他人の日記
たにんのにっき
福尾が構想している日記本のタイトル。
番組より
あくまでこれって別に僕にとっては僕の日記だけど、僕以外の人にとっては単なる他人の日記ですよねっていう、切り離し方をした本にしたいなと思ってて。
この項目について
自分のサイトで4年以上書いてきた 3年分の日記を一冊にまとめる企画。だが序文や年ごとのコラムを挟むという 方向で進みかけたところで、「何を書くか思い浮かばないし、そもそも書きたくない」 と気づく。単にその日起こったことを書いただけの状態をいかに維持するかが 自分にとって一番大事なことなので、それを後からまとめるものを 現時点の自分が書くのはほとんど生理的な嫌悪感がある。 「これは僕にとっては僕の日記だけど、僕以外の人にとっては単なる他人の日記ですよね」 という切り離し方をした本にしたい。1ページ目からいきなり日付と日記が始まるのが 一番かっこいいが、それをやってしまって大丈夫なのか、という戸惑いもある。 いま「日記本ブーム」と言われているが、切り取り方があらかじめ決まっている 「企画の匂いがする日記本」は日記じゃないじゃん、とすら思う。
この項目が出てくる回
関連項目
- 置き配写真館の構造的な問題自分の家に届く置き配写真は、毎日歩いている玄関先を無造作にピンボケで撮った 写真が急に送りつけられてくるという、めちゃくちゃ不気味で変な体験だ。
- 真逆の方向から作者を殺す考察は「著者の意図」というフィクションにすがりつくことによって、 かえって著者の意図を裏切っている——そこが面白い、と福尾は言う。
- 批評は人間関係の話しかしていない考察より思想のほうが面白い・偉いと、批評をやっている自分もやはり思う。
- 序文というパレルゴン序文は順番としては一番最初に来るのに、たいていは本文を書き終わったあとに書く。
- 令和人文主義は誰も自称しない令和人文主義という言葉は不思議なことに誰も自称せず、 「自分以外みんなそう」という形でしか使われない。
- 感想ツイートに懸賞金公式のトークイベントや帯コメントの推薦よりも、ポッと出たかのような感想ツイートが みんなの問題意識に接続して一気に跳ねる。
- 福尾匠『置き配的』発売から1週間、ずっとエゴサをしていた。
- 置き配的2025年11月刊。