日記は誰も読んでいないのでは
にっきはだれもよんでいないのでは
日記ブームと少し距離を取って眺めている、と福尾。
番組より
「つまらないものですが」ポーズが先に立ちすぎちゃってる感じもあって、僕が毎日面白いもの書きますよぐらいの感じでもいいっていうか、それが必要じゃないの、少なくとも人に見せる日記は。
誰も読んでないのではっていうのが、すごいなんか実は頭の片隅にあって。
この項目について
気になるのは恥ずかしさから逃げている感じ——「これは小説でもエッセイでも短歌でもなく、本当に粗品ですが」というポーズが先に立ちすぎている。少なくとも人に見せる日記なら「僕が毎日面白いもの書きますよ」ぐらいでいいのではないか。そして頭の片隅にあるのが、みんな出してみんな買っているけれど、実は読んでいる人が少ないのでは、という疑い。日記は良くも悪くも「つまらないもの」が許される口実で、そのポジティブな効用も、だからこそ書けるものがあることも本当だと思っているけれど、「つまらないものですが」が許される空間が広がってその中で売り買いされているのに読まれていないのだとすれば、それはそれで置き配的なものになってしまっている。荘子itは「ポッドキャストもそういうところがあるだろう」と受ける——プレイヤーが客席にいる黎明期。
この項目が出てくる回
関連項目
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 10先という形式形式を発明したのも梅原大吾なのだ、と福尾は言う。
- 恥ずかしいことと恥ずべきことは違う昨日の配信で聞いた、と福尾が紹介するアフォリズム。
- オーディエンスに向けた戦いSNSのレスバトルは、本当の論争をしているのではなく、それを見ているオーディエンスに向けている——という話から荘子itが引き出すこと。
- ちょっと泳がせてみる渋谷でたまたま入った無料の陶芸の展示で、一番好きだと思った作家が知的障害のある人の施設のアトリエで作っていた人だった。
- 1日の終わりのジュースのために作るその陶芸作家は、作品ができて展示されても何も嬉しくないし、人に見てもらいたいともそんなに思っていないらしい。
- 全員が同じ画面を見ている梅原大吾が言っていて福尾が面白いと思ったこと——格闘ゲームが他のゲームと違うのは、対戦相手同士も、見ている観客も、全員が全く同じ画面を見ていること。
- 気にしてもいいが気にしていると思われてはいけないアフターパーティーのイベントに「全身黒で行ったら怒られますか」と聞いてしまうリスナーの話から。