会場に着いてからセトリを考え直す
かいじょうについてからせとりをかんがえなおす
つくばロックフェスの話から。
番組より
会場に着いてからセトリを考え直したりするよね。この炎天下のこのほのぼのした雰囲気でこの曲やってもしょうがないな、みたいなのとか出てきたりして。
この項目について
フェスにはそこそこキャンプに来る延長線上で来る人もいて、ハードなDos Monos好きばかりではないし、雰囲気も全然違う。だから会場に着いてからセトリを考え直す——この炎天下のほのぼのした雰囲気でこの曲をやってもしょうがない、という判断が出てくる。TaiTanが言い出すこともある。福尾が「漫才師さんみたい」と受ける。表参道の関係者向け立食パーティーでも同じで、直前に会場入りしてから決め直す。その環境で一番響くようなセトリややり方をやろうとしている。
この項目が出てくる回
関連項目
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。