いちごパンツの本能寺
いちごぱんつのほんのうじ
荘子itが物を考えるということの原点として挙げる年号の語呂合わせ。
番組より
やっぱいちごパンツの本能寺とかをさ。1582年に本能寺の変がありましたよねっていう、覚えるときにいちごパンツの本能寺って覚える。
でもさ、それさ、いちごパンツと本能寺には何の概念的な繋がりもないわけじゃん。
この項目について
1582年を「いちごパンツ」と言い換える。 1582年と何度唱えても覚えられないのに、 「いちごパンツ、何パンツでしょう」と言えば絶対に分かる。 福尾が指摘する—— 「いちごパンツ」と「本能寺」には概念的なつながりが全くない。 「いい国作ろう鎌倉幕府」は隠喩的で内容とつながっているが、 いちごパンツは完全に嘘。 それが隠喩と換喩の違いであり、 燃え盛る本能寺で織田信長がいちごパンツを穿いていたとバレた恥ずかしさ、 その図像が忘れられなさすぎる。 一個の遊戯空間であり単なる遊びなのに、 それで実際にことが動く、覚えられる—— そのシステムを創出することが勉強なんだ、という感覚がベースにある。
この項目が出てくる回
関連項目
- とはいえボタン話が一周して落ち着きかけたところで、どちらかが「とはいえ」と言い出してしまう。
- 示すのが批評だ前回の「三宅香帆は批評になっていない」というマジギレの話から。
- 学べ、そして忘れろマイルス・デイヴィスの名言として荘子itが出す。
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 下心が追いつかなくなる公開する日記はセルフブランディングでもある。
- 日記本が短くて薄い日記ブームに対して福尾が気になっていること—— **世に流通している日記本は、なんか短いし薄い。