先生と呼ばない保育園
せんせいとよばないほいくえん
いま通っている保育園では先生を先生と呼ばず、みんな名前で呼ぶ。
番組より
先生って言ったら先生じゃないよみたいに直されたりして。
それだったら確かに、先生じゃなくてもさ、一人の人間として別の場所で会ってもさ、なんか衝撃を受けることはないよね。
この項目について
親もつい先生と呼んでしまい、子供が「先生」と言うと 「先生じゃないよ」と直される。 福尾は小学校低学年の頃、近所の歯医者に行ったら 幼稚園の担任だった先生が受付をやっていて衝撃を受けた—— 「幼稚園の先生が先生じゃなくなることってあるんだ」。 名前で呼んでいれば、 先生ではなく一人の人間として別の場所で会っても、衝撃を受けない。 ただし福尾は「大人は大人だぞ、というのを教えるのも大事な気がする」とも言い、 二人はどちらもあるよねと止める。
この項目が出てくる回
関連項目
- 食べた方がいいと、何かしなきゃいけないのあいだ朝起きてから15分か20分、食べた方がいいということと、まだこれができていないということのあいだで、永遠にどちらにもたどり着かずに行ったり来たりする。
- 自然言語の外側で返す物語を語ることも、折り紙を作ることも、自然言語の外側で日常の会話やコミュニケーションを返しているのではないか、という話。
- 憧れ消費とパーツ買いブランドのルック写真で完璧な世界観を見せられると、 福尾は 「そのうちの1個のズボンしか買わないんだから、それできないってことですか」 と逆に圧を感じる。
- クリシェを部分的に自分に許すなぜそんなに書けるのかと訊かれた小説家が答えたこと—— **ここはクリシェでいい、というポイントをどれくらい配分するかで加速させていく。
- リソースが有限だから生まれるまばらさ金もスタイリストもほぼ無限にあれば、最後までこだわりきって世界観を作れる。
- 休符も音符と同じくらい意味を持つ音楽家二人のポッドキャストで「音楽は密だ」と言われて、 荘子itがいい指摘だと受けたこと。
- 音数が少ないのは意図であって意味ではないカニエの音数をめぐる論争について荘子itが言うこと—— **単に音数が少ないというのは意図の話であって、 それ自体が意味だということではない。
- 音楽は密でも嫌じゃない**言語的なものだと、密だとイコール「ちょっといいです」になってしまう。