2026年5月4日
嫉妬と本当の闘い
ハワイ帰りの回。思い出のすれ違いの積み重ねが親密性なのだ、という話から、障害のある作家の個展、そして梅原大吾へ。何千回でもやれてしまう格闘ゲームに、対戦の希少性をどう作るか。終盤は、恥ずかしいことと恥ずべきことは違うという話。
話の流れ
- 0:09ハワイに行っていた疎の街の放送講義にも書いた。お金があまりないのに。
- 2:45これはパイプではないこれは映画ではない、これはニュースではない、というような。
- 5:32友達と2人で喋るということがなかった第0回でも言ったが、家庭があって、その相手として誰がいいというのも特になかった。
- 8:20思い出のすれ違いの積み重ね自分が忘れている自分のことを相手が覚えていて、相手が忘れている相手のことを自分が覚えている。
- 11:05裏話的な面白さではなく合っていると思ったら全然違うテンションで違うことを考えていた、立脚点も違った。それで番組がより面白くなる。
- 13:50二足さんの個展この番組のサムネイルとほぼ同じようなものがいっぱい展示されている。
- 16:35季節のように出来事が巡る家族の事情として行っている感じだけれど。
- 19:20言葉ではうまく喋れない知的障害があって施設に入っている人の制作風景。急に粘土を切って部品を作り、急に変なことをしたりする。
- 22:07二晩寝ずにやって、解けずに捨てたパズルのエピソードから思い出した話。
- 24:52梅原大吾今も現役のプロゲーマーで45歳くらい。ドミニカの若者との一戦。
- 27:38そもそも肉体的に圧倒的若くて最先端というだけではなく。それでも一勝した。
- 30:2510先という形式格闘ゲームは何千回でもやれてしまう。だから対戦のストーリー性を作るのが難しい。
- 33:10見えない部分も作る陶芸の話。見え方ではなく、生き物を作って内臓を作るように、誰からも見えない部分も作る。
- 35:57格ゲーは一目瞭然FPSの大会の動画は誰の視点で誰と戦っているのかが分かりにくい。
- 38:42阿町にいるわ黒嵜想と京都で会うとなったら、河原町のゲームセンターだった。今はもう閉店している。
- 41:29別の特殊な種類の戦い戦いは良くない、という話ではなく。三国志大戦のことを15年ぶりくらいに思い出した。
- 44:14アートワーク部門でノミネート音楽賞のショーのなかの部門で。
- 46:01戦い自体に芸術性が欲しいそういうところがある。
- 48:50オーディエンスに向けた戦いSNSのレスバは、相手を殺すためだけの戦いではなく、同時に見ている人に何かを与えている。その良さと批判とが両立しているのが面白い。
- 51:44松尾潔と菊地成孔二人とも髭に丸眼鏡で、と外見の話に転がる。
- 54:32笑い話にしていいと思う本当に大事な話、政治の話や戦争の話をするうえで、その余波で起こるSNSのレスバは。
- 57:15恥ずかしいことと恥ずべきことは違う恥ずべきことはやってはいけないが、恥ずかしいことはどんどんやっていい。
- 1:06:25休憩中にテーマが決まった後半へ。
- 1:09:10まず自分の痛みに向き合ってからみんなもっと置き配的になってからにしようよ、というくだりが良かった。
- 1:11:55気にしていると思われてはダメ気にしてしまうことは避けられないし、ダサいと思われるかもという自意識は人間なら発生してしまう。でもそれを理由に。
- 19:51ちょっと泳がせて見てみる急な行動を止めそうになるけれど、待つと意図が分かったりする。
- 33:001日の終わりのジュースのために展示されても嬉しくないし、見てもらいたいとも思っていない。
- 35:41全員が同じ画面を見ている格ゲーが他のゲームと違うところ。
- 1:15:25みんな一定の痩せ我慢をしているネガティブ・ケイパビリティという言葉が嫌いな理由。
- 1:17:14誰も読んでいないのでは日記本ブームで気になっていること。
- 1:28:58批評は最悪のものの肯定いいとされているものをいいと言っても何にもならない。
この回で出てきた言葉
- 阿町にいるわ黒嵜想と京都で会うとなったら、だいたい河原町のゲームセンターだった。
- 1日の終わりのジュースのために作るその陶芸作家は、作品ができて展示されても何も嬉しくないし、人に見てもらいたいともそんなに思っていないらしい。
- うちはチェーン店ではありません渋谷の陳家私菜で麻婆豆腐を食べたら、メニューに「うちはチェーン店ではありません」と書いてあった。
