それぞれの痩我慢の説
それぞれのやせがまんのせつ
オールブラックソリッド野郎の話への疎の街のコメントで、「僕はこれからオールホワイトソリッド野郎で行こうと思います」と書いた人がいた。
番組より
それが実は今一番恥ずかしい格好であるはずで、それをやっていくんだみたいなことを言ってる方がいて。
そういう場として疎の街がいいね。それぞれの痩我慢の説みたいなものを。
この項目について
それが実は今一番恥ずかしい格好であるはずで、それをやっていくんだ、という宣言。福尾はそこに「痩せ我慢ポイント」を見る。イベントで直接「怒られますか」と聞くのではなく、疎の街にポンと覚悟を置いてから外に出ていく——それを見ている人がいる、という場のあり方。疎の街をそれぞれの痩我慢の説の場にする。福沢諭吉の『痩我慢の説』は、勝海舟が江戸幕府側と維新側の講和を持ちかけたことを「そこで踏ん張らなかった」と責める、一般的な近代主義者のイメージとは真逆の文章だという。
この項目が出てくる回
関連項目
- 「回」という言葉を取り返す継続性——週一性のようなものが、YouTubeによって破棄され、無効化された。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- 引き受けた上で上乗せするのが批評ある人の活動のなかで批評的にもすごく突出しているところを、ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない、と荘子itは言う。
- 快適なプロフェッショナリズムミノミュージック的な世界観で言えば、YouTubeで毎回ちゃんと企画を立てて数字を取っていくのがプロフェッショナルなあり方で、ポッドキャストは大して儲かりもしないのに友達同士で集まって喋っているだけ、ということになる。
- 裏返しになったドゥルーズ=ガタリ疎の街の放送後記を、二人が毎週交代で書いている。
- ワナビーワナビーあるカルチャーがブームになるのは、ワナビーワナビー——ワナビーであり続けたい人たちがいっぱい来ているからだ、と福尾。
- 場踊りポッドキャストエキスポの後記に、なぜ踊りの話を入れたのか、と荘子itが自分で説明する。
- 緊張ステーキと駐車場ワンカップそれなりにキャリアを仕事人として積み、社会的な位置を得て、偉い人と緊張しながら美味しいステーキを食うのが幸せなのか。