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#哲学
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- アイロニーと人生劇場は違うはずフィクションは必要だ、そんなものを誰も信じていないのは分かっているが、 それがないと維持できないものもある—— 東浩紀のそういう冷めた感じで幻想を肯定する語り方に、 リアリスティックな態度だとは分かりつつ違和感がある、と福尾は言う。
- アウトプットまで連れていく非常勤の授業は200人規模で、単位のためだけに受けている人が多い。
- アウトリーチという言葉が嫌い大学でよく使われる「専門知を社会に還元しましょう」という言葉。
- 東浩紀荘子itが10代で読んだ先行世代。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- あらゆる芸術作品は暴力のモニュメントである恐ろしい暴力を目の当たりにして受け取ったショックが芸術作品に変換される。
- あらゆるものはフェティッシュである画質の悪い映像やレコードのノイズに反応してしまうのは、メディア経験の刷り込みなのか、原理的なことなのか。
- アラン・バディウフランスの哲学者。
- アンチ・オイディプス荘子itの読み方は「フロイトやラカンはもちろんすげえ、あれは一つの理論体系だ、でもそれだけじゃねえだろ、それで満足すんなよお前ら、もっと熱くなれよ」。
- 家ではなく街に住んでいる家が一回なくなっても外側に街があるのは素晴らしいことだ、という荘子itの実感に、福尾が書きかけのエッセイを重ねる。
- 一生一ミリも貢献しない福尾がお金をもらって書いた最初の文章は、建築批評のウェブメディア「10+1」でのヴェネツィア・ビエンナーレ日本館カタログの書評「プロジェクション(なき)マッピングあるいは建てることからの撤退」だった。
- 意味の論理学「あり得たかもしれないことの道化師になるな、実際にあったことのパントマイム師になれ」。
- 意味より強度、の使われ方宮台真司ですらドゥルーズを参照して「意味より強度」と言うが、それは物語なんか信じないで情動と溢れんばかりのものにまみれようぜという、ある種ドパガキ的で30代的な物語でもある、と荘子it。
- 魚豊荘子itが子育てと制作の合間を縫って「二人だけで会って話した」数少ない相手として、福尾と並んで名前が挙がる。
- 動きすぎてはいけない最初から一速でなければいけないという読み替えで出てくる。
- うずまきと貨幣伊藤潤二『うずまき』の単行本巻末に、佐藤優が書いた解説。
- エアヘッデッドネスとレディオヘッド千葉雅也のギャル男論では、 ギャル男のふわふわツンツンした髪が エアヘッデッドネス(頭空っぽさ) という概念で名指される。
- AIは密で、人間の脳は疎AIは人間の脳とは全然違うモデルなのだ、と福尾は言う。
- エネルギーとエネルゲイア三人で話していると元気が生じて、実際に元気になる—— そこから荘子itが言うこと。
- エビデンスなきファクト**エビデンスがしっかりある情報など、もともとほぼない。
- 置き配的2025年11月刊。
- 覚書は告白の逆フーコー晩年の仕事として福尾が説明する。
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 愚かさを肯定するところまで行くべきではないか作品の外側に口実が逃げているの裏返しとして福尾が言うこと。
- 音楽に啓蒙はいらないそもそも音楽が好きじゃない人に「音楽って素晴らしいんですよ」と言ってもしょうがない、と福尾。
- 解説に見えてしまう本『眼がスクリーンになるとき』を丁寧に読んだ高校生から「『シネマ』に書かれてあることと福尾さんの主張の違いがよく分からない、解説に終始していて福尾さんの思想がどこにあるのか分からなかった」というツイートがあった。
- 家具とは動かせるものドゥルーズが二項対立を「家具みたいなもの」と喩えていることについて。
- 家具の音楽フランス語で家具は meuble、英語の mobile に対応する「動かせるもの」である。
- 柄谷行人交換様式A〜Dの議論が参照される。
- 環境と社会は違う『非美学』で書いた話として福尾が持ち出す。
- 観光客の哲学ダークツーリズムの軽薄さを単に否定しても仕方がない。
- 記と紀古事記の「記」は言偏で、日記の記でもあり、国内向けの物語として書かれた。
- 休符も音符と同じくらい意味を持つ音楽家二人のポッドキャストで「音楽は密だ」と言われて、 荘子itがいい指摘だと受けたこと。
- 虚構を現実化したい派と現実を虚構化したい派荘子itによる、めちゃくちゃ雑な分け方。
- 近所福尾がいま書いている本の主題。
- 均等に舐めたいベケット『モロイ』の話。
- 空間の話をしない空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 群像 東浩紀対談福尾と東浩紀の対談が載った号。
