非対称性を肯定する
ひたいしょうせいをこうていする
世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
番組より
その非対称性があるっていうことの事実に、そこから何かを引き出したり汲み出したりすることができるのが哲学とか芸術の力だと僕は思っていて。
この項目について
それがなくなるように頑張ることも大事だが、非対称性があるという事実そのものから何かを汲み出せるのが哲学と芸術の力だ、というのが福尾の立場。現状肯定とは全く別のこと。荘子itはそれに、みんな本当は同じものを求めているという「対称性」を確認する場も絶対に必要で、両面の協調が大事だと応じる。
この項目が出てくる回
関連項目
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- 真顔で詰め寄る「お前は悲劇を忘れるな」と真顔で詰めかかるだけでは、当事者性を感じられない人はむしろ距離を置いてしまい、本当に語り継がれなくなっていく。
- 花火と爆弾音楽でぶち上がること、花火を見てぶち上がること、爆弾の爆発を見てぶち上がることは本当は繋がっているのに切り分けられている。
- 展示のなかで変なことをする長谷川新のキュレーションした展示のなかで、展示内容と全く関係ないドゥルーズ『シネマ』の講義を5時間ぶっ続けでやる。
- 風通しと埃海や川はずっと流れ、波打っていて、何かがそこに滞留し続けることは基本的にない。
- 長谷川新福尾が展示のなかで5時間のドゥルーズ講義をしたり、展示と関係のないエッセイ連載をしたりした、その展示のキュレーター。
- 川久保玲ヨウジヤマモトとともにパリコレで、黒がタブーだった時代に薄汚れて引き裂かれた黒い布のような服でランウェイを歩かせた。
- 宮台真司ALPS処理水の海洋放出に絶対反対だと言っていた。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 無価値な思い上がりに価値があると証明するooueiuu・受注仕事だけをして、それをまとめて作品集として出せばいい—— そういうミュージシャンもいる。
- ちょうど間にいるあり方をその都度発明するueiuu・逆張りをするのでもなく、何気にそこにいるということでもなく、ちょうど間にいるようなあり方が、その都度発明されるべきだ、と荘子itは言う。
- アンチ・オイディプスeiuu・荘子itの読み方は「フロイトやラカンはもちろんすげえ、あれは一つの理論体系だ、でもそれだけじゃねえだろ、それで満足すんなよお前ら、もっと熱くなれよ」。
- リレーされることまで含めて芸術eiuu・社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。