無惨でもなさ
むざんでもなさ
福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
番組より
悲惨なものへの憐れみでも、無残なものを前にしたときの発狂の類でもなく、無残でもないものを見たときに、そこに何か初めて人は何か考えたり書こうとしたりするみたいな。
この項目について
悲惨なものへの憐れみでもなく、無惨なものを前にしたときの発狂でもなく、 「無惨でもないもの」を見たときにこそ、人は初めて何かを考えたり書こうとしたりする。 荘子itは以前これを「野蛮さ」と呼んだが、もっと適切な言葉があると思っていた、と言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- オルタナティブとインディペンデントは別物福尾がある美術展のぐだぐだなトークイベントで主催者を批判しながら言ったこと。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 書いている間は金が発生しない受注仕事以外の作曲や執筆は、何ヶ月作り込んでいてもその間は収入がない。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが[[左手のない猿]]を評した言葉。
- 左手のない猿都内に出没した左手を失った猿のニュースをきっかけに書いたエッセイ。
- 海辺へ行く道荘子itが音楽を担当した映画。
- EUREKA青山真治の没後のリバイバル上映で見て「こんなすごい映画だったのか」と思った。
- 名乗りを卒業する「Dos Monosの荘子itです/福尾匠です」という名乗りは第6回から荘子itが勝手に始めたもの。