2026年5月11日
神回
ポッドキャストエキスポに出た翌日の回。YouTubeが無効化した「週一性」を、ポッドキャストが「回」という言葉ごと取り返している——という話から、趣味でない以上これはもう作品なのでは、というところへ。後半は、本人が持っている批評性を引き受けたうえで上乗せするのが批評だ、という話。
話の流れ
- 0:09ポッドキャストエキスポ昨日リアルイベントがあった。今日もやっている。
- 2:50DOMMUNEの人とほぼ毎晩のようにゲストを呼んでトークセッションやDJをやっている。
- 5:41趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもの。マネタイズできていない問題とも直結する。
- 6:14音声更新しました、とは言えない動画更新しました、はナチュラルに言えるのに。俺らのポッドキャストを指して音声と呼ぶのは何か違う。
- 8:25「回」という言葉を取り返す週一性がYouTubeで無効化され、無時間的に2年前のコンテンツへ急にアクセスする時代になった。そこでポッドキャストが。
- 11:22すでに実現していること宇川さんの話も面白かった。終わったあとに手を取り合った。
- 14:13原稿を取り下げたことがあるこれを見せたら依頼してくれた人が悲しむかもな、と思って。
- 17:03フィールドを駆け回っているダービッツを思い出す。俺は黄色いママチャリで、子供を乗せていないときは。
- 19:55お互いの陣地に本に代わる作品としてのポッドキャストを通して。
- 22:46ポッドキャストブーム実態のあるものだとは思うけれど、ブーム前の盛り上がりも含めて。
- 25:38本物は本物括弧つきの本物、二重括弧の本物。そんなの関係なく。
- 28:28場踊りその場でサイトスペシフィックに踊ること。
- 31:19開会の人だからこそTaiTanは開会の人ではあるけれど、緊張はする。だからこそ美味しいのかもしれない。
- 34:09後に始まったほうが先に終わるトークが長い。年齢層もがっつり違う。
- 36:59The First Slam Dunk的なノリファッション業界を焚きつける構造になっている。俺もぶち上がったけれど。
- 40:02最新のかっこよさを提示するには至っていない20世紀的なラグジュアリーにかかっているがゆえに。文脈を読む人には素晴らしいドレスでも、今のファッションはそういう時代だったか。
- 42:58パワーとタフネスにコメントが来たマジック・ザ・ギャザリングの話。前回の話にちゃんと教えてくれる人がいた。
- 45:53言及すること自体が難しい本人も伏せているし、タイムラインに元の動画が流れてきたときに本当に嫌だなと思った。
- 48:48ほとんどヘイトと言っていいようなバカにされ方構造として実は似たものを感じた。アナロジーされたら嫌かもしれないけれど。
- 51:43どの媒体に出るときもちゃんと身なりを嘘をついているとかそういうことではなく。
- 54:31引き受けた上で上乗せするのが批評ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない。
- 57:37作品を少し逸脱した何か取り込むということが。
- 1:00:30薄青に白いストライプみんなが着ているあの色合い。昔のワークシャツっぽいのか。
- 27:47自己啓発セミナーとして一回享受してみる最初から割り切るのは簡単だけれど、一回乗ってみたら意外といけた。
- 1:04:52痩我慢の説を読むと近代主義者としての福沢諭吉のイメージと真逆のことを言っている。
- 1:11:16ジグシアターの由来鳥取の映画館。ハッピーアワーでワークショップをやっていた人がやっている。
- 1:10:45自衛隊機が病院の上を旋回した金井美恵子のエッセイ集に出てくるコロナ禍の話。当時それが狂っているという認識さえ持てなくなっていた気もする。
- 1:08:23スクリューボール・コメディシネマヴェーラのプレストン・スタージェス特集。カーブと逆に曲がる変なボール。
この回で出てきた言葉
- 生きざま2.01年ほど前に福尾が言った概念が、この回で繋がる。
- 宇川直宏DOMMUNEを15年やってきた人。
- 裏返しになったドゥルーズ=ガタリ疎の街の放送後記を、二人が毎週交代で書いている。
- 快適なプロフェッショナリズムミノミュージック的な世界観で言えば、YouTubeで毎回ちゃんと企画を立てて数字を取っていくのがプロフェッショナルなあり方で、ポッドキャストは大して儲かりもしないのに友達同士で集まって喋っているだけ、ということになる。
- 「回」という言葉を取り返す継続性——週一性のようなものが、YouTubeによって破棄され、無効化された。
- 黄色いママチャリフィールドを駆け回るダービッツを思い出す、という話に続けて。
- 緊張ステーキと駐車場ワンカップそれなりにキャリアを仕事人として積み、社会的な位置を得て、偉い人と緊張しながら美味しいステーキを食うのが幸せなのか。
- ジグジグとは、大工が物を作るときに、完成品には必要ないけれど、それを作るために差し当たり必要な支えや噛ませのこと。
- ジグシアターの名前は福尾から来ている鳥取のジグシアターは、濱口竜介『ハッピーアワー』でワークショップをやっていた人が営んでいる映画館。
- シットとシッポが一個もなかったポッドキャストエキスポの会場には、好きなポッドキャスト番組の名前を書いていく壁があった。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- それぞれの痩我慢の説オールブラックソリッド野郎の話への疎の街のコメントで、「僕はこれからオールホワイトソリッド野郎で行こうと思います」と書いた人がいた。
