タフネスがパワーとして機能する
たふねすがぱわーとしてきのうする
前回のパワーとタフネスの話に、疎の街のコメント欄で読者が続きをくれた——マジック・ザ・ギャザリングにはパワーの値とタフネスの値が入れ替わる呪文がある。
番組より
自分が培ってきたタフネスがある日パワーとして機能する時もあるみたいな、そういうのめっちゃいいなと思う。
この項目について
荘子itは遊戯王の「右手に盾を左手に剣を」に翻訳して受ける。福尾いわく、守備力と攻撃力が入れ替わる嬉しさは小学生的だが、タフネスとパワーが入れ替わる嬉しさは大人っぽい。荘子itは「子供は分厚い盾が偉いという感じだけど、大人は盾は十分でいい、歩けるだけの重さでいいんだよ」と言い換える。人生にはパワーで戦えるときとタフネスで戦わなければいけないときがあり、自分が培ってきたタフネスがある日パワーとして機能することもある。メリル・ストリープがエコノミークラスに落とされてもエレガンスを失わないのは、タフネスがパワーになっている状態だ、と。
この項目が出てくる回
関連項目
- 「回」という言葉を取り返す継続性——週一性のようなものが、YouTubeによって破棄され、無効化された。
- 趣味でない以上、もう作品なのではレイバーから離れたワーク的なもので、マネタイズできていないという問題とも直結するのだが、これを普通にやっているのは、趣味でない以上もう作品なのでは——という話に膝を打った、と荘子itは言う。
- 引き受けた上で上乗せするのが批評ある人の活動のなかで批評的にもすごく突出しているところを、ベロンと剥がしてバカにする方向でいくのは批評性ではない、と荘子itは言う。
- 快適なプロフェッショナリズムミノミュージック的な世界観で言えば、YouTubeで毎回ちゃんと企画を立てて数字を取っていくのがプロフェッショナルなあり方で、ポッドキャストは大して儲かりもしないのに友達同士で集まって喋っているだけ、ということになる。
- 裏返しになったドゥルーズ=ガタリ疎の街の放送後記を、二人が毎週交代で書いている。
- ワナビーワナビーあるカルチャーがブームになるのは、ワナビーワナビー——ワナビーであり続けたい人たちがいっぱい来ているからだ、と福尾。
- 場踊りポッドキャストエキスポの後記に、なぜ踊りの話を入れたのか、と荘子itが自分で説明する。
- 緊張ステーキと駐車場ワンカップそれなりにキャリアを仕事人として積み、社会的な位置を得て、偉い人と緊張しながら美味しいステーキを食うのが幸せなのか。