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お気持ちと実感

おきもちとじっかん

ニック・ランドはリベラルを皮肉って「声の政治をやっている人たち」と呼ぶ。

初出
ふたりで靖国神社に行ってみた(2025年9月15日)

番組より

お気持ちって本当は実感と同じ意味のはずなんだけど、お気持ちって言った途端に、現実離れしたお花畑的な何かみたいなものとされてしまう。それに対して実感っていうのは、本当の本音みたいな、生活に根差した民衆の声みたいな。

本音主義が問題なんじゃなくて、本音とされるもののゾーンがめっちゃあらかじめ決まっているっていうことが問題なんじゃないか。リベラル寄りの本音っていうのは、本音が本音と思ってもらえないようなシステムになってる。

この項目について

現代は声の時代で、その声がカセドラル(大聖堂)を作っている——大学も主要メディアも「リベラルが当たり前ですよね」という前提になっている、と。それに対してランドが置くのが「イグジット=出口」で、声と出口という妙なカテゴリー違いの対立になっている。言いたいことは分かるが、その対立自体がきわめてヨーロッパ的だ、と福尾は言う。では、声と出口の対比が日本の中にあるとしたら何なのか——それは「お気持ち」と「実感」ではないか。この二つは本当は同じ意味のはずなのに、「お気持ち」と言った途端に現実離れしたお花畑的な何かにされてしまい、「実感」のほうは生活に根ざした民衆の本音として扱われる。つまり日本の問題は本音主義そのものではなく、本音とされるもののゾーンがあらかじめ決まっていることのほうだ。保守的なものは本音として受け取ってもらいやすいが、リベラル寄りの本音は本音と思ってもらえないようなシステムになっている。荘子itは「声も出口も、お気持ち/実感から見れば外側のもの。本当の内側の真実はどっちなんだ、という話だよね」と受ける。のちの疎密(密=ノイジーマイノリティ/疎=サイレントマジョリティ)や言語化と対比すべきはお気持ちにつながっていく対。

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関連項目

となりで喋られていたこと

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