2026年6月29日
否定される力
疎の街の質問会を朝から収録したあとの回。自分の言葉づかいを自分で直すこと、音楽批評に論争が無いこと、そして質問会で出た「パワーとタフネス」の対比まで。
話の流れ
- 0:00朝から質問会を撮った毎月恒例の「すべての質問に答える」を疎の街限定で配信している。今日はその収録のあとの通常回。
- 2:32打ち上げ会場と客席が一緒イベントのシステムの話から。
- 5:05役そのままの人かと思ったら『ハッピーアワー』に出ていた人に会ったが、役の印象とは違って普通のちゃんとした人だった。
- 10:08おしゃれにやっている感じがしてまずい料理が薄すぎる。立地も相まって、おしゃれにやっている感じが出てしまっている。
- 15:10自分でちゃんと説明できない好き嫌い千葉雅也が最近の生肉に苦言を呈するように、この言葉づかいは自分はしがちで、この言葉づかいは嫌だと思ってしまう、という生理的なものがそれぞれにある。
- 20:11自分の発言を自分でどれくらい直すか対談やインタビューには編集者の構成も入る。書き足しすぎると相手が困る。全体の流れを保存しつつどこまで直すか。言語はそもそも自分のものではない。
- 22:42有名と匿名のあいだ二項対立で言えば匿名寄り。Xのような空間との相対で。
- 25:132年続ければ本1冊分になる毎回4000字くらい書けば、2年で1冊分の分量になる。
- 27:43平野啓一郎が仮想敵「平野啓一郎的小説」というものが、いまの福尾にとっての仮想敵になっている。
- 30:14音楽批評はずっと同じことで喧嘩しているずっと同じ地点で、全然アウフヘーベンしていないのではないか。もっとポレミックで論争的なことを言う人がいてもいいはずだが、いまはミノミュージックになってしまう。
- 37:46書評した本にも怒っていたある書評を書いたら、その本に対しても怒っていた、という話。
- 40:00平日は悟っていて週末に戻る保育園に預けている平日はずっと悟っているような状態。1週間というのはよくできたシステムだ。
- 57:40沈黙がいい味になっているリスナーからの感想。スパイスが馴染むようなことが起きているのかもしれない、と。
- 1:00:12楽しそうなのが漏れている番組がこなれてきて、ただ楽しい感じになってしまっている。
- 1:02:43バキ的なものと嘘食い的なものその違いを言語化したい。通じるところもあるが、バキ好きから嘘食いが見下されている気もする。
- 1:05:15弱い状態が許されることへのもやもや権利を主張することによって弱い状態が許される、というところにもやもやしていた、というリスナーの反応。
- 1:07:46パワーとタフネス起こったことは事実であって、それをどう引き受けるかがタフネス。パワーとの対比で考えるとすっきりする。
- 1:10:16疎の街が現実の空間に影響しているとしたら「疎の街みたいだ」と言われる場所が現実にあって、思想的に面白い影響を与えているとしたら嬉しい。
- 1:17:49お金の話は禁じ手なのか細かく見ればみんなお金のことを考えてやっているはずだが、それを言うのは普通は禁じ手なのか。
- 18:48自分以外の言語を書けないといけない小説家が宿命づけられている逆説。
- 27:58敵をつけるのは大事今は肯定性の文化だから。もっとヒリヒリする敵を設定していい。
- 47:27程度問題という言葉の無害化する力程度問題というあり方は愛しているのだけれど。
- 1:16:40僕が興味深いと思うのは本来なら2手3手先に置くべきものを、いきなり置いてしまう。
この回で出てきた言葉
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 週末ごとのアポカリプスツアーで毎週末ライブをやっている状態について。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 程度問題という言葉が持つ無害化の力「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。
