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言語は全部借り物である

げんごはぜんぶかりものである

平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。

初出
否定される力(2026年6月29日)

番組より

小説家ってさ極端に言えば自分以外の言語を書けないといけないわけじゃん。自分の言葉じゃない言葉を書くっていう、めちゃめちゃある種逆説的なことを宿命づけられているのが小説家だと思うんだよね。

全部借り物なのに、あたかも平野啓一郎独自の明文化されるルールがあって、その境界線をはっきりしてるんだみたいな、そこを勝手にまたぐやつは許さんみたいな。言語ってそういうもんじゃないっしょっていう。そもそも借り物であることがデフォルトだから。

この項目について

福尾は「腹を立てている人に腹が立ってきた」と言う。チェックしてくださいと送られてきたのだから直して返せばいいだけで、これは実務の問題であると同時に言語とは何かの問題でもある。言葉には、自分では気づかないまま内面化してしまったルールが複合的に入り混じっている——この言葉遣いを自分はしがち、この言葉遣いは嫌だと思ってしまう、という生理的で説明できないものが、それぞれにいっぱいある。それがいっぱいあるということが分かっていることこそが言語についての理解で、小説家はそれを持っているべきだ、と。そもそも言語は自分のものではなく、全部借り物であることがデフォルトなのに、あたかも自分独自の明文化されたルールがあってその境界を勝手にまたぐやつは許さん、というのは言語をそういうものだと思っていないということになる。小説家は自分以外の言語を書けなければいけないという逆説を宿命づけられているはずだから、なおさら。

この項目が出てくる回

関連項目

となりで喋られていたこと

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