まだ見ぬ麻婆豆腐を踏みに行く
まだみぬまーぼーどうふをふみにいく
パワーとタフネスの対比を、普段の食生活に落とすと——福尾が近辺のもので回すのに対して、荘子itは毎回麻婆豆腐を起点に各地を踏み荒らしていく。
番組より
福尾に対して毎回、麻婆豆腐を起点に各地で踏み荒らしていく。まだ見ぬ麻婆豆腐っていうのを踏みに行くために踏み荒らしてるわけだからね。
この項目について
まだ見ぬ麻婆豆腐を踏みに行くために踏み荒らしているのだから、そういう意味では自分はパワー寄りだ、と。一人の外食は絶対に麻婆豆腐の続き。
この項目が出てくる回
関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。