癖はメソッド化しにくい
くせはめそっどかしにくい
「癖の作り方」を訊かれた癖の発案者としての答え。
番組より
なんかメソッド化するの難しい。でも本当に、欲望と興味の赴くままにトライアンドエラーする場を、そこだけはメタ的な意識を伴って持つしかないよね。
むしろその時間を明け渡しても、たまには大きな曲がり角を迎えるっていう、その構えも癖になっていく上で必要なのだみたいな。
この項目について
メソッド化するのは難しい。 本当に、欲望と興味の赴くままにトライアンドエラーする場を、 そこだけはメタ的な意識を伴って持つしかない。 そのためには原理的に暇が必要で、暇と退屈の話になる。 だが荘子itは、そこに大きな逆説を置く—— 結婚や子供は、暇と退屈を享受するにはマイナスの要素。 拘束時間が増える。それも含めて癖にカウントしていく。 可処分時間がたくさんあって実験ができるモラトリアム的な癖の時間を 持ち続けたいと思うと、ある意味それは守りに入ることになる。 むしろその時間を明け渡してでも、 たまには大きな曲がり角を迎える——その構えも、癖のために必要。 福尾は「無意識はコントロールできたら無意識じゃない。 意識的にできるのは続けることぐらいで、勝手に曲がっていく。 ただしその変化が蓄積される、自分の外側にある何かがないと、 癖は癖にならない」と受ける。
この項目が出てくる回
関連項目
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- ADHDの身体をプレイしている2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。