どっちの陣営にも読まれる
どっちのじんえいにもよまれる
『置き配的』が、対極にいるように見える人たちの双方から引用される。
番組より
めっちゃなんていうか普通の話として、どっちの陣営にも読まれるっていうのはめっちゃ大事だと思う。
あの人が読んでくれたからOKってことだっていうことでもないと思うけどね。一つの目印として。
この項目について
荘子itは「ソバーというのを徹底すれば、 あの人ともこの人とも喋れるという領域が出てくるかもしれない」と言う。 福尾は「普通の話として、 どっちの陣営にも読まれるというのはめっちゃ大事だと思う。 そういうものになっているんだとしたらいいな」と応じる。 ただし荘子itは「あの人が読んでくれたからOK、 ということでもないと思うけどね。一つの目印として」と釘を刺す。 ダースレイダーが左派の側にいながら東浩紀や福尾を読むことを、 遣唐使に喩える——貿易を可能にしようとしている感じ。
この項目が出てくる回
関連項目
- とはいえボタン話が一周して落ち着きかけたところで、どちらかが「とはいえ」と言い出してしまう。
- 示すのが批評だ前回の「三宅香帆は批評になっていない」というマジギレの話から。
- 学べ、そして忘れろマイルス・デイヴィスの名言として荘子itが出す。
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 下心が追いつかなくなる公開する日記はセルフブランディングでもある。
- 日記本が短くて薄い日記ブームに対して福尾が気になっていること—— **世に流通している日記本は、なんか短いし薄い。