言語化と対比すべきはお気持ち
げんごかとたいひすべきはおきもち
「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない(「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
番組より
言語化能力が一つの価値として流通するっていうのはどういうことかっていうと、内面がすごい平板化するってことと同時に起こってることだと思うんだよね。だから逆に言うと、そこでウィーネスが調達されてると思うんです。
この項目について
だから「言語化力すごい」というのは、「私も同じようなことを考えていたけれど、あなたが私より先に上手にそれを言葉にした」という褒め方になっている。言語化能力が一つの価値として流通するということは、内面がすごく平板化するということと同時に起こっている——そして、そこでこそ「ウィーネス(私たち性)」が調達されている。先に言語化した人とあとからそれを見た人のあいだに、もともと同じ気持ちを持っていたかのような内面のつながりが事後的に構築される。だから言語化と対比・並置すべきなのは、批評でも考察でもなく「お気持ち」だ、と福尾は言う。荘子itは、別の言葉で言語化されていたら微妙に違うテクスチャーを持ったはずの思考が、一つの言語化を旗印に集うことで平板化される、と応じる。そこには嫉妬の感情も必ず張り付いている。
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関連項目
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」と思った。
- 欲求と欲望動物的な欲求を刺激されている、というだけではない。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 強い解釈を持っている人の話が面白いoioi・批評好きのあいだには「テクストをちゃんと読もう」「解釈や一般的なイメージに逃げず、細部を見れば解釈を超えるものが出てくる」というセオリーがある。
- 人と人が喋るのは面白いoioi・ソクラテス以来、古今東西のやつがずっとそう言っているのではないか。
- フィールドの中で言うから面白いoioi・カニエ・ウェストは元々、手作業のビートメーカーという職人から出発した人で、真面目な職人が絶対にやらないようなありえない感、ヤバさ、神感をうまく出してくるバランスが凄かった、と荘子it。
- 松本人志oioi・ダウンタウンプラスの最初のコンテンツで2年ぶりに公の場に出てきて、涙ぐんだあとの第一声が「松本、動きました」。