- ダイナモポッドキャストエキスポから一度帰ってもう一度行き、夜中に長文を書く。
- タフネスがパワーとして機能する前回のパワーとタフネスの話に、疎の街のコメント欄で読者が続きをくれた——マジック・ザ・ギャザリングにはパワーの値とタフネスの値が入れ替わる呪文がある。
- 場踊りポッドキャストエキスポの後記に、なぜ踊りの話を入れたのか、と荘子itが自分で説明する。
- 引き受けた上で上乗せするのが批評ある人の活動のなかで批評的にもすごく突出しているところを、ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない、と荘子itは言う。
- プラダを着た悪魔ファッションのポッドキャストとのアフターパーティーに出るにあたって、荘子itが予習として1作目を見て、翌日に2を見た。
- 痩我慢の説福沢諭吉の文章。
- 装いもプロフェッショナリズムのうち三宅香帆のモノマネ動画をめぐる話から。
- ワナビーワナビーあるカルチャーがブームになるのは、ワナビーワナビー——ワナビーであり続けたい人たちがいっぱい来ているからだ、と福尾。
この回で触れられた項目
この回からの引用
これまでテレビ的とかラジオ的とかいろんなこと形容できるけど、ポッドキャスト的っていう風に何かを例えられるようになったら、ようやくそのポッドキャストの意義が明らかになったってことだよね。
→ 宇川直宏
趣味でない以上、もう作品なのではみたいな話はめっちゃ膝を打った。
でも心の中でそう思っててもいいなっていうマインドセットになった。
この俺らのポッドキャストをさして音声って呼び出したらさ、それはちょっと何か違う。
多分回っていうのが何かを表してるってことだよね。その継続性みたいなもの、週一性みたいなものが破棄されてる、というかそこでYouTubeで無効化して、無時間的にあらゆる人がそれぞれのおすすめのタイムラインに従って2年前のコンテンツとかに急にアクセスする時代だと。
改めてそれを欲してるという状況から、ポッドキャストが今、回っていう言葉を取り返すことによって生まれてる磁場なんじゃないかなみたいな。
でもその快適なものには、それはそれで別のプロフェッショナリズムがあり得るみたいな。
快適なプロフェッショナリズムは、めちゃめちゃ分厚い概念が一瞬で生まれたな。
ダイナモって文字通りには、フィールド全体の動力源みたいな。こいつがいるから試合が動いてるんだみたいな。
→ ダイナモ
ダイナマイトがやっぱダイナマイトバーンって感じだとしたら、ダイナモってこうなんか丹田に蓄えてる感じするもん。ダイナマイトのエネルギーを。
→ ダイナモ
二人で一緒に一つの文章を書くために準備として喋るじゃなくて、二人でバラバラの文章を書くために喋るっていう。
喋ってるときは割とこう分かり合えてるんだけど、お互いその場で持ち帰ってるものが、いかにこんだけ全然違うものを持ち帰ってるんだみたいなことが如実に現れるっていう。
結局あるカルチャーがブームになるのって、ワナビーワナビーがいっぱい来てるから。
→ ワナビーワナビー
ワナビーであり続けたい人たちみたいな、なんか部活的な感じみたいなものが、そういう欲望が集中すると流行ってるってことになるみたいな。
→ ワナビーワナビー
いやマジで全力でここの場を味わおうみたいな、場踊りだよみたいな。
→ 場踊り
享楽の瞬間みたいなのを掴みに行く知性ってあると思うな。人間が100年の人生を豊かに生きるための本当の知性って、どっちかというとそっちだと思うわけ。
→ 場踊り
緊張するステーキ、美味しいステーキを偉い人と食うのが幸せなのか、駐車場ワンカップって感じみたいにずっと気の知れた仲間たちと安い缶チューハイを飲んでるの、どっちが幸せなんだみたいな話で。
新しいテクノロジーなのかカルチャーを得た人類が、新しい形で自分を記録し、それを見せるっていうものが、それ自体が何か作品になるっていうことだな。
→ 生きざま2.0
日記とかポッドキャストって口実があるから、今までだったら見せなかった、見せないだけじゃなくて隠したわけじゃなくて、自分の人生にそもそも登場しなかったような行動とかが生まれてきて、それが全部でも生き様として提示されていく。
→ 生きざま2.0
自分が培ってきたタフネスがある日パワーとして機能する時もあるみたいな、そういうのめっちゃいいなと思う。
叩く側もある種無敵の武器を持ってるし、守る側も無敵の武器を持ってるみたいな。その男性たちがそれをなんか互いにぶつけ合ってるみたいな。
→ 三宅香帆
20代、30代、40代の若い女性が層としてちゃんと届いてる批評家って、今まで存在しなかったと思うんだよね、ほとんど。それをできてるのはすごいなと思うし、そういうことと多分彼女が普段からしてる装いとかって絶対無関係じゃないと思うんだよね。
読者の人が新書コーデって言って、新書のその表紙の色合いと自分のその服のカラーパレットっていうか色合いを合わせたコーディネートをアップロードした。
ベロンって剥がしてなんかバカにする方向でいくのが批評性じゃないよっていう。本来の三宅さんが持ってる最大の批評性を引き受けた上で、上乗せするのが批評だから。
あのモノマネこそが批評なんだみたいなことは、マジで嫌だね。
それが実は今一番恥ずかしい格好であるはずで、それをやっていくんだみたいなことを言ってる方がいて。
そういう場として疎の街がいいね。それぞれの痩我慢の説みたいなものを。
ジグってなんか大工さんとかが物を作るときに、完成品には必要ないんだけど、それを作るために差し当たり必要な支えとか噛ませておくためのものとか。
→ ジグ