哲学の無教養主義はありえるか
てつがくのむきょうようしゅぎはありえるか
東の放送に、数年ひとりで哲学をやっていると言う若い参加者が来て、三島由紀夫も太宰治も知らず、東のことはひろゆき経由で知ったと言った。
番組より
でもデカルトはだからそれだよね。ある意味もともとめっちゃエリートでちゃんと大学とか行った人なんだけど、もう本なんか読んでもしょうがないって言って、我思うゆえに我あり、何の前提もなく自分がいるっていうところだけで出発できるみたいな。
この項目について
音楽や映画には「何も摂取しない」と公言する作り手がいる——キム・ギドクはデビュー当時、映画を3本しか見たことがなかった。カメラさえあれば映画は作れる。では哲学に無教養主義はありえるか。福尾の答えはデカルトで、もともとエリートで大学にも行った人が「本なんか読んでもしょうがない」と言って何の前提もなく自分がいるというところだけから出発した、というかたち。ベースがめちゃくちゃある人がやるパターンしか思い浮かばない。詩人ならありそうだけれど、そこが詩人・アーティストと哲学の大きく違うところ。
この項目が出てくる回
関連項目
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。