- 芸術の使われ方は三つしかなかったアラン・バディウによれば、芸術はだいたい三つの使われ方をされてきた。
- 元気はその都度生じる元気とは、元々あったものを金のようにやりくりするのではなく、 その都度生じるものだ、と荘子itは言う。
- 現在は多層的な時間『平和と愚かさ』の書評に福尾が書いたこと。
- 現象学が嫌いケア的な文脈のコンテンツに心理的な負荷を感じる、という話を荘子itが「人によるよね」で回収しようとしたら、福尾から「現象学が嫌いなんだよな」という「マジでこいつしか言わないタイプの理由」が返ってきた場面。
- ゲンロン戦記東浩紀の著書。
- 交換様式F柄谷行人の交換様式Dから始まる話。
- 声を愛するには聞きすぎてはいけない黒嵜想の声優論の出発点として福尾が紹介する。
- コーチングは告白的である寝っ転がってスマホばかり見て、なんなんだお前は、と言うのがコーチングだが、それはやはり告白的だ、と福尾は言う。
- ゴドーが来ると分かっている状態でゴドーを待つ深夜1時の横浜スタジアムの敷地内で、キャンプ用の椅子に座り、電子タバコを片手に、ドリンクホルダーにビールを入れてスマホを見ている朝まで何かを待つおじさんについて。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、という順序が前提になる。
- コンスタティヴとパフォーマティヴ「あいつの言ってることはパフォーマンスで」というときのパフォーマンスと、言語行為論のパフォーマティヴは違う、という話。
- 最初から一速でなければいけないバイクや車のギアの比喩。
- 遡って見つけたものを起源として祀らない日本的なものを求めて考え抜いた末に、素朴に右派的な結論に行ってしまう——中島岳志の縄文の本も、國分功一郎の『原子力の哲学』も、その解毒作用の本として読める、と荘子it。
- 佐久間荘子itの失踪した親友が弟子入りしていた人物。
- 暫定的道徳デカルトが『方法序説』で、本当の真理の探求のために引きこもるにあたって必要だと言ったもの。
- ジグジグとは、大工が物を作るときに、完成品には必要ないけれど、それを作るために差し当たり必要な支えや噛ませのこと。
- 自己開示すればするほど偉い空間福尾が大学時代、臨床哲学のワークショップ的な授業を何回か受けて 本当に嫌な空間だと毎回思っていた理由。
- 事後的にそうなってしまった「左手のない猿」で参照される、人間がなぜ二足歩行を始めたのかを研究した手と口の連合発展説。
- 実際にあったことのパントマイム師になれドゥルーズ『意味の論理学』の言葉。
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- シネマ「映画=夢」という図式を解体するために書かれた本。
- 自罰的自己愛荘子itがしんどいときに読んで役に立った、斎藤環の本の論理。
- 自分を律するのはほぼ無理**自分を律するというのは、ほぼ無理だと思ったほうがいい。
- 資本論福尾が『八月の光』の次に読んでいる。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 職業としての嘘哲学者もアーティストも「ほぼ嘘つき」に近い職業である。
- 序文というパレルゴン序文は順番としては一番最初に来るのに、たいていは本文を書き終わったあとに書く。
- 知ることは動詞21世紀に書かれる『新・人間知性論』とは何なんだろう、という福尾の問いから。
- Gilles Deleuze福尾の研究対象であり、番組全体の底流。
- 人生劇場の裏に暫定的道徳ありアルバム人生劇場と暫定的道徳の関係について荘子itが言うこと。
- 信用と信頼自分がやろうとしている方向性は、いわゆる宗教的な「信じる」ではなく信頼という言葉のほうだ、と荘子itは言う。
- 隙があるからこそ規律を内面化するパノプティコンはほとんどミームになっていて、 一部の隙もない監視の網の目という意味で使われがちだが、 フーコーのテキストを読んで面白いのは逆だ、と福尾は言う。
- ずっと歪んだ真珠でいるバロックの語源は「歪んだ真珠」。
- 世界への信頼は結局、神なのか世界への信頼を取り戻すという話を重ねてきたところで、 荘子itがふと言うこと——**やっぱり世界への信頼って、 結局は神なのかな。
- 切断性が大事負のループに入ってしまうと、その感情の動きの連鎖のなかに身を置いたまま、ずっと鬱状態から出られない。
- 善意は必ず罰せられるドゥルーズの言葉として福尾が挙げる。
- 1984年は日記の本当のヤバさに届いていないオーウェル『1984年』では**日記を書くことが禁止されている。
- センスの哲学ラウシェンバーグの絵画を餃子を味わうかのように見る、という読み方が引かれる。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 千のプラトー福尾が480分(2時間×4回)かけて読む講座を始める。
