2026年5月25日
とはいえ
日記本が短く薄いこと、試写で誓約書を書かされること、そして「とはいえ」という接続詞そのものについて。「とはいえ」の先にこそ本当の話がある、という回。
話の流れ
- 0:00いつも通り10分遅れるメールを打ちながら始まる。
- 3:50一回会うのが理想ではあるけれど難しい、という話。
- 7:40引用のルールだけはある金を払う必要は全くないが、どこからの引用か形式的に分かるようにする、というルールはある。
- 11:31名前を出さないでやる仕事簡単にやれる仕事も結局は自分のワークスに含まれてしまうので、名前を出さずにやるものもある。
- 15:21日記本が短くて薄い最近よく言っているのであまり言いたくないが、世に流通している日記本が短いし薄い。
- 19:13曲作りで対立するとき荘子itと没では感じ方が違うことがある。TaiTanは「どっちでもいいわ、良ければいいんじゃない」という感じ。
- 23:05示すのが批評だ前回の「三宅香帆が批評になっていない」というマジギレの話へ。一説には三宅本人は全く違うことを考えていたらしい。
- 26:56宇宙を思い浮かべるとき何を見ているか人によって違うのが面白い。朝永振一郎という物理学者の話。
- 30:49まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくるいつの間にか金や特定のカルチャーに自分が順応してしまっている。
- 34:39言われたからやっている編集者からこういう企画で、と言われて。
- 38:29試写でまず誓約書を書かされる内容を言ってはいけない。何のために試写に呼んでいるのか。
- 42:19新作映画の批評を書くな、に近い告知でそう言われた。『残された愛』と書いて「居合」というホラー映画。
- 46:10ホラーブームの社会的な意味そこに乗っかったうえで社会的な意味を考えることもできるが、そもそも。
- 1:09:16三ノ輪光介が『置き配的』を引用していたホリエモンが背負っているとか言っている文脈で引用されていた。
- 1:16:57学べ、そして忘れろ使った後はもう忘れている。マイルス・デイヴィスの名言。
- 1:20:48とはいえボタン休憩中もそうだった。「とはいえ」の先にこそ本当の話がある。
- 1:24:39ポッドキャストは作品か作品だということと、喋っている人がクリエイターかどうかのあいだには微妙な線がある。
- 1:28:29パーソナリティが芸術であるライフログ的な文脈で言えば、まさにパーソナリティこそが芸術であるという世界観になる。
- 1:32:21イキリじゃなくイキリキリTaiTanはイキリの大事さが分かっている雑誌カルチャーの人間だから。
この回で出てきた言葉
- イキリじゃなくイキイキ映画を見て 「生きろ」ではなく「生きる」を感じた、 それもひらがなで、と荘子itは言う。
- いちごパンツの本能寺荘子itが物を考えるということの原点として挙げる年号の語呂合わせ。
- エネルギーは発見するもの**エネルギーは、体の中に眠っていても気づけない。
- 描いていないことで本当らしさを出すブラックボックス展以降のホラー作品について。
- こだわりが重なると対立が鋭くなるSNSの投稿の句点ひとつにも没は本気で切れて取り下げ、再投稿する。
- 試写でまず誓約書を書かされる内容口外禁止の誓約書を書かされてから見る試写。
- 下心が追いつかなくなる公開する日記はセルフブランディングでもある。
- 示すのが批評だ前回の「三宅香帆は批評になっていない」というマジギレの話から。
- 正気になるのは実利でもある「正気になりましょう」「スケールを追い求めてもしょうがない」—— それは実は、経済的に今そちらのほうがいいんじゃないか、 ということでもある、と福尾は言う。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 創作は破壊、批評はサルベージ**批評は虚飾を剥がして、それでも大事なところを見つける——サルベージ。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- トーンポリシングは大事「とはいえ」を言うかどうかの手前で、荘子itが問題にすること。
- どっちの陣営にも読まれる『置き配的』が、対極にいるように見える人たちの双方から引用される。
- とはいえボタン話が一周して落ち着きかけたところで、どちらかが「とはいえ」と言い出してしまう。
- 日記本が短くて薄い日記ブームに対して福尾が気になっていること—— **世に流通している日記本は、なんか短いし薄い。
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- 補助輪を外す係福尾の厳しさを荘子itが言い当てる。
- まず出会いがあって、それから社会的なものが入ってくる**本当はまず出会いがあって、そこから現実的で社会的ないろいろが入ってくる。
- 学べ、そして忘れろマイルス・デイヴィスの名言として荘子itが出す。
- 無価値な思い上がりに価値があると証明する受注仕事だけをして、それをまとめて作品集として出せばいい—— そういうミュージシャンもいる。
