パワーとタフネス
ぱわーとたふねす
可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
番組より
とにかくこれが起こったってことは事実みたいな、その起こったことに対してどう自分が引き受けるかみたいなことをタフネスだと考えると、なんかタフネスとパワーの対比もスッキリするから。
この項目について
それをタフネスだと考えると、タフネスとパワーの対比がすっきりする、と福尾は言う。ニーチェ的なものへの距離、拒否反応のほうがむしろ最近は強かったけれど、それを別の形で脱臼させることで、力そのものをもう一回肯定する回路が作れている感じがある、という流れで出てくる。村上春樹、バキ、スラムダンクとタフネスをめぐる数週間の話のまとめのような位置にある。
この項目が出てくる回
関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。
- 程度問題という言葉が持つ無害化の力「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。