- 千のプラトー講座を1000売るという物語『千のプラトー』の講座は12000円で、これまでのフィロソフィーの講座が 150人くらいだったのに対し、福尾は500人来てほしいと言う。
- 全パネルの色が違うルービックキューブ『千のプラトー』の読み方について、福尾が講座の概要文で使った喩え。
- 総かり立て体制ハイデガーの Ge-stell の訳語。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- そのものの対象として見る福尾の卒業論文は、ブニュエル『欲望のあいまいな対象』の分析だった。
- 疎密と疎密の対比これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
- 疎密は物の性質ではなく視点疎密はミニマリズムとマキシマリズムに対応するわけではない。
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- それを見ているのは誰なんだお互いの劇場の領域が被っているの先で出てくる問い。
- 存在からたまに通知が来る支払いの催促の話から。
- 存在しないものを相手にしている福尾が反出生主義を好きではない理由。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 存在論的、郵便的福尾が「墓掘り人」のように引っ張り出してきて、マジックリアリズムに接続する方向へ進めようとした本。
- ダイモンを感じるかどうか何かが確保されているわけではないのだから、神というより悪魔のイメージのほうがしっくりくるかもしれない、という話から。
- 対話が続いていることが成功リチャード・ローティの議論として福尾が挙げる—— **対話が成功しているということの基準は、 対話が続いているということでしかない。
- 互いに相手のものだと思っている空間『都市と都市』の途中で出てくる、二つの都市の間に何があるのかの仮説。
- ダナ・ハラウェイ道徳的に滅菌された状態で消費されているの例として出てくる。
- 千葉雅也『非美学』の紀伊國屋じんぶん大賞受賞記念トークイベントで福尾と対談し、その終演後に荘子itと福尾が初めて対面した。
- 抽象的なものを作るという具体的な操作抽象的なものを作るのは変なことだ、と福尾は言う。
- 使っちゃダメだよ保育園で、粘土を切る道具を他の子に取られて泣いていた荘子itの子供が、帰り際にその子の顔を覗き込んで「使っちゃダメだよ」と言って帰った。
- 妻の死に踊った荘子妻が死んだと聞いて訪ねた知人が、荘子が一人で踊っているのを見た。
- 罪の意識と恥の意識をセットで考える罪の意識と恥の意識によって、自分の立ち方が異なる——その視点がすごく面白い、と荘子itは言う。
- 鶴見俊輔戦時期の知識人がどう活動していたかを分析した本。
- 程度の差を本性の差として捉え返す言うべきことが密な空間と疎な空間を程度の差ではなく概念として分ける、という話の背景にあるもの。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- 哲学者とクリエイターの逆転『置き配的』刊行にあたっての小川哲との対談を見て、荘子itが言う。
- 哲学で全部に触るドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』について福尾が言うこと。
- 哲学の側に何かがもたらされるなら嬉しい蓮實重彥にあるのはある種の負けの美学だ、と福尾。
- 哲学の無教養主義はありえるか東の放送に、数年ひとりで哲学をやっていると言う若い参加者が来て、三島由紀夫も太宰治も知らず、東のことはひろゆき経由で知ったと言った。
- 等身大のまま深いことを考える『非美学』を繰り返し読み込んでいる高校生からのコメントを受けて、 荘子itが福尾の中高生に親近感を感じられるポイントを分析する。
- 動物化するポストモダン新書でありながら超平面性やラカン理論の謎の変形までやっていて、しかも10万部いった。
- 解き放たれた無レイ・ブラシエの著書、中山肇訳。
- どこに錨を下ろすか子宮という言葉で置くの続き。
- 20年前の東浩紀として振る舞わされる対談後のツイートの「20年後の君に期待している」について。
- 2ターン以上の会話福尾は子供の頃、2ターン以上の会話をした記憶がほぼないと言う。
- 入門書のジレンマ福尾が書き始める初の新書のモチベーション。
- ハイデガーとフランクルが同じ構造になってしまうカフェのトイレに貼ってあったポエムの写真をXに上げたらバズった。
- バイブスリーディング哲学書を初めて読む人へのアドバイス。
- バラッと集まって全体を成すドゥルーズが英米文学に透かし見ているのは、バラッと集まって、なんとなく全体を成しているという全体性のイメージなのではないか、と福尾は言う。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。
