ちいかわのレギュレーション
ちいかわのれぎゅれーしょん
改めて読むと言葉の配置のレギュレーションがめちゃくちゃ厳密だ、と福尾は言う。
番組より
言葉の配置っていうかレギュレーションの仕方がめちゃめちゃ厳密なんだよね。ここからここまではこの世界の中の言葉、ここからここまではその世界を外から見てる人間の言葉みたいな。
そもそもちいかわっていう名前自体がそれ外から名付けてるだけで、ちいかわ自身は自分のことちいかわだと思ってないし。
この項目について
ここからここまではこの世界の中の言葉、 ここからここまではその世界を外から見ている人間の言葉、というふうに。 「ちいかわ」という名前自体が外から名付けたもので、 ちいかわ自身は自分をちいかわだと思っていない。 ハチワレも作品のなかで呼ばれる名前ではないのに、 読者はあのキャラクターたちをそう思っている。 舞台と客席を隔てるプロセニアムアーチのような、 すごく繊細な言葉のレギュレーションが働いていて、 それとちいかわブームは絶対に切り離せない。 IPをいかに守るかという話が、プロデュース的な意味でのレギュレーションだけでなく、 言語のレベルでも徹底されている。
この項目が出てくる回
関連項目
- 作るための場も作っているアルバムの制作とこの番組は、原因と結果ではなく 同時期にやっていたことという平行関係でもある。
- 世界への信頼は結局、神なのか世界への信頼を取り戻すという話を重ねてきたところで、 荘子itがふと言うこと——**やっぱり世界への信頼って、 結局は神なのかな。
- 意図せず視点を行き来しているリリックの中で語りの視点が移っていることについて、 そこまで意識していないと荘子itは言う。
- 初めてライブを見るときの感じリスニングパーティーの感想から。
- エクスペリメンタルライフいわゆるヒップホップの「リアル」に最初から入門していない自分は、 現実との結びつき方を別のやり方で作るしかない——という流れで出てくる。
- フットじゃなくてフッテージヒップホップはリアルを大事にするのだが、 リアルとそれを歌っている人間を結びつけるための道具は、 人から借りてきたものにするしかない——そこが裏腹で面白い、と福尾は言う。
- お互いの劇場の領域が被っている自分の物語の登場人物にしてしまう、というのはあまりしたくない。
- それを見ているのは誰なんだお互いの劇場の領域が被っているの先で出てくる問い。