光の当たり方が変わる
ひかりのあたりかたがかわる
荘子itのソロアルバムを先に聴いた福尾の印象。
番組より
グワーっとガラッと変わるっていうより、なんかこう光の当たり方は変わったみたいな、物は一緒なんだけど光の当たり方がブワーンと変わっていくみたいな。
次の章が異空間に飛ぶみたいなことじゃなくて、さっきまで見せたものの角度を変えながら楽しんでいくみたいなのはね。
この項目について
Dos Monos の曲とは展開の変わり方が違う—— グワーッとガラッと変わるのではなく、 物は一緒なんだけど光の当たり方がブワーンと変わっていく。 荘子itは「そういうつもりで作っています」と応じる—— 次の章で異空間に飛ぶのではなく、 さっきまで見せたものの角度を変えながら楽しんでいく。 福尾はこれを「究極の印象批評」と自嘲するが、荘子itは的を射ていると言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- 食べた方がいいと、何かしなきゃいけないのあいだ朝起きてから15分か20分、食べた方がいいということと、まだこれができていないということのあいだで、永遠にどちらにもたどり着かずに行ったり来たりする。
- 自然言語の外側で返す物語を語ることも、折り紙を作ることも、自然言語の外側で日常の会話やコミュニケーションを返しているのではないか、という話。
- 憧れ消費とパーツ買いブランドのルック写真で完璧な世界観を見せられると、 福尾は 「そのうちの1個のズボンしか買わないんだから、それできないってことですか」 と逆に圧を感じる。
- クリシェを部分的に自分に許すなぜそんなに書けるのかと訊かれた小説家が答えたこと—— **ここはクリシェでいい、というポイントをどれくらい配分するかで加速させていく。
- リソースが有限だから生まれるまばらさ金もスタイリストもほぼ無限にあれば、最後までこだわりきって世界観を作れる。
- 休符も音符と同じくらい意味を持つ音楽家二人のポッドキャストで「音楽は密だ」と言われて、 荘子itがいい指摘だと受けたこと。
- 音数が少ないのは意図であって意味ではないカニエの音数をめぐる論争について荘子itが言うこと—— **単に音数が少ないというのは意図の話であって、 それ自体が意味だということではない。
- 音楽は密でも嫌じゃない**言語的なものだと、密だとイコール「ちょっといいです」になってしまう。