疎の街が現実の空間に影響しているとしたら
そのまちがげんじつのくうかんにえいきょうしているとしたら
鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
番組より
だからみんながすごいコミュニティ意識みたいなのがあって、みんなで一緒にみたいなのは全然なくて、普通にそれぞれがここで自分のやりやすくて、それがたまたまうまく組み合わさってお互いに手伝ったりとか。
早速だから疎の街みたいな言ってることが現実のめっちゃいい空間に、もしかして思想的に面白い影響を与えてるとしたら、こんなに素晴らしいな。
この項目について
一職人がメタ意識を持って「これが結構うまくいっている疎の街です」と言っているのがやばい、と荘子itは驚く。すごいコミュニティ意識でみんな一緒に、というのが全然なく、それぞれがここで自分のやりやすいようにやっていて、それがたまたまうまく組み合わさってお互い手伝ったりしている。概念としての疎の街のほうが先を越されているかもしれない。この東京というクソな街でいろいろ言っていることが、現実のめっちゃいい空間に思想的な影響を与えているとしたら素晴らしい。
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関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 程度問題という言葉が持つ無害化の力「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。