- 2手3手先に置くべきものをいきなり置く接続詞なんていらないのではないか、という自分の昔の文章の話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 本物の木こりリスナーのハンドルネームが「本物の木こり」であることに荘子itが反応する。
- まだ見ぬ麻婆豆腐を踏みに行くパワーとタフネスの対比を、普段の食生活に落とすと——福尾が近辺のもので回すのに対して、荘子itは毎回麻婆豆腐を起点に各地を踏み荒らしていく。
- 水出しアイスコーヒーは不潔コメントでも拾われた、この番組の鉄板のディス。
この回からの引用
だって水で出して美味しいわけがないじゃん。コーヒー豆を砕いてさ、それを水に浸して美味しい液体が出来上がるわけがないと思うんだよね。
小説家ってさ極端に言えば自分以外の言語を書けないといけないわけじゃん。自分の言葉じゃない言葉を書くっていう、めちゃめちゃある種逆説的なことを宿命づけられているのが小説家だと思うんだよね。
全部借り物なのに、あたかも平野啓一郎独自の明文化されるルールがあって、その境界線をはっきりしてるんだみたいな、そこを勝手にまたぐやつは許さんみたいな。言語ってそういうもんじゃないっしょっていう。そもそも借り物であることがデフォルトだから。
相対的匿名性。絶対の匿名じゃなくて、有名か匿名かって二項対立が結構すぐ20世紀で来たってなって思うんだけど、もはやそこはグラデーションの話になってきてる。
→ 相対的匿名性
でもなんか敵つけるのはやっぱ結構大事だと思うよ。今やっぱ肯定性の文化だからさ。
音楽批評ってさずっと同じことで喧嘩してない? みんなずっとはっぴいえんど論争で。
まあでも怖がりもしないし、仮想敵にもしてもらえてないわけじゃん。
否定され性もやっぱ大事だからね。否定され性だな、大事なのは。
→ 否定され力
やっぱ人の言語って気持ち悪いもんなんだよ、根本的に。そこから逃げちゃダメだと思うんだよな。だから気持ち悪がられないといけないし。
→ 否定され力
やっぱ人の言語って気持ち悪いもんなんだよ、根本的に。そこから逃げちゃダメだと思うんだよな。だから気持ち悪がられないといけないし、気持ち悪がられ可能性をちゃんと引き受けた方がいいなと思う。
週末から週末、確かに週末ってほんとね、ポストアポカリプスだけどさ、毎週末、週末っていうさ、アポカリプスってめちゃめちゃいいよね。
程度問題っていう言葉の、その程度問題の内実を全て殺す、なんかさ無害化するさ力が半端なくない?
そういう程度問題みたいなものをくくられない形で、本当の程度問題みたいなものを語ろうとするメタファーを探してるんだよね。
木こりって装う必要がない職業だよね。本当のイデアみたいな。
→ 本物の木こり
とにかくこれが起こったってことは事実みたいな、その起こったことに対してどう自分が引き受けるかみたいなことをタフネスだと考えると、なんかタフネスとパワーの対比もスッキリするから。
→ パワーとタフネス
福尾に対して毎回、麻婆豆腐を起点に各地で踏み荒らしていく。まだ見ぬ麻婆豆腐っていうのを踏みに行くために踏み荒らしてるわけだからね。
だからみんながすごいコミュニティ意識みたいなのがあって、みんなで一緒にみたいなのは全然なくて、普通にそれぞれがここで自分のやりやすくて、それがたまたまうまく組み合わさってお互いに手伝ったりとか。
早速だから疎の街みたいな言ってることが現実のめっちゃいい空間に、もしかして思想的に面白い影響を与えてるとしたら、こんなに素晴らしいな。
本来だったら2手3手先に置くべきものをいきなりまず置いちゃうみたいな。一回置いちゃうと、2手3手スキップした分の繋がりも後から出てくるだろうみたいな、そういうオプティミズムみたいな感じで書いたりするのは好きだけどね。
一応一回そこで段落切っていきなり、僕が面白いと思うのはとか、僕が興味深いと思うのはっていう、本来だったら2手3手先に置くべきものをいきなりまず置いちゃうみたいな。
それもやっぱ否定され力だから。
→ 否定され力