シットシッポ Wiki

2026年5月25日

とはいえ

日記本が短く薄いこと、試写で誓約書を書かされること、そして「とはいえ」という接続詞そのものについて。「とはいえ」の先にこそ本当の話がある、という回。

放送日
2026年5月25日
長さ
1:34:11

話の流れ

  1. 0:00いつも通り10分遅れる
    メールを打ちながら始まる。
  2. 3:50一回会うのが理想ではあるけれど
    難しい、という話。
  3. 7:40引用のルールだけはある
    金を払う必要は全くないが、どこからの引用か形式的に分かるようにする、というルールはある。
  4. 11:31名前を出さないでやる仕事
    簡単にやれる仕事も結局は自分のワークスに含まれてしまうので、名前を出さずにやるものもある。
  5. 15:21日記本が短くて薄い
    最近よく言っているのであまり言いたくないが、世に流通している日記本が短いし薄い。
  6. 19:13曲作りで対立するとき
    荘子itと没では感じ方が違うことがある。TaiTanは「どっちでもいいわ、良ければいいんじゃない」という感じ。
  7. 23:05示すのが批評だ
    前回の「三宅香帆が批評になっていない」というマジギレの話へ。一説には三宅本人は全く違うことを考えていたらしい。
  8. 26:56宇宙を思い浮かべるとき何を見ているか
    人によって違うのが面白い。朝永振一郎という物理学者の話。
  9. 30:49まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくる
    いつの間にか金や特定のカルチャーに自分が順応してしまっている。
  10. 34:39言われたからやっている
    編集者からこういう企画で、と言われて。
  11. 38:29試写でまず誓約書を書かされる
    内容を言ってはいけない。何のために試写に呼んでいるのか。
  12. 42:19新作映画の批評を書くな、に近い
    告知でそう言われた。『残された愛』と書いて「居合」というホラー映画。
  13. 46:10ホラーブームの社会的な意味
    そこに乗っかったうえで社会的な意味を考えることもできるが、そもそも。
  14. 1:09:16三ノ輪光介が『置き配的』を引用していた
    ホリエモンが背負っているとか言っている文脈で引用されていた。
  15. 1:16:57学べ、そして忘れろ
    使った後はもう忘れている。マイルス・デイヴィスの名言。
  16. 1:20:48とはいえボタン
    休憩中もそうだった。「とはいえ」の先にこそ本当の話がある。
  17. 1:24:39ポッドキャストは作品か
    作品だということと、喋っている人がクリエイターかどうかのあいだには微妙な線がある。
  18. 1:28:29パーソナリティが芸術である
    ライフログ的な文脈で言えば、まさにパーソナリティこそが芸術であるという世界観になる。
  19. 1:32:21イキリじゃなくイキリキリ
    TaiTanはイキリの大事さが分かっている雑誌カルチャーの人間だから。

この回で出てきた言葉

この回からの引用

簡単にやる仕事も結局自分のワークスに含まれちゃうから、名前出さないでやる仕事みたいなのもあったりするけど、そういうのをあんまやってもしょうがないよな。

将来自分の本に入れられる仕事

僕も本当文章に関しては、極端に言えば将来自分の本に入れられるなっていう仕事以外はあんま受けたくない。

将来自分の本に入れられる仕事

でもやっぱなんか日記が良かれあしかれ良いのは、そういう下心が追いつかなくなるから、毎日書いてたら。

下心が追いつかなくなる

下心が多少含まれてるスタートだとしても、それを超えていけるっていう。下心だけで3年は続けられないからね。

下心が追いつかなくなる

世に流通してるあれ、日記本なんか短いし薄い。やっぱ少なくとも1年以上毎日書いた人のものが一冊にまとまってないと、日記的なコクみたいなものって出ないんじゃないか。

日記本が短くて薄い

シットとシッポも1年経って作品が生まれたけどね。1回回る1年、これ回って初めて2週目からが本番ですよみたいな。

日記本が短くて薄い

むしろなんかね、同じものに思い入れが集中しちゃうと対立も鋭くなるからね。

こだわりが重なると対立が鋭くなる

あいつがこれやってるなら俺はこれいいかみたいなのがあったりする。外的要因で自分の力を発揮すべき場所がフォーカスできるみたいなことはある。

こだわりが重なると対立が鋭くなる

エネルギーって発見するものっていうかさ、な感じあるんだよね。

エネルギーは発見するもの

めっちゃ抽象化して言うとさ、力がないと思われてる人が別軸で持ってる力を発見するっていうのが指標だからさ。

エネルギーは発見するもの

絶対に本人が言わないことを言うっていうこともね、これもだから節度をね、超えるとリスペクトがない、何でも言っていいんだみたいな。やっぱそれは本当に節度の問題。

示すのが批評だ

それでしか出会った瞬間のひらめきが保存できないっていうことあるんだよね、なぜサンプリング音楽をやるのか。

出会った瞬間のひらめきしか保存できない

なんか許可取ってから作ってみるって、なんか変だもんね。

出会った瞬間のひらめきしか保存できない

本当はまず出会いがあって、そっからじゃあなんかこう現実的で社会的な色々が入ってくるっていうことだと思うんだけど、いつの間にか、まずそっちのフレームが先にあって自分が何をするかっていうことを決めるみたいなことに反転しちゃう。

まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくる

僕は多分、自分を何かに預けちゃってる人に対してめっちゃ厳しいんだよね。

まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくる

最初から依頼されて作っちゃうとさ、最初から必要とされてることから始めてるからさ。

無価値な思い上がりに価値があると証明する

まずこれ最初無価値な思い上がりなんですみたいな、でもこれ実は価値ありませんかみたいな、そこの交渉だよね。持ちかけるっていうことにやっぱりやりがいがどうしてもあるんだよね。

無価値な思い上がりに価値があると証明する

試写行って、まず最初に誓約書書かされるのよ。なんのために試写に呼んでんの。

試写でまず誓約書を書かされる

なんかこれの映画のその衝撃とか予想外さって、面白いに奉仕するものなのかみたいな。

試写でまず誓約書を書かされる

俺トーンポリシングって言われるけど、俺はトーンは大事だと思う。ポリスがさ、どうこうできる話じゃないんだよと、俺のトーンポリシーは。

トーンポリシングは大事

補助輪ついてるやつの補助輪を外す係みたいな。落ちそうで危ない子を助けるんじゃなくて。キャッチャー・イン・ザ・ライの逆みたいな。

補助輪を外す係

でもそれが本当の厳しさの中の優しさみたいな感じだと思うけど。

補助輪を外す係

やっぱいちごパンツの本能寺とかをさ。1582年に本能寺の変がありましたよねっていう、覚えるときにいちごパンツの本能寺って覚える。

いちごパンツの本能寺

でもさ、それさ、いちごパンツと本能寺には何の概念的な繋がりもないわけじゃん。

いちごパンツの本能寺

決まってるポジションを取って決まってる人たちを集めても、もはやあんま儲かんないのではっていう現実が見え始めてるってことでもあると思う。

正気になるのは実利でもある

そっちの方がむしろなんかレバレッジ高くなってきてる感じをうっすら感じ取ってる人たちがいるみたいな。

正気になるのは実利でもある

めっちゃなんていうか普通の話として、どっちの陣営にも読まれるっていうのはめっちゃ大事だと思う。

どっちの陣営にも読まれる

あの人が読んでくれたからOKってことだっていうことでもないと思うけどね。一つの目印として。

どっちの陣営にも読まれる

学べそして忘れろっていう名言がある。至言だよねやっぱね。学べそして忘れろだよ。

学べ、そして忘れろ

とはいえボタンなんだよな。本当にさっきの休憩中とかもね。とはいえで先にやっぱ本当の話があるからね。

とはいえボタン

とにかく描いてないことによって、なんか本当のこと、そっちにありますよねみたいな、その周りを描くみたいな作風が多すぎん。

描いていないことで本当らしさを出す

とにかく描いてないことによって、なんか本当のこと、そっちにありますよねみたいな。その周りを描くみたいなさ、作風が多すぎん。

とはいえボタン

とはいえの先をやると、やっぱ露悪にもなっちゃったりするから、だからやっぱ描くのは無粋みたいな感じで描かない、クレバーな色白のクリエイターが結構いる。

描いていないことで本当らしさを出す

これもやっぱりトーンポリシングがね、大事でやっぱりね、そこをちゃんと本当に対話を成立させるためのやり口っていうのがあるな。

トーンポリシングは大事

やっぱサルベージは批評の仕事で、やっぱ創作は破壊なんだよな。

創作は破壊、批評はサルベージ

批評ってやっぱどこまでいっても価値判断だからね。そこを失っちゃうと、批評もアートなんだみたいなことを言い始めちゃうことになるわけだから。

創作は破壊、批評はサルベージ

ライフログ的な文脈で言うと、まさにパーソナリティが芸術であるっていう世界観のわけだから。クリエイトというより結果論として作品になってる。

パーソナリティが芸術である

イキリじゃなくイキイキみたいなことをよくリリックでも言う。

イキリじゃなくイキイキ

俺はイキリじゃない、生き生きとした生きることをなんかやりたいな、それの良さをなんか思い出させたいなみたいな、表現で。

イキリじゃなくイキイキ