左手のない猿エッセイ
ひだりてのないさる
都内に出没した左手を失った猿のニュースをきっかけに書いたエッセイ。
自分のサイトに書いた短い文章を拡張して写真家の作品集に寄稿した。 福尾自身「今まで書いてきたなかではかなりいい」「到達点だ」と言う。 荘子itはそこにアイコニックさと野蛮さを見て、それが福尾の根本にあるものであり、 Dos Monosとも通じるところだと言う。
2025年9月8日の回
福尾が自身のサイトに書いたエッセイ。 昼前のニュースに出てきた「左手のない猿」——去年4月に福島で目撃され、 栃木や茨城を経て秋には静岡まで移動していた一匹の猿——から始まる。 通行人が撮った動画のなかで、その猿は買い物袋を提げた女性に二足歩行で近づく。 女性はティッシュ配りを無視するくらいにしか歩みを乱さない。 左手のない、二足歩行の猿。それはどこかひとごとでない感じがする、と福尾は書く。 無惨でもなさはこのエッセイのオチであり、 非美学後半の議論の圧縮版でもある。
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関連項目
- 近所福尾がいま書いている本の主題。
- 記と紀古事記の「記」は言偏で、日記の記でもあり、国内向けの物語として書かれた。
- 文化こそが国防軍事力や核による抑止ではなく、リスペクトと愛着があるから揉めたくない、という形で 平和が保たれるのが本当は一番いい。
- 引き裂かれている状態から出発する哲学はヨーロッパのもの、ヒップホップはアメリカのもの、というのは前提にしていい。
- 言葉遊びの擁護同音異義や掛け言葉といったポストモダン哲学的なやり口は、いま「上手いこと言ってる感が ダサい」という風潮のなかで嫌われつつある。
- 福嶋亮大福尾との対談で「台湾有事が来たら、君らがやってることは何の意味もなくなりますよ、 何も残らないですよ」と言った。
- 浜崎洋介荘子itの大学時代の恩師にあたる保守論壇の人。
- 松岡正剛国風文化と中国的な文化が並存しつつ、どちらが優位かが入れ替わりながら歴史が進むという二軸の日本観を持っていた人として名前が挙がる。
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 海辺へ行く道荘子itが音楽を担当した映画。
- 絵の具箱の中のお金『海辺へ行く道』で福尾が一番感動したショット。
- オルタナティブとインディペンデントは別物福尾がある美術展のぐだぐだなトークイベントで主催者を批判しながら言ったこと。
- 書いている間は金が発生しない受注仕事以外の作曲や執筆は、何ヶ月作り込んでいてもその間は収入がない。
- 換喩的に飛んでいく荘子itが[[左手のない猿]]を評した言葉。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 名乗りを卒業する「Dos Monosの荘子itです/福尾匠です」という名乗りは第6回から荘子itが勝手に始めたもの。
- 無惨でもなさ福尾のエッセイ「左手のない猿」のオチであり、『非美学』後半の議論の圧縮版でもある。
- EUREKA青山真治の没後のリバイバル上映で見て「こんなすごい映画だったのか」と思った。