疎密
そみつ
言うべきことで満たされた空間と、言うべきことがまばらな状態とを、単なる程度の差ではなく概念として分けるための対で、詰まっているほうが密、まばらなほうが疎。
番組より
疎密で言うとね。疎側であるとかね。ありそうですもんね。
『置き配的』の中に出てくる疎密っていうのは、密なのがノイジーマイノリティで、疎なのがサイレントマジョリティなんだ、みたいな話も。
サイレントマジョリティは密な空間の側からすると彼らはサイレントなんだけど、でも別に1日中黙ってるわけでもないし、喋ったり書いたりはしてるはずで。それを別にノイジーマイノリティの側のロジックに包摂するんじゃなくって、それがそのままあるっていう状態をいかにして維持したりとか認識したりとかするか。
本当に一番問題なのって、サイレントマジョリティとノイジーマイノリティじゃなくて、普通にサイレントマイノリティ的な存在が確かにいるわけじゃん。そこに触れられないよね、今のこの状況論を話していると。
この項目について
『置き配的』の中心にある。物そのものの性質ではなく、受け取る側がどう見るかという視点の問題でもある。福尾はこれを、SNSと日記、ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティ、といった形に何度も言い換えていく。この回では三宅香帆が、自分の本と福尾の本の似ているところ/違うところを「疎密で言うとね、疎側であるとかね」と言い当てる。その対に照らすと、二人はどちらも疎の側から書いている、ということになる。
2026年2月9日の回
『置き配的』の中心にある対。密なのがノイジーマイノリティで、疎なのがサイレントマジョリティなのだ、と福尾は言う。いわゆるリベラル的なものが失調してしまっているのは、ノイジーマイノリティのロジックでサイレントマジョリティを救おうとしているから。「声なき声に耳を傾ける」「大衆の意見をちゃんと吸い上げる」は一般論としては大事だが、そのやり方が「密な空間=アリーナに引っ張り上げる(フックアップする)」という形でしかなされていない。サイレントマジョリティは、密な空間の側から見るとサイレントなだけであって、一日中黙っているわけではなく、喋ったり書いたりはしているはずだ。それをノイジーマイノリティ側のロジックに包摂するのではなく、「それがそのままある」という状態をいかにして維持し、認識するか——それが『置き配的』の日記論がやろうとしていることだ、と言う。これを受けて荘子itは、本当に一番問題なのはサイレントマジョリティとノイジーマイノリティの対ではなく、その二つのどちらでもない「サイレントマイノリティ」なのではないか、状況論を話しているとそこには触れられない、と付け足す。別の回では三宅香帆が、自分と福尾の本の違いを「疎密で言うとね、疎側であるとかね」と言い当てている。「疎密」という語がそのまま出てくるのはこの回だけだが、同じ対比はもっと早くから、別の言葉で繰り返し語られている——風通しと埃(閉じられた空間に埃がたまることと、その外を流れるもの)、近所(誰も所有しない、まばらでムラのあるゾーンの重なり)、お気持ちと実感(本音とされるもののゾーンがあらかじめ決まっていること)、躁でも鬱でもなく平熱(どちらかの陣営に引っ張り上げられないための態度)。密の側=アリーナに引き上げられた声、疎の側=そこに引き上げられないまま現にある声、という配置は、この番組がずっと立ち続けている場所でもある。のちに「Yeと疎」の回で、この対がさらに二つ折りにされる——疎だと思えば疎、密だと思えば密(性質ではなく視点である)、だから疎という概念を作った(受け取る側が決めてしまうからこそ要る)、そして疎密と疎密の対比(粗さ細かさの軸と、まばら密の軸は別物である)。
この項目が出てくる回
関連項目
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけという側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、尊敬しているように見える。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話になっているんだ」とキレた
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
となりで喋られていたこと
この項目に言及している項目
- 赤い河Parker Coreyがライブ前日に観て「牛が横断するシーンがすごかった」と言った西部劇。
- 一生覚えていられるものTHEATER Dのようなライブに時間を使いたい、こういうことだけで本当はいいはずなんだ、と福尾は言う。
- 映画の勉強会副題は演出について。
- 音源と何も変えていないBy StormやParker Coreyはトラックにエフェクトをかけたり引き伸ばしたりしてライブなりの盛り上げ方をするが、billy woodsは違う。
- 自称・覇王三宅香帆の自己紹介。
- 実は普段起きている時間オールナイトのライブで身体的に元気になった、帰り道は体が軽すぎて謎に小走りで帰った、全然眠くなかった——と福尾は言う。
- 選挙はレイヤーが違う「入れたいところがない」「白票なら行かない」と言う福尾に対して、荘子itが返した話。
- そんなにやったら自民党に入れちゃうぞ「入れるところがない」という話の果てに福尾が言ったこと——「自民党に入れるかもって言っておけば、じゃあお前は入れない方がマシだってみんな思ってくれるから、入れなくてもOK」。
- Nathaniel RitchieBy Stormのボーカル。
- なぜ働いていると本が読めなくなるのか新書大賞を受賞した大ヒット作。
- Parker CoreyBy Storm(元Injury Reserve)のトラックメーカー。
- ヒットアンドアウェイ方式日常のすべての面を切り売りしても、友人と接する時間に当てることはできない。
- 震える福尾福尾が一番興奮しているときは言葉を失って、プルプル震えながら「いやー、すごかった」しか言わなくなる。
- マイクチェック1、2で決まるリハーサルでbilly woodsがラップし始めた瞬間、「一瞬ラップやめようと思う」。
- 三宅唱Dos Monosのデビュー当時(2019年頃)にMVを撮ってもらった。