音楽批評には敵がいない
おんがくひひょうにはてきがいない
今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
番組より
でもなんか敵つけるのはやっぱ結構大事だと思うよ。今やっぱ肯定性の文化だからさ。
音楽批評ってさずっと同じことで喧嘩してない? みんなずっとはっぴいえんど論争で。
まあでも怖がりもしないし、仮想敵にもしてもらえてないわけじゃん。
この項目について
荘子itは中村とうようを挙げる——マイケル・ジャクソンの『スリラー』評を0点にし、ヒップホップを全く評価しなかった評論家。世界中の音楽を聴き倒した果てに「ヒップホップなんかクソだ」と言っている先人がいるとき、じゃあヒップホップは本物じゃないのか、ではなく、そんなやつにすら認めさせるものにしていこう、と仮想敵として思い描けばいい。否定性を媒介にして高次に登っていく、アウフヘーベンのパロディのように。福尾はしかし、音楽批評はずっと同じところで喧嘩している、と返す——みんなずっとはっぴいえんど論争で、同じ二項対立の揺り戻しを何十年もやっている。いま批評家を怖がっている音楽家はいなさそうで、怖がられもしないが、仮想敵にもしてもらえていない。中村とうようが今も引っ張り出されること自体の貧しさ、とも。
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関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 程度問題という言葉が持つ無害化の力「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- ネガティブ・ケイパビリティが嫌いeiaiai・ネガティブ・ケイパビリティとは、決断や判断をして何かをやるポジティブな能力に対して、ままならなさやどっちつかずの状態、矛盾を抱えたまま生きられることも一つの能力だ、という考え方。
- 泣かない歯磨きiaiai・2歳4か月の娘がついに泣かずに歯磨きできた。
- 最適化されない恥aiai・著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
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