真逆の方向から作者を殺す
まぎゃくのほうこうからさくしゃをころす
考察は「著者の意図」というフィクションにすがりつくことによって、 かえって著者の意図を裏切っている——そこが面白い、と福尾は言う。
番組より
いわゆる作者の死とかロラン・バルトは言ったわけだけど、それとは真逆の方向性から作者を殺してるっていう。持ち上げてるようでいて、本当に人間として見てないっていう。
この項目について
「そんなところまで考えてないよ」という著者本人の意見とは全く無関係に、 ここがつながっている、伏線だ、とひたすら言い立てる。その置いてけぼり感。 ロラン・バルトは「作者の死」と言ったが、これはそれとは真逆の方向から 作者を殺している。持ち上げているようでいて、人間として見ていない—— 全知のものになっていくのだから。「褒め殺し的な痛快さがある」。 きっかけは、小川哲が考察ブームについて 「考察をめちゃくちゃするというのは、あんまり物を作っていないんじゃないか。 物を作ったことがあると、そんなに隅々まで考えてないよという気持ちになる」 と言っていたこと。
この項目が出てくる回
関連項目
- 他人の日記福尾が構想している日記本のタイトル。
- 置き配写真館の構造的な問題自分の家に届く置き配写真は、毎日歩いている玄関先を無造作にピンボケで撮った 写真が急に送りつけられてくるという、めちゃくちゃ不気味で変な体験だ。
- 批評は人間関係の話しかしていない考察より思想のほうが面白い・偉いと、批評をやっている自分もやはり思う。
- 序文というパレルゴン序文は順番としては一番最初に来るのに、たいていは本文を書き終わったあとに書く。
- 令和人文主義は誰も自称しない令和人文主義という言葉は不思議なことに誰も自称せず、 「自分以外みんなそう」という形でしか使われない。
- 感想ツイートに懸賞金公式のトークイベントや帯コメントの推薦よりも、ポッと出たかのような感想ツイートが みんなの問題意識に接続して一気に跳ねる。
- 福尾匠『置き配的』発売から1週間、ずっとエゴサをしていた。
- 置き配的2025年11月刊。