ福尾の見立て。
- 密閉した途端に製品になる大和田俊の炭酸水の作品について。
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。
- 未来にアウトソーシングする交換様式Dも、シンギュラリティ論も、終末論も、救世主待望論も、 未来にアウトソーシングしているという意味では同じだ、と福尾は言う。
- 無価値な思い上がりに価値があると証明する受注仕事だけをして、それをまとめて作品集として出せばいい—— そういうミュージシャンもいる。
- 無惨でもなさ福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 恵まれていることと欠けていることが同時にある荘子itが自分の生い立ちについての歌詞を書きながら考えていること。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- 物語がインストールされる福尾は小6くらいまで「物語」というものの存在が分からなかった—— それまではめちゃくちゃフィジカルで断片的な世界をひたすら生きていた。
- やってない間の見せ方格闘家は年に2、3試合しかできない。
- 有名人じゃない体で最高のパフォーマンスをする荘子itが「やがての最終目標」として挙げること。
- 余暇でブラブラしていても結果労働になる村上春樹の長編小説の男性主人公は、「眠り」の主人公と同じように余暇をいきなりガバッと与えられる——失職して、もう何もしなくていいですよ、となる。
- 装いもプロフェッショナリズムのうち三宅香帆のモノマネ動画をめぐる話から。
- 予測変換を紙でやるパラグラフパッドの要点は、パソコンの予測変換の代わりに、自分の頭が勝手に予測している次の文章を紙に書き出すところにある。
- ランダムに日記に飛ぶボタン3年分の日記を丸ごと一冊にする本の企画が動き出した。
- リソースは一個でいい『群像』の新連載でも書いていること。
- 料理は可逆的である長谷川あかりのレシピは調理前の材料を鍋に突っ込んだだけの写真を上げて「あかり信じてるぞ」と言うミームが生まれるくらい、「これいけるの?」という手順で美味しくなる。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- リレー走かハンマー投げか連載を一冊の本にするとき、 普通は「第何回」を「第何章」に置き換える。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。
- 理論を作って渡す人文的なものを「僕らがやっていることを皆さんもできるようになります」という能力の形でプレゼンすることも必要だとは思うが、福尾はそっちにはあまり興味がない、と言う。
- 猥雑さへのダイブを経てから型を見つけるみんな猥雑さが好きだから身につけていて、その猥雑さの中からちょっと本当のものを見出している、と荘子it。
- わざと空気を読まない福尾が半分意識的にやっていること。
- 私性の形式化エッセイブームと並行して、「私性」というものの形式そのものが偏り、固まっていっている——丁寧な暮らし的な何か、ケア的な何か、あるいは逆にケア的な何かへの違和感、といった方向に。