この回からの引用
簡単にやる仕事も結局自分のワークスに含まれちゃうから、名前出さないでやる仕事みたいなのもあったりするけど、そういうのをあんまやってもしょうがないよな。
僕も本当文章に関しては、極端に言えば将来自分の本に入れられるなっていう仕事以外はあんま受けたくない。
でもやっぱなんか日記が良かれあしかれ良いのは、そういう下心が追いつかなくなるから、毎日書いてたら。
下心が多少含まれてるスタートだとしても、それを超えていけるっていう。下心だけで3年は続けられないからね。
世に流通してるあれ、日記本なんか短いし薄い。やっぱ少なくとも1年以上毎日書いた人のものが一冊にまとまってないと、日記的なコクみたいなものって出ないんじゃないか。
シットとシッポも1年経って作品が生まれたけどね。1回回る1年、これ回って初めて2週目からが本番ですよみたいな。
むしろなんかね、同じものに思い入れが集中しちゃうと対立も鋭くなるからね。
あいつがこれやってるなら俺はこれいいかみたいなのがあったりする。外的要因で自分の力を発揮すべき場所がフォーカスできるみたいなことはある。
エネルギーって発見するものっていうかさ、な感じあるんだよね。
めっちゃ抽象化して言うとさ、力がないと思われてる人が別軸で持ってる力を発見するっていうのが指標だからさ。
絶対に本人が言わないことを言うっていうこともね、これもだから節度をね、超えるとリスペクトがない、何でも言っていいんだみたいな。やっぱそれは本当に節度の問題。
→ 示すのが批評だ
それでしか出会った瞬間のひらめきが保存できないっていうことあるんだよね、なぜサンプリング音楽をやるのか。
なんか許可取ってから作ってみるって、なんか変だもんね。
本当はまず出会いがあって、そっからじゃあなんかこう現実的で社会的な色々が入ってくるっていうことだと思うんだけど、いつの間にか、まずそっちのフレームが先にあって自分が何をするかっていうことを決めるみたいなことに反転しちゃう。
僕は多分、自分を何かに預けちゃってる人に対してめっちゃ厳しいんだよね。
最初から依頼されて作っちゃうとさ、最初から必要とされてることから始めてるからさ。
まずこれ最初無価値な思い上がりなんですみたいな、でもこれ実は価値ありませんかみたいな、そこの交渉だよね。持ちかけるっていうことにやっぱりやりがいがどうしてもあるんだよね。
試写行って、まず最初に誓約書書かされるのよ。なんのために試写に呼んでんの。
なんかこれの映画のその衝撃とか予想外さって、面白いに奉仕するものなのかみたいな。
俺トーンポリシングって言われるけど、俺はトーンは大事だと思う。ポリスがさ、どうこうできる話じゃないんだよと、俺のトーンポリシーは。
補助輪ついてるやつの補助輪を外す係みたいな。落ちそうで危ない子を助けるんじゃなくて。キャッチャー・イン・ザ・ライの逆みたいな。
→ 補助輪を外す係
でもそれが本当の厳しさの中の優しさみたいな感じだと思うけど。
→ 補助輪を外す係
やっぱいちごパンツの本能寺とかをさ。1582年に本能寺の変がありましたよねっていう、覚えるときにいちごパンツの本能寺って覚える。
でもさ、それさ、いちごパンツと本能寺には何の概念的な繋がりもないわけじゃん。
決まってるポジションを取って決まってる人たちを集めても、もはやあんま儲かんないのではっていう現実が見え始めてるってことでもあると思う。
そっちの方がむしろなんかレバレッジ高くなってきてる感じをうっすら感じ取ってる人たちがいるみたいな。
めっちゃなんていうか普通の話として、どっちの陣営にも読まれるっていうのはめっちゃ大事だと思う。
あの人が読んでくれたからOKってことだっていうことでもないと思うけどね。一つの目印として。
学べそして忘れろっていう名言がある。至言だよねやっぱね。学べそして忘れろだよ。
とはいえボタンなんだよな。本当にさっきの休憩中とかもね。とはいえで先にやっぱ本当の話があるからね。
→ とはいえボタン
とにかく描いてないことによって、なんか本当のこと、そっちにありますよねみたいな、その周りを描くみたいな作風が多すぎん。
とにかく描いてないことによって、なんか本当のこと、そっちにありますよねみたいな。その周りを描くみたいなさ、作風が多すぎん。
→ とはいえボタン
とはいえの先をやると、やっぱ露悪にもなっちゃったりするから、だからやっぱ描くのは無粋みたいな感じで描かない、クレバーな色白のクリエイターが結構いる。
これもやっぱりトーンポリシングがね、大事でやっぱりね、そこをちゃんと本当に対話を成立させるためのやり口っていうのがあるな。
やっぱサルベージは批評の仕事で、やっぱ創作は破壊なんだよな。
批評ってやっぱどこまでいっても価値判断だからね。そこを失っちゃうと、批評もアートなんだみたいなことを言い始めちゃうことになるわけだから。
ライフログ的な文脈で言うと、まさにパーソナリティが芸術であるっていう世界観のわけだから。クリエイトというより結果論として作品になってる。
イキリじゃなくイキイキみたいなことをよくリリックでも言う。
俺はイキリじゃない、生き生きとした生きることをなんかやりたいな、それの良さをなんか思い出させたいなみたいな、表現で。