現代美術はハイカルチャーだから扱うのではない
げんだいびじゅつははいかるちゃーだからあつかうのではない
「もっと社会学的なことやサブカル的なものを使わないのか」と言われることについて。
番組より
今作品とかものを作るっていうことがどういう状況に置かれてるかっていうことが一番如実に現れてるのが現代美術だから、現代美術扱ってるけど。
人間の人生サイズのことを考えるときに、むしろ一番そこが、アニメとかを社会学交えて批評するよりよっぽど。
この項目について
福尾は、東浩紀がそうしてきたのは分かるが、 いまアニメやネットミームを扱ってもマスに届くわけでも、 社会全体を論じたことになるわけでもないと言う。 そして自分が現代美術を扱うのは、それがハイカルチャーだからではない—— いま作品やものを作るということがどういう状況に置かれているかが、 一番如実に現れているのが現代美術だから。 荘子itは「人間の人生サイズのことを考えるとき、 むしろそちらのほうが市井の人々にとって大事な問題がかかっている」と受ける。
この項目が出てくる回
関連項目
- 食べた方がいいと、何かしなきゃいけないのあいだ朝起きてから15分か20分、食べた方がいいということと、まだこれができていないということのあいだで、永遠にどちらにもたどり着かずに行ったり来たりする。
- 自然言語の外側で返す物語を語ることも、折り紙を作ることも、自然言語の外側で日常の会話やコミュニケーションを返しているのではないか、という話。
- 憧れ消費とパーツ買いブランドのルック写真で完璧な世界観を見せられると、 福尾は 「そのうちの1個のズボンしか買わないんだから、それできないってことですか」 と逆に圧を感じる。
- クリシェを部分的に自分に許すなぜそんなに書けるのかと訊かれた小説家が答えたこと—— **ここはクリシェでいい、というポイントをどれくらい配分するかで加速させていく。
- リソースが有限だから生まれるまばらさ金もスタイリストもほぼ無限にあれば、最後までこだわりきって世界観を作れる。
- 休符も音符と同じくらい意味を持つ音楽家二人のポッドキャストで「音楽は密だ」と言われて、 荘子itがいい指摘だと受けたこと。
- 音数が少ないのは意図であって意味ではないカニエの音数をめぐる論争について荘子itが言うこと—— **単に音数が少ないというのは意図の話であって、 それ自体が意味だということではない。
- 音楽は密でも嫌じゃない**言語的なものだと、密だとイコール「ちょっといいです」になってしまう。