ちょっと泳がせてみる
ちょっとおよがせてみる
渋谷でたまたま入った無料の陶芸の展示で、一番好きだと思った作家が知的障害のある人の施設のアトリエで作っていた人だった。
番組より
ちょっと泳がすとなんかすごい全然発想の外にあって、なんか行動してたんだみたいな。
でも少なくともそれが守られる時間と空間が確保されてるっていうのが大事だな、人間にとって。
この項目について
ドキュメンタリーで施設長が言っていたのは、急な行動を起こすので「ちょっとちょっと」と止めてしまいそうになるけれど、一回待って泳がせて見てみると、それが後で「こういう意図があってやったんだ」と分かったりする、ということ。荘子itはそれを子供にも重ねる——危険なときはもちろん止めるけれど、極力言わない方がいい。ハワイでも、翌朝早いのに子供がジグソーパズルをやりたがって、妻に苛立たれながらも「今これをやっているのはやらせてあげたい」と思った。何も言われずに没頭できることが何よりも尊く、その自由が守られる時間と空間が確保されていることが人間にとって大事なのではないか、と。
この項目が出てくる回
関連項目
- 思い出のすれ違いの積み重ね『置き配的』の最後のほうにも書いた、と福尾が言う。
- 10先という形式形式を発明したのも梅原大吾なのだ、と福尾は言う。
- 恥ずかしいことと恥ずべきことは違う昨日の配信で聞いた、と福尾が紹介するアフォリズム。
- オーディエンスに向けた戦いSNSのレスバトルは、本当の論争をしているのではなく、それを見ているオーディエンスに向けている——という話から荘子itが引き出すこと。
- 1日の終わりのジュースのために作るその陶芸作家は、作品ができて展示されても何も嬉しくないし、人に見てもらいたいともそんなに思っていないらしい。
- 全員が同じ画面を見ている梅原大吾が言っていて福尾が面白いと思ったこと——格闘ゲームが他のゲームと違うのは、対戦相手同士も、見ている観客も、全員が全く同じ画面を見ていること。
- 気にしてもいいが気にしていると思われてはいけないアフターパーティーのイベントに「全身黒で行ったら怒られますか」と聞いてしまうリスナーの話から。
- みんな一定の痩せ我慢をしているネガティブ・ケイパビリティという言葉が嫌いだ、と福尾。
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 阿町にいるわ黒嵜想と京都で会うとなったら、だいたい河原町のゲームセンターだった。
- うちはチェーン店ではありません渋谷の陳家私菜で麻婆豆腐を食べたら、メニューに「うちはチェーン店ではありません」と書いてあった。
- 梅原大吾45歳くらいになっても現役。
- 10先という形式を発明したのも梅原格闘ゲームは何千回でもやれてしまう。
- 強さを諦める口実としての弱さ弱さを認めることも、弱さをちゃんとさらけ出せるようになることも大事だけれど、強くならないとダメだよね、と福尾。
- 日記は誰も読んでいないのでは日記ブームと少し距離を取って眺めている、と福尾。
- 批評は最悪のものの肯定「置き引きは置き配の対義語である」という言葉遊びから。