場踊り
ばおどり
ポッドキャストエキスポの後記に、なぜ踊りの話を入れたのか、と荘子itが自分で説明する。
番組より
いやマジで全力でここの場を味わおうみたいな、場踊りだよみたいな。
享楽の瞬間みたいなのを掴みに行く知性ってあると思うな。人間が100年の人生を豊かに生きるための本当の知性って、どっちかというとそっちだと思うわけ。
この項目について
一度帰ってからもう一度会場に行き、「作品」という言葉を自己啓発セミナーとして一回享受してみようと思って乗ってみたら、意外といけた。それまでの「作品というのはちょっと恥ずいな」という透かし方はいらない予防線だったと気づかされる。その体験がクラブで踊る感覚に近い——踊ることがいいことなんだ、と言うおじさんもキモい、と引いて見るのではなく、全力でここの場を味わおう。その場でサイトスペシフィックに踊ることを「場踊り」と呼ぶ。分析的な知性が「これは所詮こんなものですよ」と言うのに対して、全く別のベクトルの、享楽の瞬間を掴みに行く知性がある。
この項目が出てくる回
関連項目
- 「回」という言葉を取り返す継続性——週一性のようなものが、YouTubeによって破棄され、無効化された。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- 引き受けた上で上乗せするのが批評ある人の活動のなかで批評的にもすごく突出しているところを、ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない、と荘子itは言う。
- 快適なプロフェッショナリズムミノミュージック的な世界観で言えば、YouTubeで毎回ちゃんと企画を立てて数字を取っていくのがプロフェッショナルなあり方で、ポッドキャストは大して儲かりもしないのに友達同士で集まって喋っているだけ、ということになる。
- 裏返しになったドゥルーズ=ガタリ疎の街の放送後記を、二人が毎週交代で書いている。
- ワナビーワナビーあるカルチャーがブームになるのは、ワナビーワナビー——ワナビーであり続けたい人たちがいっぱい来ているからだ、と福尾。
- 緊張ステーキと駐車場ワンカップそれなりにキャリアを仕事人として積み、社会的な位置を得て、偉い人と緊張しながら美味しいステーキを食うのが幸せなのか。
- 生きざま2.01年ほど前に福尾が言った概念が、この回で繋がる。
となりで喋られていたこと
この項目に言及している項目
- 黄色いママチャリフィールドを駆け回るダービッツを思い出す、という話に続けて。
- ジグジグとは、大工が物を作るときに、完成品には必要ないけれど、それを作るために差し当たり必要な支えや噛ませのこと。
- ジグシアターの名前は福尾から来ている鳥取のジグシアターは、濱口竜介『ハッピーアワー』でワークショップをやっていた人が営んでいる映画館。
- シットとシッポが一個もなかったポッドキャストエキスポの会場には、好きなポッドキャスト番組の名前を書いていく壁があった。
- それぞれの痩我慢の説オールブラックソリッド野郎の話への疎の街のコメントで、「僕はこれからオールホワイトソリッド野郎で行こうと思います」と書いた人がいた。
- ダイナモポッドキャストエキスポから一度帰ってもう一度行き、夜中に長文を書く。
- タフネスがパワーとして機能する前回のパワーとタフネスの話に、疎の街のコメント欄で読者が続きをくれた——マジック・ザ・ギャザリングにはパワーの値とタフネスの値が入れ替わる呪文がある。
- プラダを着た悪魔ファッションのポッドキャストとのアフターパーティーに出るにあたって、荘子itが予習として1作目を見て、翌日に2を見た。
- 痩我慢の説福沢諭吉の文章。
- 装いもプロフェッショナリズムのうち三宅香帆のモノマネ動画をめぐる話から。