- ハンドスピナーが中動態荘子itの中高時代の話。
- 引き裂かれている状態から出発する哲学はヨーロッパのもの、ヒップホップはアメリカのもの、というのは前提にしていい。
- 非対称性を肯定する世界にはやる側とやられる側、金持ちと貧乏人といった非対称性がある。
- 非美学紀伊國屋じんぶん大賞受賞。
- 100日後に死ぬワニ荘子itは当時これが好きではなく、いいと言う相手と血で血を洗う戦いをした。
- ファクトとフィクションとフェティッシュ三つとも、ラテン語の「作る」という動詞から派生している。
- 福尾匠『置き配的』発売から1週間、ずっとエゴサをしていた。
- 普遍を論じることと、いろんなものを論じること哲学は普遍的なものを語る学問だと思われている。
- フロイトは音楽が分からない菊地成孔が以前からずっと着目していること。
- プロビゾワールは即興ではない暫定的道徳の「暫定的」はフランス語でプロビゾワール(provisoire)。
- 兵士デカルト小泉義之の著書。
- 平和と愚かさ考えないことの状態のポジティブな意味、平和とは普通に当たり前にそういうことでしょう、ということをリマインドする本、と紹介される。
- 勉強するとキモくなる千葉雅也『勉強の哲学』(2017年)の核心。
- 勉強の哲学勉強は世のノリ・社会のノリから外れて「キモくなる」ことを経由する、という前提から出発している本。
- 他の字と区別できればいい書家の展示で福尾が聞いて面白かったこと。
- ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっている二項対立は脱構築したほうがいい、自分はあまり脱構築とか言ってこなかったが普通に脱構築しろよ、という流れで福尾が言う「めっちゃぼやっとした雑感」。
- 本当の願いじゃない言葉反出生主義について、実存の側から荘子itが答えたこと。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが気になる、と福尾は言う。
- 迷子になれる街福尾がブッククラブ「Woven βooks」のテーマにした言葉。
- 丸山眞男『日本の思想』。
- Michel Foucault晩年のパレーシア(parrhesia=真理を語ること)論が参照される。
- 密担当東が自分をこう呼ぶ。
- 密なのは被害者の側記号の波が通り過ぎただけから、荘子itが対を裏返す。
- 皆さんこちらが哲学者です荘子itが福尾を客席から壇上に上げるときの紹介の仕方。
- 未来にアウトソーシングする交換様式Dも、シンギュラリティ論も、終末論も、救世主待望論も、 未来にアウトソーシングしているという意味では同じだ、と福尾は言う。
- ミルクラトー収録の冒頭で福尾が買ってきたのが、 荘子itの一番好きなスイーツであるミルクレープ(しかもクレームブリュレ味)だった。
- 無意識的な断捨離福尾が日記で書いていたフロイトの話—— **物をなくすのも、ある種の無意識の意味がある行為なのだ。
- むしろ自己拘束を求める学校の授業で何をしてもよかったからこそ、 むしろバンドをやりたくなったのではないか、と荘子itは言う。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 眼がスクリーンになるときドゥルーズ『シネマ』論。
- 目からビームが出てる系**なぜ物が見えるのかについて、古代ギリシャの時から二つの派閥がある。
- メタのメタなのに着地はベタロジックを辿っていくとメタのメタなのだが、着地しているところは完全にベタ側。
- モナドロジーあらゆるものを細分化した先にはモナドしかないと言いながら、最後はそのモナドが神の予定調和で調和しているという世界観。
- 物知りを小バカにしてきた2、30年国学や古事記の話をするYouTuberが80万登録を集め、岡田斗司夫が謎の復権を果たしている。
- 森脇透青非美学について「難しいのはなぜなのか」という書評を書いた。
- 柳澤田実「私たち性(ウィーネス)の不在」をテーマにする哲学者。
- 欲求と欲望動物的な欲求を刺激されている、というだけではない。
- リソースは一個でいい『群像』の新連載でも書いていること。
- リテラリティ福尾匠『眼がスクリーンになるとき』の重要概念。
- 理論と実生活を分けないと哲学はできない大学で月給をもらい、結婚して子供もいるのに「n個の性」や「器官なき身体」と言っている哲学者の矛盾について。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。
- 理論を作って渡す人文的なものを「僕らがやっていることを皆さんもできるようになります」という能力の形でプレゼンすることも必要だとは思うが、福尾はそっちにはあまり興味がない、と言う。
- レイバーとワークの切り離せなさアーレントのレイバー(労働)/ワーク(制作)/アクション(活動)の三区分から。