置き配的書籍
おきはいてき
2025年11月刊。
番組より
全然違う別々のものがガチャガチャと組み合わさってるんだけど、でもめっちゃ成立してるっていう。
この項目について
全11回で、4回目くらいまでは愚直に現代社会を分析する話が続き、後半から「じゃあどうするのか」になっていく。帯にシールが貼ってある初回配本限定仕様で、Amazonの配達物に貼られるシールのフォントが使われている(流通が一つのテーマだから)。「置き配」という漢字・ひらがな・漢字の3文字は10年前にはありえなかった文字列なのに、いまは当たり前のものとして見ている。当初は『置き配』という3文字だけのタイトルで編集者に提案した。第10回は「私でなくもない者たちの親密権」。すでにあるイシューに新しい角度を投げかけるのではなく、新しいイシューを作ることで他のものの見え方が変わる、というタイプの本。
2025年12月1日の回
発売1週間で重版が決定。「楽になった」「読んで書き始めた」という感想が多い。SNS的な短い分量では全部がアテンションエコノミーとポジショントークに回収されてしまうが、1万字ほどの長さで書くことによって、そこに回収されない時間が流れ始める——という本の主張が、読む側の体験としても効いている。章立てではなく「第◯回」という呼び方で、連載時の一回一回が断絶した思考の断片であるという質感自体を残している。置き配的なシステムがダメでその外部に到達するのだ、という本ではなく、それはもう現実だというところを前提にしている。
2025年12月8日の回
荘子itが読み終えて。「一番大きい対比は多分そこにある」と言うのが密のインターネットとその外の空間の対比で、この番組で荘子itが言ってきたことに、あの本が全部答えているという。東浩紀『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』と何が違うのかも明快に書かれている。なかでも村上春樹論の一篇を二人とも高く買っていて、ある時期の村上春樹が女性を、しかも妻を主人公にして書いた短編で何が実験されていたのかという批評的なテーマと、カエル化現象という巷の話題と、哲学的ゾンビという哲学の問題と、最後に福尾自身が妻について書いた日記——全然別々のものがガチャガチャと組み合わさって、それでも成立している。福尾は「多分今まで誰もやったことないことだと思う」と言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- 癖と曲荘子itが「ずっと一番大事だと思っていること」として語った話。
- 私でなくもない者たちの親密権『置き配的』第10回。
- ターゲッティングは個人を一面化する最近の人文書が疲れている人・病んでいる人に当てられすぎている、という福尾のツイートから。
- 読者が調教される本を読んで、その本が想定している読者に自分から進んでなろうとしてしまう感覚。
- 固有名とトーンしか聞かれていないポッドキャストもYouTubeも、結局「ここで誰の名前が出た」ということと、「優しそう」「聞きやすい」という人柄の話しか受け取られていない側面がけっこうある、と福尾は言う。
- 黒嵜想『アーギュメンツ』の編集。
- 홍상수年に2本ほど撮る多作な韓国の映画監督。
- よく知りもしないくせに映画祭に審査員として呼ばれた映画監督が飲んでばかりで、知り合いの家に遊びに行って奥さんとどうにかなる。