初めてライブを見るときの感じ
はじめてらいぶをみるときのかんじ
リスニングパーティーの感想から。
番組より
今はライブっていうものを知った状態でライブを見るから、ベースとギタードラムとかね、何やってるかも分かるしみたいな状態だけど、最初のこの誰がどこまで何やってるのかよく分かんないみたいなね。
最初は何だろうみたいな。俺だって何だろうみたいな感じだよね。
この項目について
いまはライブというものを知った状態でライブを見るから、 ベースとギターとドラムが何をやっているかも分かる。 だが最初は、誰がどこまで何をやっているのかよく分からない—— 初めてヒップホップのライブを見た人もそうだろう。 リスニングパーティーも同じで、 「リスニングパーティーって何するの、流して聞くだけなのかと思ったら、 なんか俺もやるし」という感じになる。 最初は何だろう、と思う。俺だって何だろう、という感じで幕が開く。
この項目が出てくる回
関連項目
- 作るための場も作っているアルバムの制作とこの番組は、原因と結果ではなく 同時期にやっていたことという平行関係でもある。
- 世界への信頼は結局、神なのか世界への信頼を取り戻すという話を重ねてきたところで、 荘子itがふと言うこと——**やっぱり世界への信頼って、 結局は神なのかな。
- 意図せず視点を行き来しているリリックの中で語りの視点が移っていることについて、 そこまで意識していないと荘子itは言う。
- エクスペリメンタルライフいわゆるヒップホップの「リアル」に最初から入門していない自分は、 現実との結びつき方を別のやり方で作るしかない——という流れで出てくる。
- フットじゃなくてフッテージヒップホップはリアルを大事にするのだが、 リアルとそれを歌っている人間を結びつけるための道具は、 人から借りてきたものにするしかない——そこが裏腹で面白い、と福尾は言う。
- お互いの劇場の領域が被っている自分の物語の登場人物にしてしまう、というのはあまりしたくない。
- それを見ているのは誰なんだお互いの劇場の領域が被っているの先で出てくる問い。
- アイロニーと人生劇場は違うはずフィクションは必要だ、そんなものを誰も信じていないのは分かっているが、 それがないと維持できないものもある—— 東浩紀のそういう冷めた感じで幻想を肯定する語り方に、 リアリスティックな態度だとは分かりつつ違和感がある、と福尾は言う。
この項目に言及している項目
- 漢詩のほうが成り上がり大岡信『日本の詩歌』は、万葉集や古今和歌集からではなく 漢詩の話から始まり、最初に取り上げられるのが菅原道真だった。
- ちいかわ福尾は漫画を全部読んでいる。
- ちいかわのレギュレーション改めて読むと言葉の配置のレギュレーションがめちゃくちゃ厳密だ、と福尾は言う。
- 日本の詩歌 その構造と素肌コレージュ・ド・フランスで日本の詩の伝統についてフランス人向けに講義した内容が、 日本語になって一冊にまとまったもの。
- ハムネットシェイクスピアが『ハムレット』を書いていた時期の家族の話。
- 100日後に死ぬワニ荘子itは当時これが好きではなく、いいと言う相手と血で血を洗う戦いをした。
- 別のやり方で元気になるなんでこんなに元気が出るんだろう、というところから。