- 梅原大吾45歳くらいになっても現役。
- オーディエンスに向けた戦いSNSのレスバトルは、本当の論争をしているのではなく、それを見ているオーディエンスに向けている——という話から荘子itが引き出すこと。
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 気にしてもいいが気にしていると思われてはいけないアフターパーティーのイベントに「全身黒で行ったら怒られますか」と聞いてしまうリスナーの話から。
- 10先という形式形式を発明したのも梅原大吾なのだ、と福尾は言う。
- 10先という形式を発明したのも梅原格闘ゲームは何千回でもやれてしまう。
- 全員が同じ画面を見ている梅原大吾が言っていて福尾が面白いと思ったこと——格闘ゲームが他のゲームと違うのは、対戦相手同士も、見ている観客も、全員が全く同じ画面を見ていること。
- ちょっと泳がせてみる渋谷でたまたま入った無料の陶芸の展示で、一番好きだと思った作家が知的障害のある人の施設のアトリエで作っていた人だった。
- 強さを諦める口実としての弱さ弱さを認めることも、弱さをちゃんとさらけ出せるようになることも大事だけれど、強くならないとダメだよね、と福尾。
- 日記は誰も読んでいないのでは日記ブームと少し距離を取って眺めている、と福尾。
- 恥ずかしいことと恥ずべきことは違う昨日の配信で聞いた、と福尾が紹介するアフォリズム。
- 批評は最悪のものの肯定「置き引きは置き配の対義語である」という言葉遊びから。
- みんな一定の痩せ我慢をしているネガティブ・ケイパビリティという言葉が嫌いだ、と福尾。
この回からの引用
支店があるのはチェーン店ではないっていう概念があるのかなと思って。
自分が忘れてる自分のことを相手が覚えていて、相手が忘れてる相手のことを僕が覚えてるって、つまり同じ思い出の積み重ねじゃなくって、思い出のすれ違いの積み重ねが親密性みたいなものの定義なんだ。
ちょっと泳がすとなんかすごい全然発想の外にあって、なんか行動してたんだみたいな。
でも少なくともそれが守られる時間と空間が確保されてるっていうのが大事だな、人間にとって。
形式を発明したのも梅原なんだよ。ゲームってさ何千回でもやろうと思えばやれちゃうわけ。
→ 10先という形式
単に戦うで強いってだけじゃなくて、戦いに意味が生まれるための仕組みも自分で作るみたいな、そこめっちゃ面白いなって思う。
そうするとどうなるかっていうと、対戦のストーリー性を作るのが難しくなる。こいつとこいつがついに当たるみたいなことが、なんとか希少性みたいなものが担保しづらいから。
→ 10先という形式
完成するとその施設で1日の終わりにジュースもらえるから、それのために頑張ってるんだって。
格ゲーって他のゲームと何が違うかっていうと、全員が同じ画面を見てるっていう。つまり対戦相手同士も全く同じ画面を見てるし、見てる観客もやってる人と全く同じ画面を見てる。
そういうなんかただの戦い、相手をただ殺すための戦いじゃなくて、それも含まれてるんだけど、と同時に何かオーディエンスに何か与えてるっていうタイプのさ、戦いの良さっていうか。
恥ずかしいことと恥ずべきことは違うんだって。恥ずべきことはやっちゃダメだけど、恥ずかしいことはどんどんやっていいみたいな。
気にしちゃうってことは避けられないし、こんな格好だったらダサいと思われちゃうかもっていう自意識が、どうしたって人間だったら発生しちゃうんだけど、でもそれを理由に他人に甘えんなよってことだよね。
みんな同じ弱さを抱えてるはずなのに、あなたたちは強者で何を着るべきか分かってる、私はそれがまだ分かってない、っていうさ。
だからみんな一定の痩せ我慢してる。つまり言い方変えると、今痩せ我慢ってめっちゃポジティブに考えにくい概念になっちゃってると思うんだよね。
「つまらないものですが」ポーズが先に立ちすぎちゃってる感じもあって、僕が毎日面白いもの書きますよぐらいの感じでもいいっていうか、それが必要じゃないの、少なくとも人に見せる日記は。
誰も読んでないのではっていうのが、すごいなんか実は頭の片隅にあって。
でも強くならないとダメだよねみたいな、その強さを諦める口実としての弱さみたいなものは、あんま乗りたくないなって感じがするけどね。
千葉さんが、批評っていうのは最悪のものの肯定なんだって言ったのがすごいいい言葉だなと思って。
最悪とさえ思われてなかったものを拾ってくる、置き引きしてくるっていう、それだよなやっぱ大事なのは。