それぞれに知性があって上下の差はない
それぞれにちせいがあってじょうげのさはない
ユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
番組より
みんなそれぞれに知性があって、頭がいいとかそういう上下の差はないんだと。例えば絵が上手い人がいたら、その人は絵を描くことで考えているようなもので。
全然違う方法で世の中を認識して、それを表現したりできるっていう意味では、言語が得意とか哲学の知識が豊富とか、全然別の思考をしてるんだっていう。
この項目について
みんなそれぞれに知性があって、頭がいい悪いという上下の差はない。絵が上手い人がいたら、その人は絵を描くことで考えているようなもので、喋らせたら全然喋れないかもしれないが、だからバカということにはならない。全然違う方法で世の中を認識して、それを表現したりできるという意味では、言語が得意とか哲学の知識が豊富というのとは全然別の思考をしている。東浩紀にしても、哲学書を書くということ以上に、会社を経営するとかコミュニティを作るということが哲学になっている。視覚優位で物を考える人もいる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。
- 哲学の無教養主義はありえるか東の放送に、数年ひとりで哲学をやっていると言う若い参加者が来て、三島由紀夫も太宰治も知らず、東のことはひろゆき経由で知ったと言った。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- アウトプットまで連れていく非常勤の授業は200人規模で、単位のためだけに受けている人が多い。
- 揚げたての唐揚げを買って公園で寝る福尾が夜型で、収録の直前に起きたという話から。
- 朝倉未来格闘家。
- アラン・バディウフランスの哲学者。
- 音楽に啓蒙はいらないそもそも音楽が好きじゃない人に「音楽って素晴らしいんですよ」と言ってもしょうがない、と福尾。
- 会場に着いてからセトリを考え直すつくばロックフェスの話から。
- 芸術の使われ方は三つしかなかったアラン・バディウによれば、芸術はだいたい三つの使われ方をされてきた。
- ゲンロン戦記東浩紀の著書。
- 一人でフジロックは寂しすぎるフェスに行ったことがない、と福尾。
- フィールドの中で言うから面白いカニエ・ウェストは元々、手作業のビートメーカーという職人から出発した人で、真面目な職人が絶対にやらないようなありえない感、ヤバさ、神感をうまく出してくるバランスが凄かった、と荘子it。
- 兵士デカルト小泉義之の著書。
- やってない間の見せ方格闘家は年に2、3試合しかできない。
- ラップは確認であるコンスタティブとパフォーマティブの話から。